クリエイティブウーマン
【クリエイティブウーマン】
自分の力で「新しい価値」を作り出し、自由に発信し、キャリアも自身でクリエイトする女性たち。
女性の社会進出が進む中で生まれたこの言葉。代表される女性には、FacebookのCOO、シェリル・サンドバーグや女優のエマ・ワトソン。お笑い芸人の渡辺直美などの名前が上がる。今年に入ってすぐの頃、女性が自由に働くために、副業であったり現在働いている会社から独立しようとする女性を応援するセミナーを受けた際に出会った言葉だ。
そのセミナーを受ける女性達は、前を向いてなにかを変えたい!と思っている人もいれば、現状に不満を抱え、どこかマイナスのエネルギーを発している人など様々で、言わばリスタートという地点に立っているという感じ。
私はその中でひとり、異色だったかもしれない。大学卒業前の、一般的に言ったら春から就職をして、これから働き盛り。リスタートではなく、スタートの位置にいるはずの世代の女性である。でも、私の人生のなかでは、リスタートだった。一般的に考えられる世代の女性とは違うけど、私の人生のなかでは、続いていくはずだった道から急に見えた新しい道を進むという分岐点に、現在立っている。
今回は少し長くなるが、私がクリエイティブウーマンになりたい、フリーランスになりたいと考えるまでの過程を綴りたい。
私の両親は、私が生まれる前から表現の世界、特に演技の世界で生きていた。父親は劇作家・演出家を経て演技講師。母親は女優だ。小さい頃から凄い!変わってる!羨ましい!ミハルちゃんも?鼻につく!そこまで有名じゃないじゃん?気取るなよ!なんかムカつく!等々、様々な言葉をかけられ生きてきた。
まあなにを言われようとそんな二人の元に生まれてきたのは事実であり、二人の感覚の中で育てられた。やれ暇があれば父に映画につれて行かされ、やれ母の仕事のセリフ合わせに付き合い、やれ両親の舞台の時は劇場の事務所で子守られ(?)、とにかくその環境が普通であった。金銭感覚もたぶん、いや絶対違って、収入の不安定さと言ったらここに書ききれないほどのエピソードがある。
そんな中思春期を迎えた私は、両親の理想とする安定した公務員を目指すはずはなく、歌手になる!ダンサーになる!女優になる!と言い出した。(両親はがっくり肩を落とした)私が芸能の世界で生きないわけないじゃない!だって当たり前でしょ?二人の子供よ?出来るに決まってる。くらいの勢いというか、感覚で将来の自分を見据えていた。
そして、過程は省略するが、日芸に入り、大学で演技を学びだした。
大学入学前の単発的なダンス公演だったり、お芝居ではなく、それだけを考えて生きた。生活するにも、これは何に活かせるかな?と暮らして、芸能事務所を探さなきゃ!売れたい!食べて行かなきゃ!それだけ私は芸事が好きだし、何より覚悟がある。ステップアップしていかなければ意味が無い。この舞台に出演することは売れるためにどんな意味がある?何もかも、必死であった。また、大学の授業ではみんなひと通り同じ役をやる。ジュリエットの柄でなくても、ジュリエットをやらせてくれるのだ。こんな私でもヒロインと呼ばれるものは演じたし、その役を演じる快感もあった。だからこそ、私はこんな演技もするんだ、やっぱりこれでやっていくしかない。そんな思いでいっぱいだった。
そんな中、大学2年の頃、そのやる気と夢みる夢子ちゃんをぶった斬る出来事がある。
芸能事務所に入ったこと。
芸能事務所というのは、ドラマ、広告、映画など案件があり、その案件に自分が当てはまったら採用されて、撮影になる。売れない間はこの繰り返しだ。スターさんじゃない限り、あなたにこれをやって欲しい!と呼ばれる仕事は0に近い。これは当たり前のことだし、私はそれでも、売れるためなら大丈夫!そのために今まで頑張ってきた。やっと自分の表現でお金がもらえる!という気持ちだった。
が、現実はそうはいかない。
案件に当てはまらない女なのだ。私の見た目は実年齢より10は上に見られるし、事務所に入りたての頃は今より10キロ近く体重もあった。そんな私に渡す仕事はねぇ!と言われるのも仕方ない。
そこで私は、自分を磨くことにした。でもこれは本当の意味で磨くということではない。
案件に合う女になろうとした。まずはダイエット。無理なダイエットで身体を壊した。それでも、現場で合うタレント達より顔は小さくならないし、緩やかな身体のラインがある。次はこれを自分のキャラクターにした。ちょっとエロちっくで女性らしい女。そのために、ずっと短かった髪を伸ばした。仕草も大人っぽく。
そして私はどんどん作られた私になった。
何かが違う、これじゃない。でもやりたかったこととは違うけど、売れるためには仕方ない。
私の価値観は売れることになっていた。商品になって選ばれることに。
今思えば、その中で舞台に立ってお芝居をするのはストレス発散のようだった。自分を出せる。これが私の演技。演じるってやっぱり楽しい。これがやりたいことだ。
そのもやもやを抱えたまま、だんだんと案件にエントリーしたり仕事を頑張る気持ちがどんどん小さくなっていった。
そんなある時、単独公演のお誘いを頂いた。
ミハルちゃんのそのままをやってみない?
