見えるようになったらなあ
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「見えるようになったらなあ」と思わないわけではない。
さて、私の実家は田舎なこともあって、ちょこちょこお家にお客さんが来てました。
かべちょろやら、コウモリやら(めっちゃヤダ)、すずめやら。。。
そういうときは決まって父が外へ連れ出してくれてました。
(お父さんありがとう)
実家を離れて一年目。
夜蒸し暑くて、窓を開けてしまったのがまずかった。
小さい厄介者が割と大勢いらっしゃいました。
羽アリ。
気づいた時には照明にすごい集まってしまっていて、時すでに遅し。
「まじかー、もー、嫌やーー」と、うなだれる隣で、
「いるの?」
と忘れていた一言。
えぇ、います。いますとも。大勢。
おかげで、状況を飲み込みましたので
『分かりました。。。頑張ります。。。』と机に登って退治に入りました。
隣ではようやく耳で察知したらしく(照明に当たってコンコンいっていた)
「だあ!!」 「があ!!」
と悲鳴をあげはじめたトモ。。。(虫嫌い)
一人何かと戦う妙な動きもそれはそれで面白かったものの、
『見えてないだろ!』と言いたくなる気持ちを抑えられたかは覚えていない。
どうもこうも身長が足りない私の隣で
「スプレー買いに行こう」と、ごもっともな言葉がかかる。
『運転すんの誰と思っとるんや!』とキーキーなりながら、私服に着替え買い物へ。
「おかえり」と言わんばかりにめいめいお残りになっていて、
泣く泣く退治を再開し、「まだいる?」という確認にも「おるけん、やっとんじゃ!」と噛みつき(笑)
亡くなった者々のお片づけまで済ませ
「ありがとう」の言葉に、息荒く「あぁ!」と応える始末。(何て態度だ)
「見えるようになったらなあ」と言う気持ちは変わりませんが(そもそも見えにくい個人のせいじゃない)、
一人で戦わずにいて良かったな。と、奇妙なお供に感謝です。
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