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20歳の誕生日

物心ついた頃には、母から「お前は社会では生きていけない。死ぬしかない」と口酸っぱく言われてきた。
自分でも頭が悪いなと思うのだが「ああ、そうか。じゃあ20歳(成人)になったら自動的に死ぬのだな」と長いこと思い込んでいた。

19歳の時、私は真剣にもうすぐ人生が終わるのだと思った。
19年間社会で生きていく術をあれこれ試してみたつもりだ。
役者は周りから評価されてお金ももらえた。倍率50倍以上の養成所にも入った。500人規模のオーディションにも通った。
旅先で偶然NHKのプロデューサーに拾われたり。ルームシェア先を探していて日テレのプロデューサーと知り合い、芸能人の卵みたいな男の子たちとルームシェアをすることになったり。大きい仕事から逃げようとして軟禁されたり。国宝らしい舞踏のおじいさんに出会った日に結婚を迫られたり。
大きなお金が入ってくるような波はあったと思う。何回も。
でも、上手くやれなかった。やらなかった。

私は今の自分のまま有名になりたくなかった。
人に自分のことが知られる時は、幸せな自分でいたかった。
歯車は、いつだって噛み合わない。

実家のマンションに戻ってベランダの柵の上に座って、何日もぼーっとしていた。
あと数ヶ月で死ぬなら、どうしようか。

facebookで知り合いが成田山で断食をして楽しかったと書いているのが目に入った。
断食でこのドス黒い体が少しでも綺麗になるなら、それもいいだろう。
私はそこから断食に向けて摂食を始めた。
ダイエットには慣れている。

寺で断食を1週間するためには医師の診断が必要だった。
医師は私の血を検査すると「サラサラすぎる。あるはずのものが全然ない。とても断食できる状態じゃないですよ」と慌てた素振りをした。
よく分からないけど、栄養がないということだろうか。
「どうしてもというなら止めないですけど、多分倒れると思います。その時はすぐ救急車を呼んでください」
きょとんとしていると、書類にサインをしてくれた。
まあ、許可は出た。

誕生日の10日前から断食を始めた。
ヤカンが1つ渡されて、毎日最低でもやかん1杯の水は飲んでくださいと言われた。
もうすぐ春で、花や土、お香の甘い香りが常にしていた。丸くてあったかい匂い。しかし気温は低く、風は冷たかった。
私以外の断食者はみんな大部屋のコタツに入ってトランプをしたり、漫画を読んだりして過ごしていたと思う。
私は殆ど外で景色を眺めていた。
ぼーっとしているとお参りに来た人に急に腕を掴まれて揺らされた。
「大丈夫ですか? 救急車を呼びますか?」
どういうことだろう。一瞬、救急車を呼んでくださいと言った医師の顔が浮かんだ。
「…ああ、今、断食修行をしているんです」
「え?! そう、ですか…顔色が真っ青だったので…すみません、余計なことをして」
「いえ、こちらこそ、なんだかすみません」
そしてまた景色を見る。
白木蓮の花がひらひらと落ちていく。
鯉がぱくぱくと水中から口を出す。
亀が日向ぼっこを終えて水の中に入っていく。

毎朝6時だったか祈祷に参加する以外は自由時間だった。
毎夜、寺の外にご飯を食べにいくダイエット目的の大学生は「痩せようと思ったらここに来ることにしている」といつも布団の中で言っていた。
奥さんの好奇心から旦那さんと2人で参加した3日断食(予定)は、1日で怒り狂った旦那によって強制終了させられていた。
なんだかいろんな人がいたけど、誰とも大した会話をしなかった。
1日目は断食が終わったら何を食べようかなどと考えていたが、3日目くらいになると食べ物のことを考えなくなり、体が少し軽くなったような気がした。
食べ物のことを考えなくて済むと結構時間が増えるんだなと思った。

