(PKDファンが)20代で得た知見
最近、紀伊國屋書店でぼうっと徘徊していたらこの言葉が目に入ってきた。「20代で得た知見」───当方、30代、関東地方在住の会社員。だから20代で得た知見が私にもあるはずなのだが、そもそも知見って何?
いやそのままやないかい。経験とかじゃないんだ。見るだけでいいんだ。とはいえ、言葉の使われる場面というか、ニュアンスとして、20代を通じて学んだ「世の中ってこんな感じなんだ」という自分なりの考えっていうことなんでしょう多分。と、いうことで、私が20代で得た知見について思いを巡らせてみた。
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難しいわ!そんなすぐ出ないわ!書籍化できるほどの量もないって!だって20代ってまだ人間ですらないじゃん!
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「20代ってまだ人間ですらない」?
これだわ。
私は20代の頃、人間ではなかった。何一つ自力で見つけたものはなく、選んだものはなく、得たものもなく、ただのお人形であった。そして私はいつの間にか、人間になっていた。自力で見つけ、選び、得た人間。(当社比)
なので、今人間として生き初めてまだ体感数年しか経っていない。数年しか生きていないこの世界は、たくさんの驚異に満ちている。(時々脅威もある)
だから、20代で得た知見というべきかは分からないけれど、今自分の生きている世界は簡単に壊れてしまうし、けれどもそこにはいつでも新しい世界がある、ということなのかも。人は何度だって、人間になることができるのかも。ていうか40を回る頃、「30代ってまだ人間ですらないじゃん!」って言ってるかもしれないんだけど。
ところで私は、フィリップ・K・ディックのThe Pre-Personsを『まだ人間じゃない』というタイトルで読んでいたのですが、現在は改題して『人間以前』と出版されているようで。まだ人間じゃなくても生きられるこの世は、ディックの世界よりずっと良い場所であると信じたいなぁ。
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