やっときた私のチャンス!そのままの私を、表現をお客様に魅せてもいい機会が出来たんだ。
これは、今の私、志を持つようになる出来事であった。
この単独公演は今までの人生の中で一二を争う嵐のような出来事で、一言で言うと、辛かった。
声をかけてくれた主宰の人が飛び、(放棄されたということ)演出、主演、スタッフ手配、お金の管理、その他諸々全て自分でやらなければならなくなったのだ。もう公演の開催を発表した後だった。
意地になった。ここにきてこの公演をやり遂げないわけにはいかない。せっかくのチャンスなんだ。自分の人生に、キャリアに黒歴史を作る訳にいかない。その気持ちだけで強行突破を決めた。
ここまででわかる通り、私の中に私しかいなかった。
私のため。だった。全てが。表現することが私のためのものだった。
この公演は結果的に、いい形で終わることが出来た。でもこれは完全に、私の出した結果だけじゃなかった。
私を支えてくれるスタッフが、お客様がいた。
スタッフは時間の無い中、言葉足らずの私の表現したいものを形付け、お客様を集め公演を打とうとしてくれた。
そして何より、お客様が受け取ってくれた。というより発信してくれたのだ。
公演中、私は今までで初めて、何も自分から発信しないという体験をしたのだ。
表現はしている。演技をして踊っている。でも、初めて自分からやる、という感覚が無くなったのだ。お客様の感じたことを受けて表現する感覚。一瞬自分の身体じゃない気がした。
今私は、お客様がみたいものを表現している。
終演後、沢山の感想を貰い、自分のやろうとしていたことと違う表現を受け取ったり、それに涙した人を見た。
これは今までの自分を全て否定した。私は今まで自分のために表現していたんだ。自分が表現したいものを表現して、仕事においても、私が一番だったんだと気づいた。全て自己満足だ。
この公演が、クリエイティブウーマンになりたいというきっかけになったのだ。
(やっと結論になったけどもう少し付き合ってください)
それまで、スタッフありき、お客様ありきだって思ってはいたけれど、理解出来ていなかったのだ。
もっと私は誰かの為になるものを作らなければならない。これは案件に自分が当てはめていく、受動的なものじゃなく、私が作らなければ。
それが私の出した答えだった。
私は先にも書いた通り、両親あっての、演技という表現を選んでこの道に進んだ。でも、誰かの為に何かをしようとした時、この表現媒体を選ぶ必要は無いのではないか。
たしかに、今までやってきたことであり自分の持てる技術はこれしか今はない。だから、これからもこの表現媒体を、演技をダンスをやる。でも、もしこれだけでは人の為に力を出せないならば、他のことでも挑戦してみればいいんじゃないか。
そう考えるようになった。
だから私は、クリエイティブウーマンになりたい。
自分のキャリアは自分でつくる。自分の道は自分でつくる。
何より、誰かの為になる術は、私がこれからつくる。もう既にあるものに当てはめてるのはもう辞めよう。
これが私の、クリエイティブウーマンに、フリーランスに、なろうと考えるまでの道である。
さいごに、先週大学卒業にあたって教授と面談をした。大学4年間を生きて至った考えであるこの話をした時、ある言葉を渡された。
GET.HAVE.GIVE
???と思った貴方、ちょっと変わった教授なので最後まで聞いてほしい。
人生において、私が色々なものをGETし、HAVEしたのが、この4年間。
これからはGIVEしなさい。世の中に与えなさい。
私は大学を卒業し、これからGIVEしていく。身近な人に、誰かに、世の中に。
そんな女性になるために。
私は人生をリスタートするのだ。
クリエイティブウーマンになる。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございます。これからこれを読んでくれた貴方を含め、世の中のために、生きて動いていこうと思います。まだまだ身近な人を些細なことで傷つけてしまう私だけど、少しずつ、与えられる人間になれるように頑張ります。
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