男女平等 8.5

初めに

熱中症もどきから1日、無事回復し仕事も無難にこなした。いつも通りの日々の復活である。
1日寝れば治るのが特技である。心の傷も体の病も。とうの昔の失恋だけは乗り越えるのに時間がかかったが。


実現不可能

さて、これまた色々な所に怒られそうな表題をつけてしまった。あくまで22歳のガキが書いている文だと思って読んで欲しい。
近年、ただひたすらにLGBTQだとか男女平等だとかやたらめったら謳われている。無理だろ。うん。
もう一度言う、22歳のガキの戯言だ。深く考えないで欲しい。叩かないで欲しい。
そもそもの話、声を上げて権利を主張している人が望んでいるのは「男女平等」だとして、世間が叶えたいのは「男女公平」のはずだった。それが声が大きい主張者によって本格的に平等になってきているわけである。
大前提、筋肉量や体格が生物学的に異なるにも変わらず男女が平等に過ごせるわけが無い。その癖、女性にも社会進出の機会を与えろだの何を言っているのだ。もう整っているだろう充分に。本当に男女平等を望むのなら、肉体労働に勤しんで欲しい。声が大きい主張者さん達に。LGBTQも公平を超えたと思っている。声が大きい人達のせいで性的マジョリティが虐げられていいのだろうか。実際銭湯やトイレで問題が起きているわけで。無論、女性が働くことやLGBTQの方々への嫌悪感は全くない。
これだけ書いているが、謙虚に生きている方々の権利主張は全力で応援しているし支持したい。
他者の生活を貶めてまで自身の権利を主張する人々への苦言である。


公平

そもそも平等と公平では大きく違う。
世間が思う男女平等が、真の意味で男女公平であると認識しているがどうだろうか。
男女平等になってしまうと先に書いた肉体労働も同じ負担を女性側にかけてしまう。しかし、男女公平であれば別の場所で、別の機会で女性が取り組みやすい仕事を与えることが出来る。
平等を謳うのなら同じ仕事、同じ量、同じ時間を同じ賃金でやって欲しい。
公平を願うのなら男女それぞれが向いている仕事で効率よく稼いで欲しい。
私が望むのは公平な社会。


締め

長々書いたが、平等であろうと公平であろうと日本全国民が願う通りにいくのは当然難しい。結局は多数が望む世界になってしまう、それが民主主義だから。ただ、そんなマイノリティを軽々と切り捨てるような社会人にはなりたくは無い。だとしたら、そもそも「男女」という表現すらも適切ではなかったのかもしれないが。


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