ニックド・ドレイク

こんばんは、ご機嫌麗しゅうでございます。突然ですが今の語り手は平野 望と申しまして、mihauと一緒に演奏をしているdysfreesiaという名前は僕のものです。intonarumori (playing)はこれまでmihauが行う趣旨のものだったのですが、あらゆる変遷や皆の多忙などから考えて少しリニューアルを…という話になり、今日から僕も参加(とか言いながら、一回だけ書いたことがあったのを今思い出しました)、隔週更新でお届けしようと思います。

という訳で!

のんちゃんからもらった「に」で考えていて、「ニーズ」がありそうなのにそこまで深くされていない音楽の話をひとりくらいするべきだろう…演奏家でありバンドなのだから…ということで音楽の話をします。

孤高の寂しがり屋系SSWの代表格と言えばニック・ドレイクに違いないと思いますが、僕はこっちも入れ込んで聴いていたのです…というのはニックド・ドレイクのこと。

『Wraith』というこの作品はニック・ドレイクのどストレート過ぎるカバー作品集で、ニック・ドレイク・リスペクト盤は数あれどここまでマニアックなものは多分ありません。何がマニアックかって、これ完コピなんですね。カバーとかでなく、完コピ。”wraith”とは生き霊の意ですのでもうまんまなのですが、ニック・ドレイクのサウンドから奏法に至るあらゆることをそっくりそのまま再現することに注力し過ぎていて、自分の色を足すということに全く無頓着であり、そうするとまるで我がないようにも思えるのですが、その我のなさにこそ最大級のエゴがある…という捻くれかつ奇天烈盤です。当時働いていたお店で彼の作品を見かけた時、抽象的な風景画のジャケットに惹かれたことを思い出します。そうして聴いてみれば僕の好みど真ん中の「憂鬱症のサウンド」でありまして、一時期はこればかり聴いていました。

「憂鬱症のサウンド」は「うつ病患者の音楽」とは根本から違います。それ即ち「揺れ動く心の波を平たくする」為のサウンドであって、ダイナ・コンプみたいなものですね。ダイナ・コンプ…はギター版のお布団圧縮袋みたいなものです、より分からなくなりそうですが…。音量やテンションの増減によるダイナミクスではなく、必死に自分の心を落ち着けようとする抑制によってニック・ドレイクの音楽は動いていますが、こちらのニックドさんはそこにささっと現代的な音響の感覚を付け足すことで、ニック・ドレイクの孤独を生々しく甦らせるようでした。

で、このニックドさんは当然芸名でございまして、本来はガレス・ディクソンというお方です。ガレスさん本人の作品も非常に美しい造形のサウンドの宝庫なのです。12Kというアンビエントの総本山的レーベルからリリースされてきた彼の作品は、フォークの質感とアンビエントの質感が見事に融合していて実に耽美的、深く聴くことを嫌でも余儀なくされちゃうようなもの。こうしてニックド・ドレイクからガレス・ディクソンへと流れついた僕の関心の一端は今でも彼に向き続けております。彼のレコードをずっと探しているのですが、日本ではほとんど流通していなかったのか本当に見つからない…。


さて、ここからは自慢タイムですが、実はそのガレス・ディクソンとお会いしたことがあるんです。それはUKの伝説的フォークシンガーであるヴァシュティ・バニアンのライブへ行った時のこと、彼女のサポートとして来ていたのがこのガレス・ディクソンだったのです。もともとヴァシュティさん見たさでチケットを買ったにも関わらず、ガレスさんが一緒に来ると知った途端に目当てが彼へと変更されました。なんという卑近ぶりか。当然演奏は本当に素晴らしくて終始うるうるだったのですが、終演後にサイン会するらしいよ…と聞きつけ会場を覗いてみると、ガレスさんもいらっしゃるではないですか!!!! ということで僕はヴァシュティ・バニアンそっちのけでガレスさんのCDを買い(伝説的フォークシンガーよすみません)、ヴァシュティさんを囲むサイン会を微笑むように眺めているガレスさんのもとに行き「は…ハイ!」と話しかけました。のですが、これまでの生涯で一番と言っていいほどド緊張してしまった僕からは英語の授業で習った文法など全て吹っ飛び、「ラブ」とか「ビューティフル」とか「ハッピー」など英検5級くらいの語彙による単語をただの勢いだけで捲し立てるメガネのナードを前にガレスさんはすんごいポカンとしていました。それでも「サイン」というワードを聞き取った彼は優しく微笑んでサインに応じてくださり、こうなると逆にガレスさんも僕にたくさん話しかけてくださるようになるのですが、僕が今度は困惑する番に…というのは、ガレス・ディクソンはものすごいグラスゴー訛りの持ち主で、サンキューすらなかなか聞き取れないのです(本当に)。だもんで、お互いに口元はニヤニヤしながら何を言い合っているのか全く分かっていない、だけども心は通じ合っているような、そんな奇妙で不思議なグルーヴ感があの日の僕たちの勲章です。

これがその時のサインしてくれたCDです。宝物です。チャーミングなイラスト入り。
実はもう一枚あります。なんでこっちには”again”と書いてあるかって、ヴァシュティのライブの次の日にあったガレスさんのソロライブにも行ってもう一度サインもらっているからです。恥知らずですね。

ちょっと話が脱線しますが、ガレス・ディクソンの足元の機材にはRATというグランジキッズマストなディストーションファズの名機が組み込まれているのですが、それを見たどなたかが「超意外…」と言っているのをこの会場で聞きました。その時僕は「んなわけねぇべよ」と思ったのをよく覚えています。美しい音楽は濁りと内省の醸成から生まれるものだと僕は思うからです。嗚呼かつてのガレス・ディクソンも鬱屈した青年だったのだろうな…パンクロックばっかり聴いていたような…と想像するだに、自分のことのようでさらに好きになってしまいます。不器用な人間は世界のどこにでもいるのですね…。

最近リリースがぱたっとないのですが、お元気にされているのでしょうかガレスさん。またお会いしたいものです。あの時よりは英語が話せる気がします!頑張ります!

今日はこのくらいで!
次は「く」でお願いします!

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