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はじまり

ある時、「本、好きなひと?」と訊かれた。

彼は空気のような人だった。その存在を大きく主張するでもなく、掴みどころがないようにも見えるのに、ふとするとその存在をとても身近に感じる瞬間もあった。一度しかお会いしたことはないし、もしかしたらあちらはもう覚えていないかもしれない。でも、折に触れて思い出すことがある。

それは、私がお会いできて嬉しかったという旨のメールを送った際、返信されてきたメールに添えられていた言葉だ。当時の私には全くと言っていいほど本を読む習慣がなかった。漫画は読む、演劇は見る、仕事で必要な文章は読むが、ビジネス本や自己啓発本の類は全く読まない。「言葉が豊か」で「充分な読書経験をされていると感じた」という彼の言葉に、いやいやとすぐさま否定をしたのだが、待てよ、と。小学生~中学生時代は、文学小説を山のように読んでいたのを思い出したのだ。母親の趣味で家に小説が置いてあったこともあるし、学校の読書マラソンのような企画でクラスメイトに負けじと図書館の本を読み漁っていたこともある。そして、当時の私は作文が好きだった。小説のように面白い文章を書きたいと思っていた。この表現が好きだ、この書き出しが好きだという感覚を持ちながら、本を読んでいたことを思い出した。自分は本を読まないと思い込んでいた自分にとって、この気づきはとても新鮮だった。

どこかでビジネス本や自己啓発本もしくはそれに付随する分野の本を読まなければいけないと思い込んでいた節がある。小説だって人気作を読まなければいけない。それらを読んでいなければ、本を読んでいることにならない、と。

そして数年経って、再び彼の言葉を思い返すことになる。

頭の中を整理するのに文章を書きたいと思ったものの、いざパブリックな場に自分が書いたものが晒されるのもどうかとしばらく二の足を踏んでいた。なぜかと言えば、読み手に取って価値のある文章でなければいけないとも思っていたのだ。しかし、読み手とは誰なのか。その読み手には顔も名前もないことに気がついた。なぜ書くのか。自分のために書くのだ。ここまでが、パブリックな場に文章を書くことを躊躇っていた私が、noteという媒体を借りて記事を書き始めることになるまでの経緯である。

初めはオフラインの日記にしようかと思ったのだが、人生で続いたことがないので心許ない。その点、noteを利用すると「〇〇日連続投稿!すばらしい!」なんて上手くノせてくれるのだからありがたい。自分のために書いているとは言ったが、読んだ人が「スキ」してくれるのも嬉しい。

そんなこんなで、現在1日1本、記事を書くことを日課にしている。

今日で14日目。二日坊主の私にとては、もやは奇跡に近い。
まずは目指せ30日。


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