罪の意識と償いの行動

自分を改めて振り返った時、私の中にはいつも
誰かに対する罪の意識を持っていた。
自分が罪深い人だと思うようになったのはいつからだろう。
おそらく、1度目の離婚をした時からだろうと思う。

二人の幼い息子が居たので、息子達に悲しみを負わせた罪の意識。
夫の両親から孫を引き離してしまった罪の意識。
自分の親に心配と迷惑をかけた罪の意識。
そして、夫にさえ、息子達と引き離してしまったという罪の意識。

それから後にも、新たな罪の意識は次々と生まれる。
生まれた時は、まだその罪の重さにはそれ程気づいていない。
積み重ねた先に振り返ったときに初めて、罪の意識は生まれる。

それは、感謝の気持ちと隣り合わせだ。
その時に苦しみを共に分かち合ってくれたこと、
私の決意を後押ししてくれたこと、
何も言わずに見送ってくれたこと、など
言い尽くせばキリがない。

だから私はそれらの自分の犯してきた罪の意識を一つ一つ丁寧に
浮き上がらせては、出来るものならその人達に恩返しをしていきたい。
そのために自分が振る舞うべき行動を考える。
押し付けにならず、さりげなく、その人達と丁寧に向き合っていく。


年月が経った。
あの時は自分も辛かったんだと、自分を主張してもどうにもならない。
ひたすら相手の心地良い寄り添いを考えていきたい。
そして私はこうしていつどんな時もあなたの味方です、と言葉より心で伝えることが出来たらいいなぁ。


人間はみな、罪深いもの。それに気づいているか気づいていないかの違いだけ。罪深さを受け入れられた時に初めて、関わった人たちに心が通じるのかもしれない。そうであったらいいな。

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みほ
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