チューリングとグリーフケアと
最近お気に入りのPodcastがいくつかあります。そのうちの一つがこれ。
「ゆるコンピュータ科学ラジオ」です。
本日聞いた回があまりにも心に残ったので、今勢いで書いています。
初恋の人を蘇らせたくて、チューリングは人工知能を作った(かもしれない)【チューリング4】 #35
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タイトルの通り、アラン・チューリングの功績は、全て初恋の人クリストファーが原動力だったのではというお話をされている回です。
クリストファーは同じ学校に通う生徒で、チューリング同様とても優秀。気の合う2人は一緒に語り合い、実験したり、チェスをしたりパズルをしたりして過ごしていたそうですが、高校生の時クリストファーは若くして亡くなってしまったそうです。
チューリングは「クリストファーがもし生きていたら素晴らしい功績を残していたに違いない」と信じて研究を続けます。で、もう一度クリストファーに会うため、要は機械でクリストファーを蘇らせるため、その研究を続け様々な功績を残したのではないか?という話です。(詳しくはぜひ本家を聴いてください!)
全然違う話ですが、私がnoteのアカウントを作ったのは3年前に遡ります。グリーフケアについて学び、同じような経験をした方と交流するためでした。でも、何も投稿することはできませんでした。当初はグリーフケアについての書籍を読み、読書記録をつけるつもりでしたが、本を読むことが途中でできなくなってしまったからです。
グリーフケアというのは、悲嘆ケアとも呼ばれます。とても簡単に説明しますと「近しい人との死別による心と体の反応をケアすること」というような意味合いかと思います。
グリーフケアという言葉と出会ったのは、とても単純に、私自身が大切な友人の死を経験し、ほぼうつ状態になっていた時期もあったからでした。そしてnoteのアカウントを作った当時は、家族や友人に支えられ、少しずつ自分の人生を取り戻し始めた頃でした。
今思い返してみれば、その回復のスピードが驚くほど遅く、それが苦しくて何かをせずにはいられなかったのだと思います。「グリーフケア」の言葉でネット検索しまくり、図書館で沢山の本を借り、セミナーを探しまくり、とにかく何かしなければという焦りに駆られていました。
ですが、借りてきた本も、少ししか読むことができませんでした。何かをするには、私はあまりにも当事者でした。「グリーフケアを学んで、同じような経験をしている方のをサポートしたい」なんて思うこともありましたが、自分を助けることすらできないのに、誰かをサポートしたいなんて、あまりにも傲慢でした。誰かを助けたいのではないくて、助けて欲しかっただけなんだと、今は冷静に見つめられます。
当時書いた読書記録が、公開しないまま下書きのまま残っています。もう3年も前ですし、原書のことは今はあまり覚えていません。ですが、今でも時々この下書きは読み返します。
島園進『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』朝日新聞社,2019年
という本について書いています。以下、その下書きの一部抜粋です。
・悲嘆の受容の段階については私も聞いたことがあった。本書でもいくつかの理論が解説されている。だが当事者としてその段階について納得がいっていたかというとそうではない。そんな中、p.111にてニーメヤーによって提起された「意味の再構築」という理論が説明される。
・「意味の再構築」
具体的にはこのように説明されている。
長くなりましたが、話はやっとチューリングに戻ります。
この回を聴いた時、チューリングにとって、研究は「意味の再構築」だったのではないかとふと思ったのです。番組内でも、パーソナリティのお二方が、「チューリングは研究の時もずっとクリストファーを思い、問いかけていたんじゃないか」というようなことをおっしゃっていたような気がします。研究において、チューリングの心(と言うのが適切かはさておき)の中にいるクリストファーとの対話を通して、それが例えばチューリングマシンとして結実していったんじゃないかと、私も考えずにはいられませんでした。
種本ではある論文の発表について「クリストファーの二度目の死」として語られているそうですが、堀元氏は持論として、そうではなくて、「クリストファーを蘇らせようと研究を突き詰めていく過程で、チューリングは無神論者になったのではないか」とおっしゃっています。(多分…そのようなお話だった気がします…)
チューリングもまさに「自分自身の物語を組み立て直」していく過程で、そのような考えに至ったのではないかと、私にもそう思えてなりません。チューリングの中にあるクリストファーとの対話の中で、彼ははむしろ生き生きと、多くのインスピレーションをチューリングに与えてくれたのではないでしょうか?
チューリングがクリストファーを失ったグリーフとどのように向き合っていたかは分かりませんが、研究によって悲嘆が少しでも癒され、彼を思う暖かい気持ちで心が満たされていたと信じたい。
私は本当に凡人ですが、時々夢想します。一つや二つでは収まりきらない程の素晴らしい功績を成し、沢山の人に賞賛された時、こう答えるところをです。「もし私が何かを成し遂げたとして、それは全て彼女のものです」 もちろん彼女というのは亡くなった友人のことです。
もう二度と日の目を見ることのない下書きを思い出して、慌てて情熱のままに書きました。これからはChatGPTを使う度に、チューリングに思いを馳せるのだろうと思います。
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