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朝日ウルルン滞在記〜ベトナム編2〜EP4.幸せの枕詞


さよなら大好きな人。
さよなら大好きな人。
ずっと大好きな人。ずっとずっと大好きな人。
ずっとずっとずっと大好きな人。




これはナムの十八番である。聴きやすいらしい。日本の曲かけるか!!と、ベトナムのEDMが終わった後流したのが、花*花の「さよなら大好きな人」だ。
絶妙なチョイス。まだお別れには早いし、助手席のリンはテンション爆上げであるのに、ナムはしっとり鼻歌を歌う。ちなみに半音ズレている。私が仲良くなる人にはなぜか半音ズレている人が多い。


ふたりが聴き取りやすい曲にしようと、歌詞が簡単でベトナムっぽい曲をかけてみる。
KiroroのBest Friendを流すと、ナムが食いついた。
「日本の学校の卒業式で歌った!」
でも歌えないらしい。いるいる。日本にも合唱は恥ずかしくてちゃんと歌わないやつ。
ちなみにリンはこの曲を気に入ったみたいだった。




ハノイに向かう道を途中で外れて、フートから1時間ほどで着いたのが、タイグエン。リンの実家のある町で、ナムの実家があるフートとはまた違う雰囲気の田舎町だ。
フートよりも少し都会で道路が整備されているところが多い。家の方へ入ると、赤土が目立つ高低差が多い場所だった。相変わらず緑が溢れていて小さな山がいくつか見えた。

到着すると出迎えてくれたリンの両親は、チャーミングで明るい。パパは気使いな性格で、分からない日本語でも大きな声で笑ってくれる人。ママはおしゃれで可愛らしく、リンには2人お姉さんがいるため、私への接し方が女の子を育てた人独特の繊細さがあった。頭を撫でたり、抱きしめるのもどこか柔らかくて優しかった。



ここへきても、リンの親戚は沢山。
ナムは義父母の前で上品に失礼のないように振る舞っていた。食事の用意を手伝い、正座姿勢で、それでも楽しそうに話す。リンと立ち位置交代だ。ベトナムの結婚は、義父母を立てながらも、家族の一員になる。
今日はグレーのスーツに髪も決まっている。リンの鏡台でばちばちに固めているのを、リンと2人で散々おちょくったが、こうみるとリンの旦那さんとして努めるナムは凛々しい。さすが、ベトナムのG-DRAGONだ。(身内調べ)

リンはお母さんに着物姿を見せるのを楽しみにしていたため、ここにきても私は沢山飲まされたが気合いを入れて着付けた。髪も今回はしっかり夜会巻きに。
ちなみに、リン以外の親戚の女性陣も。それぞれ、着物にはしゃいで動き回るので大変な着付けだった。半襟を持ってこなかったので襟元は崩れやすかったし、大股で歩くためお端折りにシワが寄っていく。撮影のたびに着物や髪を直して、私は完全にモデルの衣装さんになった。



キモノ!オスモウサン!と日本語が飛び交い、楽しそうな親戚たちと、実家で羽を伸ばし奥様から少女に戻ったリンは笑顔を輝かせていた。



そんなリンを見られただけで、ここまできた甲斐があったなぁ、と感慨にふけった。ふたりで夜勤後お風呂に入り、化粧水を共用して、おやすみを言い合ったリン。ナムとの別れ話をしたのは秘密である。




リンのお母さんは、沢山働いて家族を助けていたリンが日本語で私とじゃれあって遊ぶ姿を見て、姉妹みたいだと、嬉しそうに笑っていた。






夕食後、リンのおじさんとナムを介してベトナム戦争の話や文化の違いについて沢山の話した。


日本について。ベトナムは学生を卒業して社会人になったら実家を出て自立し、家族や老人のために働くのに対し、日本は親に沢山支援してもらって逆に老人を見放すと言った。彼は日本にそんなイメージを抱いているし、ベトナムから見たら確かに、キャリアなどの自己実現のために、親を施設に預けるなんてあり得ない話なんだろう。


