病を打ち明けないと決めた、患者たちの「語り」。
はじめまして。浅井美穂といいます。私のnoteを開いて下さってありがとうございます。私は大阪大学の人間科学研究科というところで研究をしている大学院生です。現在は社会人として働きながら研究活動をしています。
このnoteは、私の研究活動の一貫として開設しています。
現在わたしは、周囲の人に病を打ち明けずに生活しておられる方、病を抱えて一人で闘病されている方にインタビューを行っています。“ひとり”に明確な定義はありません。研究について尋ねられた時は「ご本人が“自分はひとりで闘病している”と感じておられれば構いません」とご説明させていただいています。
病の孤独というのは物理的な孤独だけではありません。家族がいても“ひとり”の方もいれば、家族がいなくても“ひとり”ではないという方もいて、それは人それぞれ“個の体験”です。そのため、①家族や周囲の近しい人に自身の病気について打ち明けずに生活しておられる方にもインタビューをしていますし、②単身、独身、ひとり暮らし、シングルマザー・シングルファザーの方で、おひとりで闘病されている方にもインタビューをしています。そして、その語りを「現象学」という手法を用いて記述することを目指して調査を進めています。
【私が研究を始めたきっかけ】
私は看護師と保健師の免許を持っています。大学を卒業後、地方の総合病院で看護師として少しだけ働いていて、その後は研究職となり「エビデンス研究」という分野の研究をしていました。5000人にアンケート調査をして因果関係を証明する研究とか、ある食材を食べた後の採血データの数値がどう変化するかとか、そういう類の研究です。
30歳の時、とある疾患を告げられました。そこから4年間、誰にも、家族にも病気のことは告げることなく治療のための薬を飲み続けていました。私は今でも、病名について、自分から誰かに話したことがありません。
34歳の時、急激に体調を崩しました。病状が悪化してしまい初めて入院をする事になりました。ICUに運び込まれる前、朦朧とする意識の中、担当の看護師に「両親には病気のことは言わないで欲しい」と懇願しましたが、それは出来ないと言われました。
その入院期間中、初めて“患者側”の視点でさまざまな医療現場の実態を見ました。見える光景、抱く感情、周囲の反応が、今までとはまったく違って見えたことを覚えています。医療者の言葉に時に励まされ、一方で時には傷付けられ、自分自身の行動を後悔し、将来のことを思い、死にたくなりました。
身の置き所のない心身の苦痛と、分かち合えない事の孤独。
私はのちに、この時の現象が「絶望」と呼ばれるものではないかと思いました。絶望という言葉の意味を検索したら、どこかの辞書に『どのように未来を想像しても、自分にとって良い状態になることが想像できない状態』と書いてありました。
それは、今まで看護師として考えていた患者理解とは全く違う感覚であり、死への恐怖ではなく「生きなければならないことへの恐怖」と言い換えられそうなものでした。ブラックホールに吸い込まれていく感覚が今でも薄っすら残っています。もう生きたくない。当時34年間の人生の中で少なからず経験してきた「死んでしまいたい」と思う様なすべての苦境や困難や悲しい出来事と比較しても、比べものにならないような病みの感覚でした。
・・・そして、病室の天井を見ながら、どこかの病室で、同じように、もういいと、社会に戻りたくないんだと、このまま消えてなくならせてくれと、でもそれは出来ない事なんだと、絶望している人がいると思いました。
その時、今まで看護師として出会ってきた患者さんたちの事が脳裏に浮かびました。
今まで数えきれない程の患者さんと向き合ってきたはずなのに、自分は何を見てきたのだろう。あの時もあの時も、あの患者さんはこんな気持ちを味わっていたのかもしれない。絶望に陥っていたかもしれない。助けてと言いたかったのかもしれない。
この気持ちは何なのか知りたい。この現象が何なのか知りたい。彼らのサインに気付くことが出来なかった自分、一歩踏み込んで自分から声をかけることが出来なかった自分自身が救われたかっただけなのかもしれませんが、そう思いました。
仮にも研究者の端くれの私は、はじめはこの現象を、エビデンス研究で明らかにしようとしていました。しかし、医学系の文献を調べても納得できる解に辿りつけない私は、しだいに社会学系の文献を探すようになりました。そのような中で、私が絶望に陥った理由には、自分は一人なんだということを突き付けられた経験、病人であるというスティグマ、もしくはひとりであるということに対するスティグマなどが関係しているのではないかと思うようになりました。この日本の、社会構造の何かが、弱い私に、一人ぼっちの私に、「死んでもいい」と思わせたのではないか、そういう「力」が働いたのではないかという考えが、新たに成り立ちました。
そう思って突如として仕事を辞めました。そして、大阪大学の村上靖彦先生にアポイントを取り、この研究に着手し始めました。村上先生は哲学(現象学)の専門家で、現象学的手法を用いてインタビューの分析をされている有名な方でした。私は全くやったことのない分野の研究だったのですが、どうしてもこのゼミに入りたいと思い立ち、勢いにまかせて門を叩きました。我ながらなかなかの思い切った決断だったと思います。何の業績もない私を受け入れて下さった村上先生には、本当に感謝しています。
仕事のこと、お金のこと、大切な人のこと、病と共に生きていくということ…。ひとりで闘病している方にはそれぞれに特有の、人には言えない様々な事情があり、辛くなったり苛立ったり、不安に襲われる事があるかと思います。しかし、患者は本音を隠したり、言わないと決めていたりします。そうさせる「何か」があるからです。かく言う私自身もそうです。こんなにも病のことについて明らかにしたいと考えているのに、未だに誰にも本当の気持ちを話したことが無いのです。本当の気持ちは言ったことがありません。それほどまでに、私はこの病気に対して強い自己スティグマがあり、受け入れることは出来ず、この気持ちは誰にも分かるはずがないと思っています。そして、「分かって欲しい」と思っている自分も、同時に存在していることを自覚しています。
そして、その「語れない」という経験そのものが、「病の経験」なのではないでしょうか。
皆さまの病の経験、病の語り得なさを形にして、記述したいと思っています。何かの代表をしたいわけでもなく、大々的に発信して大きなことをしたいと思っている訳でもありません。私たちの、語りたいけど語れない気持ち、語らないと決めた気持ち、病を持つ人々の「沈黙」を、残したいのです。矛盾していると思われるかもしれませんが、『語れない病の経験を語りで残す』ということをしたいのです。もし、少しでも調査にご関心いただけたのなら、ぜひ一度、貴方のその語り得なかった体験を、聞かせていただけないでしょうか?
ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。インタビューにご賛同いただける方、その他ご意見ご質問などございましたら、ちょっとした事でも構いませんのでお手数ですがいずれかの方法でご連絡頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
*インタビュー調査の概要については、別ページで説明していますので、関心のある方はそちらのページに進んでください。下記リンクを貼っておきます。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
浅井 美穂 / Miho Asai
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