私はきちんと綺麗になっているだろうか。
桜の蕾が膨れてくる頃、私の断食修行は終わった。
お粥が出されて、少しずつ固形物を取るように言われたが、帰り道に鰻重を食べて帰った。
1週間何もものを入れていなかったはずだが、胃はびっくりするほど通常運転だ。痛くも痒くもなかった。
本当に断食なんてしていたのか、疑わしくなるくらい、何もなかった。

誕生日の日、いつものようにベランダの柵の上で空を見上げながら「あー、いつ死ぬんだろう」と待っていた。
そこで初めて気づいた。
どうやって自動的に死ぬのだろうか。

3日くらい様子を見てみたが、死ぬ気配はなかった。
そうか、自分で死なないと死なないのか。
当たり前のことに気づいた。

死に方について色々考えた。
母は「私に迷惑をかけるな」と言う。
長年の刷り込みにより、それは私の中で絶対的なルールになっていた。
私が死ねば後片付けで迷惑をかけるだろう。見えないところで死んでも行方不明として探さねばならなくて迷惑だろう。
迷惑をかけないで死ぬというのはなかなかハードルが高い。

思いつくだけ死に方を書いてみる。
うーん、確実に死ぬことすらなかなか難しいのではなかろうか。半身不随とかになって一生逃げられない事態は避けたい。
小学生の時に「八本脚の蝶」という何回も自殺するけどなかなか死ねない女性のブログを本にしたものを何回も読んでいて、自殺に成功するのが結構大変だということも知っていた。

『完全自殺マニュアル』(鶴見済 太田出版 1993.7)によると、もし確実に死にたいなら、「地上から20m以上、だいたい7~8階から飛び降り」ればいいらしい

八本脚の蝶

このマンションで実際に飛び降り自殺があった時には下に小学生がいて、地上15階くらいから飛び降りた女性は無事で子供が何人か死んだらしい。
なかなか確実なことはないものだ。

当時の私が思いついたのは、死ぬのではなく、存在を消すということだった。
私なんていないように生きる。
誰の目にも止まらず、誰の記憶にも残らず、誰にも迷惑をかけないで。そっと消えたように生きよう。それなら出来そうな気がした。

私は死ぬんじゃなくて、消えよう。


消えたように生きるためにもお金はいる。
まずは身近な課題から解決していこう。
私は「演技を続けると人格が壊れそう」という理由で演技禁止の指示を受けていた。
一応指示通りに医者に通って、毎回医師に怒られていた。
「甘えてる。あなたより辛い状況の人はたくさんいる!」
そんなこと言われてもな、という感じだった。私だって来たくて来ているわけじゃないのに。
病名も特になし。問題なし。でも薬は大量に出る。不可解だった。
治療費が高くて行かなくなったけどもう1度医者に行こう。(決意のもと複数行ってはみたが、どこも怒られて病室を追い出されることになった)

そういえば昨年、演出家から音痴すぎるからレッスンを受けなさいと言われていた。
そうだ。
役者に戻った時の準備のために、歌を習おう。

お金を稼がなくちゃならない!

死ぬことも生きることも諦めて、消えるために、私は前向きに努力を始めた。
そこで見つけた人生の師になる歌の先生に
「あなたを初めて見た時、怪我をした野鳥を見たみたいに、ここで拾わないとそのまま死んじゃうんだろうなと思った。電車に飛び込む直前のサラリーマンみたいな笑顔を貼り付けていて、こんな子供がいるのかってびっくりした」
と言われた。
知り合って5年経った時くらいだろうか。

死ぬつもりなんて全くなかったのに、見当違いも甚だしい。
そう思った。
それでも、周りから私はそんなふうに見えていたようだ。

私にとって、諦めることは頑張り続けることよりも大切かもしれない。
頑張り続けて上手くいくことなんて殆どないのだから。
問題は心の底から諦めることは、案外に大変ということだ。

絶対に幸せになってやる。生き延びてやる。
幼少期にした決意を、この日やっと私は諦めた。

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