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1月4日に思うこと
年末年始、スイスから帰国している長男夫婦が三泊で帰省してくれた。
ひとり住まいの寂しさも吹っ飛んで賑やかな日々だった。
若い二人の仲の良い光景に心が和んだ。
オーストラリアの新婚旅行から元旦に帰国した次男夫婦は2日に会いに来てくれた。でも・・・。一人暮らしのこの家に全員がくつろぐスペースはなく、また、近くで暮らすひとり暮らしの母をひとり置いておく訳にもいかず、実家に集合した。
私の家で元旦に作ったお雑煮もその後食べる機会がなく、三日に大量に捨ててしまった。何だか虚しく悲しかった。次男の奥さんは初めてのお正月だったので、私の作ったお雑煮を食べて欲しかったけれどそれも叶わず。まだまだお雑煮を作る材料が残っている。それを私はひとりでまた作って食べるのか。。。
自分の家が広かったら母も呼んでみんなが集まって、私主導でお正月を迎えられただろうけど、それは永遠に叶わない。リビングテーブルもかろうじて三人なら座れるけれど、普段はひとりで使っているので、丸くて手頃な大きさの二人用のテーブルだ。誰かが帰省しても泊まれるようにと一人暮らしを始める時に家を借りたので、普段は一人暮らしでは広過ぎて有り余るこの家も年末年始には何の役にも立たない。今後のお正月の過ごし方を考える年明けだった。
母もすっかり老いて、まだまだ元気だけれど娘の私から見るとやはり老いていて、何か抜けている。お正月の準備も前々から色々と考えて用意してくれていたけれど、何か物足りなくて、スッキリとしないお正月だった。
母の老いと息子たちの独立。そして、ひとりの私。
年が明けてからも何だか一人になると涙があふれ出てきて止まらない、まだ元気だけど老いた母とこの私の家の環境に、今後どうしていったらいいのかとしっくりこないお正月明けの朝。すっかり疲れ切った胃袋に何を口にしても美味しいと感じないお正月。
2025年、私はひとりで生きる覚悟をしている。いよいよ私は、ひとりで生きていく。新しい仕事を控えて、本当は私は何がしたいのか、今は何も浮かんでは来ない。喫茶店も山登りも心に余裕がないとそれすらも向かう気持ちが生まれない。
可能なら残りの人生、旅をたくさんして行きたい。足腰が弱ってたくさんは歩けなくなった母も連れて行けるなら尚いい。けれど、先立つものがない今は、とにかく働いて貯蓄をしないといけない。仕事を増やすと休日が減る。
どちらも得るいいバランスが見つからない。
何をしている時、何を考えている時が、私は幸せなのだろうか?
2025年は、ひたすら自分を向き合うことになりそうだ。
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