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劇的・妊婦生活⑤~母との電話~
まだまだ私には試練がいっぱいあるみたいで、
でも、それは自分を高められるチャンス。
怒りや哀しみで頭も心もいっぱいになりそうな、そんなことを言われたとしても、
感情に任せず、我慢するでもなく、自分の心の奥にある一番シンプルな思いに気付けると、頭の声が止む。
その繰り返しだなぁ。訓練みたい。
そんなことがあり、しばらく書くことができませんでした。
不思議と、自分の心が安定してないと書けない!
今も、出産間近だから安定してるわけじゃないのだけど。笑
前回の続き。
産もうと、そう決めたけれど、
それには確実に家族のサポートが必要になる。
母に電話する。
1時間くらい、ただの世間話をする。何話してたか覚えてない。
切り出せなかった。どう切り出せばいいのか、わからない。
けど、そんなこと言ってる時間はない。
「生理がしばらく来てなくて、
バルトリン腺の悪化のせいだと思っていたけど、
妊娠してた。」
母の反応は、案外普通だったと思う。
あらー、そうなの!今、どれくらい?みたいな。
「16週」
ここで、母、大爆笑。
「あんた、それでよく流産しなかったねぇ!!!」
母は、つい先日やっていた舞台を観に来てくれていて、
そのハードさは目の当たりにしていた。
三人の子供を産み、流産の経験もある母からしたら、
安定期前にあれだけ動いていて、それでも子供が無事だったことに心底驚いたようで。
「で、どうしたいの?」
うまく言葉にできなくて、泣きじゃくりながら話す。
「さよならも考えたし、結婚しないと思うし、現実的なこと考えると押しつぶされそうになるんだけど、
でも、私は、産みたい。」
食い気味で母は答えた。
「いいんじゃない。」
「あなたの人生なんだから、あなたの決めたように生きればいいさ。
自分が覚悟をきめたことなら
周りをとことん巻き込んでいけばいいのよ。
あとは、どうにかなるから。」
この言葉に、どれだけ救われたか。
15歳の頃、進路を決めなければいけなくて、
私は高校に行きたくなく、東京で中卒でも入れる専門学校を探していた。
新聞の隅にある広告から、次の年に新しく開校する専門学校を見つけ、ホームページから問い合わせをしていた。中学卒業の人も入れる学科を作る予定だと。
ここに行こうと決めた。
が、親に話せない。
子供の頃の母の印象は、厳しく、自分の意思表示をする、ということを封じ込められるような、母の決めたこと以外はやっちゃいけないことだ、という感じがあった。
意思表示、というものをした覚えがあまりなかった。
進路の話を母にする時、しばらくなにも言い出せなかった。
泣いていたかもしれない。
恐かった。否定されるだろう、高校に行けと、当たり前のことを言われるだろう、怒られるかも。
それでも、初めて自分の中に明確に、
実家を離れ、東京に出て、専門学校に入りたい、
という意思があるのがわかっていたから、
それを無視することもできない。
時間をかけ、
ポツリポツリと話し出した私を、
母は否定しなかった。
むしろ、父を説得するために、背中を押してくれた。
15年経って、母は再び私の背中を押してくれた。
私の覚悟を、受け止めてくれた。
子どもの命が宿っていることを喜んでくれた。
適齢期じゃない、と、笑いながら私の不安をかき消してくれた。
もちろん現実的にやらなきゃいけないことや、決めなきゃいけないことはたくさんあったけど、
家族に支えてもらえることが、この時の私にとってどれほど心強かったか。
自分が親になって、同じ立場になった時、
私はきっと、母の言葉を思い出す。
母の偉大さを思い出す。
母ちゃんって、やっぱり、凄いなぁ。