ナムはそんな通訳をしながらも、みはるは違うけどとフォローをしてくれる。けれど、彼にとってはじめて出会う日本人は私で、私はまるで日本代表のようなものだから、その言葉を投げかけられるのは仕方ない。

「日本はモノに溢れています。ビルも技術も沢山あるけど、実際に東京で暮らすには物価が高くて税金や家賃も高いからいくら働いても無くなるし、私はとても貧乏ですよ!」
と、話すとみんな笑った。おじさんだけは笑わなかった。貧乏な国だからと繰り返していた彼に、この言葉を発した自分が恥ずかしくなった。


それを否定するように私はこう言った。
「東京に住む人は確かに豊かです。けれど、心はみんな貧乏で寂しい人が沢山います。」
私がいまできる精一杯の日本に住む嘆きだった。
すると彼は、
「それはハノイも同じ。都会に住むということはそういう事なんじゃないかな。」
と言った。


私はずっと、"ベトナムだから"の枕詞をつけて、この滞在を楽しんでいたけれど、もしかしたらそれは違うのかもしれない。



フートやタイグエンの田舎にいたから、私は心が豊かになって、それは田舎を経験していないから感じたことなのではないか。
都会で感じる矛盾は、どの国にもある。
彼と話して自分の中にある"ベトナムひいき"が薄れていくのを感じた。



10月の旅を思い出す。確かに、ハノイの滞在は、フートやタイグエンでの生活や人との関わり方とは違ったかもしれない。
でも、ベトナムの都会と日本の都会には決定的な違いがあると思った。  




それは"安全性よる命の尊さの価値観の違い"だ。




田舎も都会もベトナムはインフラが整備されていないし、都市部であっても貧困は目に見えて広がっていた。だから、ハノイはいつ事故に合うかスリに会うか分からないし、フートやタイグエンは災害に合うか動物に襲われるか、明日食べるものが無くなるか分からない。自分の命を守り今日を生きたことに感謝する。

対して東京。"安全"に人々が甘え、保障を求める。便利が当たり前で、電車が遅れればひどく嘆き、環境に甘える。


どちらが幸せなのかは分からない。
でも、ないものねだりな私は、そんなベトナムを羨ましく思ってしまうのだ。



それを話すと、彼は笑いながら、
「幸せなのかはどこにいるかじゃない。あなたがどう生きるかだよ。」


そう言った。


ただ、私は頷いて、少しだけ、泣きそうだった。

幸せの枕詞をつけるのはやめよう。そう思った。


出発の朝。
4時のアラームを止めると、となりの部屋からナムの咳払いが聞こえた。隣のリンは相変わらず起きない。


これも今日で最後だ。


上着を着て、部屋を出る。タイグエンは寒い。11度だ。
同じタイミングで起きたナムとたばこを吸い、荷物を車へ積む。
リンの両親も起きてきた。

昨晩、リンのお母さんは私にベトナム刺繍の入った真っ赤なアオザイをプレゼントしてくれた。
リンのお母さんが着ていたもの。リンが着物を受け継いだ代わりに私がこのアオザイを受け継ぐ。

ハグを沢山して、リンを叩き起こし車へ乗り込む。
真っ暗闇の中、リンの両親は見えなくなるまで手を振っていた。





最後はいつも3人。
黙っていても一緒にいられるこの空気と別れる。


今でしょ。

と、さよなら大好きな人を流すナム。


私は睡魔に負けていた。


寝てるんかーい!!!


とナムは大きな声で歌うが、私もリンも眠り姫となっていた。

お別れは照れ臭くて。
泣いたりなんてしたくないから。
これから大きくなるかもしれないリンのお腹をさすって、2人にハグをした。

必ず飛行機に乗れたか連絡するように言う心配性のナムと、気怠く手を振るリン。

私は曲がり角の最後まで手を振った。


さよなら大好きな人。
さよなら大好きな人。
ずっと大好きな人。ずっとずっと大好きな人。
ずっとずっとずっと大好きな人。

イヤホンをして聴いてみる。
やっぱりちょっと悲しかった。

また来るけどね。



雨が降る東京で。私は今日からまた。
幸せになる。


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