一人会議が終わらなくて、時期はずれの手帳を買った話。
近頃、朝は一人会議をしている。
議題はいつも同じ。「今後の方針を決める」だ。そして困ったことに、その会議がもう本当に終わらない。延々翌日に持ち越している状況なのだ。あまりに終わらないから、 noteに書き出してちょっと整理してみたい。
何から手をつけたらいいのかわからない私は、とりあえず本やYouTubeから目標達成についての知識をかき集めた。
まず大事なことは、すごく叶えたい目標を持つことだという。それは、どんな自分でありたいか、というビジョンでもある。「やらなくちゃ」ではなく「やりたい!」でないと、途中で力尽きてしまうことが多いらしい。
ビジョンを決めたら、それを叶えるために必要なことを複数項目挙げてみる。そしてその項目を細分化し、長期、中期、短期、と目標を分解していく。要するに叶えたい未来を逆算するのだ。
いやもう、逆算思考とか知ってるしっ!なんてちょっと舐めた態度で復習がてら方法を学んだ私だったが、これが実際に具体的に行動に落とし込めるレベルになかなかなってくれない。
そもそも美容師や看護師になりたいとかなら、専門学校へ通うなり資格を取得するなり試験に合格するなりして順番にクリアしていけば道筋は明らかだと思う。でもイラストレーターや作家などのクリエイターになりたい、というと途端に宝くじに当選するかのような現実離れした心許なさが滲み出てくる。
例えば作家になりたいなら、公募に応募する、出版社に持ち込む、Web上の投稿サイトを利用する、SNSで発信し続ける、 Kindle出版するなどの道が思い浮かぶ。これらを複数、目標に定めて一日のルーティンに落とし込み、淡々と続けることは可能だろう。でもそれを5年、10年続けてみたところで、芽が出ることの方が幸運なのではないだろうか。「作家業で家族を養って暮らしていけるようになる」なんてビジョンを掲げてみても、目標達成できるかどうかは、やることをやった上であとは運任せなところもあると思う。たまたま出版社の社員の目に止まるとか、映画化されるとか。そしてそのレベルに達して一度世間に認知された人たちでも、生き残っていくのは困難な世界だ。考えるだけで怖気付いてしまう。
AとBとCのタスクを終わらせることができたら、もしくはそれらの試験に合格したら確実にその職業に就くことができます、だったらいいのに。
とはいえ、その難しいと言われている職業についている人たちが実際にいるのだ。その人たちだってその不確実性のことは重々承知で、日々のトレーニングや小さな努力の積み重ねの結果、現在に至っている。少なくとも何も挑戦しないうちから、愚痴や文句や言い訳をうだうだと垂れ流し続けた人は一人もいないだろう。
本を読もう。noteに投稿しよう。Kindle本を出版しよう。
いつまでに?
一日何ページ?何文字?
何曜日に投稿する?
内容はどうやって決める?
とういうかこれ、そもそも何のためにやるの?
本当にビジョンに向かってる?
いや、私の場合それより何より一番必要なものは、体力と決断力なのでは?
そんなことをコピー用紙に書き出すだけ書き出して、とっ散らかったまま一人会議は明日へ持ち越しになる。‥‥なんという無能ぶり。良かった、もし就職なんてしていた日には、人様に迷惑をかけて会社のお荷物になるところだった、などと遠い目をして思う無職40代なのであった。
今日も何も決められなかった。
途方に暮れ、何となく去年や過去の手帳をパラパラとめくっていた。私は手帳や文具が好きだ。年季の入った皮の手帳に、仕事の予定、夢リスト、to doリストやアイデアなんかをびっしりと書き込んでいるバリキャリ女性などに憧れがある。でも私自身は手帳を使いこなせた試しがない。毎年前半だけ頑張って書き込むが、次第に空白が増えていき、何か書き込むことはないかと探すようになる始末。手段が目的になる悪例である。
過去の失敗作を眺めているうちに、何だか無性に手帳が欲しくなってきた。
今年買ったのは百均の薄いマンスリー型一冊だ。それも子供の学校行事をちらほら書く程度で、あまり役立てられていない。
試しに去年の手帳の空白ウィークリーページに、架空の予定や終了したタスクを書き込んでみる。見開きの左側は月曜から日曜まで横線で区切られている。一日ごとにnoteの投稿日、Kindle出版のための原稿を何文字書き進めたか、その日の読書のノルマページなどを書き込む。終えたタスクは線で消す。
見開き右側は、方眼のフリーメモになっている。こちらはnoteに投稿する読書記録のための読書メモに使えそうだ。エッセイのためのアイデアでもいい。なんだかいいイメージが湧いてきた。やっぱり手帳が欲しい。
早速お昼前に、散歩がてら近くの書店へ足を運んだ。数週間か一ヶ月前くらいに入店した時、その書店の一角に結構本格的な手帳がずらっと並べられていたのを思い出したからだ。六月も半ば。時期はずれだけれど、むしろ値引きされているかもしれないという淡い期待もあった。
が、手帳コーナーはすでに撤去されていた。がっかりして書店を出て、ぐるりと散歩して帰った。
お昼にお蕎麦を食べて洗濯物を畳み、床に寝転んで本を読んだり昼寝したりした。夕方近くなって「やっぱり手帳が欲しい」「今日欲しい!」となぜか強く思った。
とはいえ暑さと昼前の散歩疲れで、体力のない私のHPはすでに半分以下。いつもなら自転車で往復一時間ほどで行けるショッピングモールに行く気は起こらず、それならば、と電車で向かうことにした。
出がけにSuicaを見つけられず、息子からの「キャッチボールに付き合え」というしつこい誘いをかわし、自宅からの最寄駅でホームを間違え階段を余計に上り下りするといった、ちょっとしたトラブルに見舞われたが、なんとか目的地に到着。
だがしかし、2棟並んだショッピングモール内を練り歩き、手帳が置いてありそうな店舗に入ってみたが、目当てのものはどこにも見つけられなかった。六月半ばは遅過ぎたか‥‥。凹んだ。もう帰ろうと思ったけれど、最後に、最初に入った店に“日付けフリー手帳”なら置いてあったことを思い出し、もう一度店に行って手に取ってみようと思った。
手にとってその程よい重みを感じ、ぱらぱらと中をめくっているうちに「いいかも。買おう」と思えた。ただカバーが色違いで8色くらい並べられていたため、優柔不断な私が、選択にまたエネルギーを消耗する羽目になったことは言うまでもない。最終的に選んだ色は淡いブルーだ。
やっと購入できて店を出たら、ふっと気持ちが楽になった。鳴りっぱなしだったアラームを止めたような安堵感だった。
外出したら猫に遭遇することを楽しみの一つにしている私。今日は見かけなかったなぁと思っていたら、電車を同じ駅で降りた女性が抱えていたキャリーバッグの網目から、ミルクティー色のぶち猫ちゃんがちらり。満足して家路に着く。
手帳という強い味方も手に入れたことだし、明日の一人会議こそ一区切りつけてみせるぞ、と固く誓うのであった。