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Firestickを手に入れた朝日が気づいたこと。

Amazon Firestickを手に入れた『元歩く番組表』

最近の私の生活を、人生を華やかに彩ってくれているブツがある。
それは “Amazon Firestick” だ。「歩く番組表」とあだ名をつけられた小学生のころからテレビや映画・音楽は大好きでお金の許す限りでそれらに触れてきたけれど、都内在住自称フリーランス二年目の私には映画館でしょっちゅう映画を見ることは出来ない。
それに、間に合わなかった携帯代と一緒に引き落とされているNetflixのサブスクもクレジットカード決済に切り替えられ、そんなもの持ち合わせていない私は惜しみながら解約。年々つまらなくなるテレビは付けないので、無料キャンペーン中の動画配信サービスを渡り歩いたりもした。

が遂に、私にも一人暮らしの余裕というものが訪れた。幸か不幸かこのコロナ禍で休業手当が引き続き出る中(空港業務のね)せっせとUber Driverやライティング前のデータ収集、少しづつ再開しているダンス講師の仕事をやった結果、社会人二年目にしてやっと生活に少しだけゆとりができた。

タイミングよくAmazon大先生はFirestickをセール販売してくれたため、私は暇さえあれば好きな映画やアニメや音楽に触れられる最高な生活を手に入れたのだった。


と、今回のnoteで書きたいのはFirestickの魅力ではないし、Amazonの口コミバイトを始めたわけでもない。

本題はFirestickや動画配信サービスで視聴するようになった映画から、
点と点を繋ぐ話。


“あなたにおすすめ” から考察できた私の趣向

主に10代の頃は勉強も兼ねて邦画を見漁っていた。映画ノートを作り、演技の考察やカメラワークから読み取れる場面ごとの意味などを書いたり。
母が洋画好きのため、一緒に見るものやアカデミー賞の作品賞になったものは見るようにしていたが、自分から好んで見ることは少なかった。
現在は英語を学びたいという気持ちがきっかけで洋画を見るようになったけれど、最近は英語を学びたいという気持ち以上に洋画を好きになっている。

ここで一つ気になったのが “あなたにおすすめ” の項目に出てくる洋画はラブストーリーでも働く女の話でもなく、ヒューマンドラマそしてそれらの結末は大抵 “血のつながりの関係ない家族のような関係” に落ち着く。
もちろん、日本よりもずっと人種が様々でベビーシッターは当たり前にあるし、日本では “型破り” な価値観がアリとされるわけで、そんな映画は巨万とある。それが少し私の趣向にヒットしているだけであるとも捉えられるが、
それにしても、最近家族や結婚について考えさせられる映画を見ることが増えた気がするのだ。


結婚願望?いやいや結婚なんぞできる経済力も中身もまだない。
出産する友達が増えたから?いやいやそんな簡単に子育てできるなんて思っていない。

「今の時間何だったの?映画一本見られたじゃん。」とつまらない飲み会の後虚無感に襲われる私だ。さすがにそんな安直な思考で映画を選択するほどながら見できる性格をしていない。


と、最近の自分を振り返ってみた。

まずは仕事。
元々フリーランスとはいえ、今の働き方には “場所” がない。正確には配達先や家だ。いつも会う人なんていないしほぼひとりで働いている。今までライティング作業をするのはほぼ行きつけのカフェで友達や親しい店員さんがおり、家は休む場所だった。
それが合間に誰かと話すわけではなく、一人で仕事をしている。
でも、なぜかたまにいく教えて3年目になるスタジオにつくとほっとする。


次に私生活。
最近実家に帰っても落ち着かない。生まれ育った家だというのに「掃除しなきゃ」や「何かしてあげなきゃ」など、自分が実家にいない分の穴埋めをしようとしている。
そして、実を言えばコロナ禍になってからは入眠剤を飲むか酒を飲まないと眠れない。いくら家を住みやすくしても寝具を整えても眠れないのだ。


なんだ!!この拭えない不安感は!!「不安なの。しくしく。」と悲劇のヒロインになりたくない私はイラつく。原因を究明して直ちに解決したい。

不安感の原因究明。点と点を繋いでみた。

家族のような強いつながりを結論付けたい趣向。
特定されない仕事場。
住環境の整った家。
そして少し余裕のある金銭面。

それらの点をつなげていくと、あることに気がついた。


私には『居心地の良さ』がない。

正確に言えば『居心地の良さを感じることがない』である。

コロナ禍になる以前の私は自己実現欲求のうえで働いていたし、金銭を整えるために働いていた。そして、“職場” という居場所に一日のほとんどの時間身を置いていた。
そこに夢中になると自分の家なんぞどうでもよくなるし、食べ物もお粗末になるが、『居心地』なんて忙しさがかき消してくれた。
でもここ何か月かカメの速さではあるものの成長をし、(ひとりでいることの強さなどというnoteを書いたり、“生活” をしよう!というnoteを書いたりしましたね) 忙しさで見て見ぬふりが出来なくなってしまった瞬間。

居心地の良さを感じていない自分が見えてきてしまったのだ。

【居心地の良い:その場にいることで良い気分になるさま。窮屈な感じがせずに安楽でいられるさま、楽しんでいられるさま。「居心地が悪い」に対する表現。】

『居心地の良さ』を調べるとこのような結果が出た。
そういえばコロナ禍になってすぐ、どこにも行けない状況で私が起こした行動は住環境を整えようとすることだった。でもいくら住みやすい家にしたところで『居心地の良さ』は手に入らない。


人たらしの私は、ひとりじゃこれを叶えられないのだ。(それを考えると、忙しさで見えなくなっていたのではなく今までの職場は居心地が良い場所だったのかもしれない)

はじめの映画の趣向の疑問から今の不安感の原因を考えると、人との繋がりを感じることで居心地の良さを覚えるのだということに気がついた。

私のまわりにいる人との中で『不要不急』の繋がりなどないらしい。


じゃあ、単身都内在住コロナ禍で職場のない私はこれからどうしていくべきなのか。
それは今回のnoteで結論が出ることではなさそうだ。


今はこの状況を乗り切る強さを持ちたいと願い、行動するしかなさそうだ。





さ。映画見て晩酌しよーっと。

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