阪急三番街
こんにちは♪
こんにちは〜♪
こちらは阪急三番街
こんにちは♪
こんにちは♪
ようこそおいでなさ〜い
という歌が、頭から離れず幾歳月
ほぼ40年かな
高校の時通った中之島の美術予備校の時、
空いてる時間に行ってたのが阪急三番街の
地下の喫茶店で、
十八の歳に、苦いアイスコーヒーの味を
覚えたのでした。
その時以来 梅田は歩いてない。
嫁いでから一度
夫に米原まで送ってもらって徳島に帰ったら、
徳島の家族に『そこまで来たんなら寄ってけばよかったのに』(いや、じゅうぶん遠いw)って感覚だったので、
近畿は歩いてないわけです(笑)
嫁に徳島をセットに出来るほどの日数の自由は、なかったからね。
遠くて遠い近畿ってわけだ
今回、
阪急三番街発着で、一時間半ほどあり、
あの時行った喫茶店あるかな?と
探すのを内心楽しみにしていました(笑)
いやいや、
改装に改装を重ねてるだろうに、
面影はないでしょう。。
けど、螺旋階段みたいなところにあったテラスみたいな喫茶店だったから、建物の構造は変わらんだろうから
その辺で探してみよー
で、帰りのバス到着してさっそく歩いてみる。
ん?
んんん
もしや!
今フードコートの辺り、ここかも!
と、
懐かしい感じと、
今の自分の感じをすり合わせたのでした。
というのも、
あの頃の志と 歩んできた現実
嘆いたり 哀しんだり、
そんな容赦ない現実に
剥がされて剥がされても
ゴロッと残った自分
昔を美化しがちで 今を否定しがち
ですよね。
だけど、やっぱりあれもこれも必然だったな
と
(それも心情の状態が良いからそう思えてる気もするけど(笑))
これが、すがっていた昔・美化した昔から今を生きる、今をしっかりと生きる。そういう意識にシフト出来た
そのキッカケが阪急三番街を歩いた事だった気がします。
夏に歴史学習会を参加した時、
『供養』という言葉の使い方に心が留まりました。
針供養とか死者の供養塔とかで使いますけど、生きている人間の想いを供養する、そんな石碑もありました。
今回阪急三番街回顧は私にとってのまさしく『供養』だった。受験生だった高校時代に戻りたいとかあの頃は良かったのにとか嘆くばかりでなく、これからの(ちょうど来年からの六十代)生きていく、
逃げるでなく回顧に費やすのでなく
生きて行こう!
そう思えたのはキチンと供養出来たんだと、感慨深いものがありました。
通路にあらゆる店舗が並んでいて、
画材店発見!
そこで今どきに使い勝手の良いA4サイズの画用紙帳とイラストレーターペンセットを購入しました。
有り合わせの画用紙や画材で絵を描いていた行為は、『今』をあまり大事にしていない行動だったのだと。
正直いうと、うまくいかないことの連続で、だんだん描けなくなってきて、描くのが怖く描けないのに焦る、という苦しい時期を過ごしていました。
昔は描くのがあんなに楽しかったのに。
昔の絵には迷いがない。技術は拙くとも。
それが歳を重ねて失ったもの。
今は迷いだらけ。
ビクビク画材に向かっていたら、そもそも良い絵なんて描けるはずはない。それはわかっている。わかっているけど長いこと抜けられなかった。。
ようやっと立ち上がりかけてきました。
断捨離し過ぎて
周りを尊重し過ぎて『今』をないがしろにしてはならないのです。
そういうことなのですね。
今はワクワクしています。描きたいものも浮かんでいるし、(こうしてみようかな?)そんな構想も抱いているし。
楽しみです。