「応援する」や「徳を積む」について
星の数ほどの投稿がある中、訪問くださりありがとうございます。
「願い事の叶え方②」の中で、応援してもらいたかったら、まずは応援してみることが大切だと書きました。
が、ここには落とし穴もあると思っていて。
分かりやすく言うと、SNS上で言えば、いいね!やスキ♡をしてあげたのに、相手は返してくれなかったーーーとイライラしたり、怒るパターン。
日常でも、やってあげたのに、やってくれなかった(怒)みたいな話し、よく聞くかと思います。
わたしも若い頃は、これが強かったです。
偽善者長女のクセ強めなので、とにかくやってあげなければ!みたいな義務感を勝手に背負っていて。
で、相手がそれに応えてくれないと悶々とするっていう、ワガママw
等価交換ではありませんよね。
あるとき、結局、自分が勝手にやりたくてやってることなんだな~って気づいたとき、相手の反応は「おまけ」なんだと思うようになりました。
自分が期待している反応が返ってきたら、めっちゃ嬉しいですけど、何も返って来なくても、「おまけ」なのだから、付いてくることもあれば、何も付いてこないこともあるし、おまけの内容は、自分が思っていたものとは違うことだってある。
「自分ばっかり!」と、損した気分になったら、やめ時だと思っています。
そう思ったら、とても気持ちがラクになって。
むしろ、そう思えるようになってからの方が、相手も受け取ってくれたり、お返しに応援してくれたり、先日も、「やさし風プロジェクト」にただただ共感してシェアしていたら、想像以上のご褒美がもらえたりすることまで起きるようになりました。
それはきっと、以前は、知らず知らずに「やってあげたんだから、そっちもやってよね!」みたいな無言の圧力も相手に渡していて、それがなくなったからだと思います。
そんな圧やエネルギー、相手も自分もシンドイですもんね。
やってあげたんだから、わたしが思うモノも頂戴!って、勝手な押し売りだし、心が貧しかったな~って今なら思います。
だからわたしは、「徳を積む」という言葉もあまり好きではありません。
じゃ~、徳にならなきゃやらないの?って思うから。
やってあげたいならばやればいいし、やりたくなければやらなければいい。
寄付をしたり、ボランティアをしたりもしますけど、「徳」は付いてくるか付いてこないか分からない「おまけ」だから、付いてきたらラッキーくらいな気持ちで、それを目的にしていません。
そして特に、年下の人に対してやったことは、忘れるようにしています。
「やってあげた~」と、いつまでも引きずるのは重いですし、むしろ、やってあげらるようになった自分の今の状況や役割に感謝して、手放すようにしています。
だって、イヤでしょ?あの時あれをやってあげたのは、わたし! わたしのおかげ!をいつまでもネチネチ思っていたり、ましてや「お返し」を期待されるのって。
過去は振り返らない男性性の双子座なので、忘れるのは得意なのかもしれません。
逆に、やってもらったことは意識して、忘れないようにしたいと思っていますが、「お返ししなきゃ!」と自分で自分の首を絞めることも以前よりは少なくなりました。
それはそれ、これはこれ、なんでもかんでもイコールにしなくていい。
あくまでわたしの場合はなので、誰にでも当てはまるとは思いませんが、わたしはこう自然と思えるようになったことで、よりラクに生きられるようになりましたし、相手から好意のお返しがあったときは、やってあげたんだから「当たり前」というのではなく、ものすごく「ありがたいな~♡」と素直に喜べるようにもなりました。
そして、今では、宇宙が応援してくれてる~♪と感じています。
夫から言わせると、ますます「おめでたい人間」まっしぐらですww
今日も一日お疲れさまでした☆
大地と宇宙のエネルギーを取り込んで、わたしからのマゼンタ色の愛をミックスして送ります♡
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