私の存在意義を考える
世界遺産と言う番組が好きで録画して観ている。最近の回では、「ラオス・ルアンバパーンの町」がやっていた。見覚えのある風景。記憶が曖昧だが、かつて私の長男が、人生初の一人旅で世界に繰り出したのがその街だったと思う。息子から送られてくる写真に思いを馳せ、一人旅の息子の身の安全をひとりで案じていたあの頃のしんどさを思い出す。
息子の写真から息子が観ている世界を感じ、楽しみと共に不安だった。我が子が自分の手からどんどん離ていくのを感じ始めた頃。
紆余曲折の人生で、40歳からシングルで育てた息子達。長男の息子の自立は特に私の思いより遥に早く、その存在は遠くなって行った。息子が大学生の頃である。そのスピードについて行けず、私は誰にも相談出来ず、不安だった。
ルアンバパーンではオレンジ色の布をまとったお坊さんの托鉢と言う修行がもう何百年もの間、行われている。その様子を番組で観ていた。その様子はもはや観光の一つでもあり、息子もその写真を撮っていたので観たことがあった。
そんな中ナレーションで、未成年の子どももその中に多く居るという話。
9歳のその少年は、両親を亡くし、出家したと言う。9歳で両親を亡くした子ども。世界では過酷な環境下で生きている子どもがたくさんいる。同じく日本にも・・・。
私が保育士資格を平成30年に取ったのは、そんな家庭環境に恵まれない(この言葉は使いたくないが)子どもに寄り添った仕事がしたかったから。そんな自分の過去の思いも思い出しながら、これからの自分の道を探っている私は、もう息切れしそうな毎日でもがき彷徨いながら生きているけれど、その9歳の少年を思った時、私はなんてちっぽけなんだろうと思う。
みんなそれぞれ事情を抱えながら生きている。人の悩みや苦悩は千差万別で、それぞれに向き合っていかなければならないものだ。
時に孤独を感じながら、それでも人に救いを求めて生きていく。
生きられる、と言うのはとても幸せなことに思える。けれど、生きていかなければならないからこその苦しみもあり、生きているからこそ見える世の中の悲しみを受け止めてしまうこともある。
それでも、生きていかなければならない。
私は、一般の認可保育園での保育士を7年間やって来て、それに終止符を打った。理由は、一言に言うと、その世界が私の性格に向いてない。そして、私がやりたかったことはそれではない、ということ。
さぁ、私はこれから、社会的に養護が必要な子どもに対して、関わっていくことが出来るのだろうか。私のここにある意味。これからの存在意義をそこに向ける気力はあるのだろうか。
燃え尽きた私にとっての最善の道はきっと一つではないが、今の自分にできることを探し続ける旅にまた繰り出そうとしている。
久しぶりにnoteを開けて、これまで自分が書いた記事をパラパラと眺めていた。今年の初めに書いた記事、今とそれ程変わらないやん・・・と思った。
追伸:うつはほぼ寛解しています。