【推しの子】最終回を咀嚼する
なぜあの終わり方なのかを考えます。この終わりを受け入れるためにただ咀嚼しているだけなので、そんなに批判してないです。
勿論【推しの子】最終回までのネタバレを含みます。
※超自己解釈、思いついた順に書いてるので支離滅裂かも。
※最終回細かい描写までは多分見れてない。
①なぜアクアを死なせたのか
「大人は子供を守らなければならない」を体現するためかなとはちょっと思いました。あかねちゃんへの中傷の時しかり、有馬かな・アイないしさりなの親があれほど悪く書かれているの然り、最終回の最初の方の描写しかり、作者さんとしては「子供が犠牲になるのは間違っていて、大人は子供のためにその身をやつすべき」という考えなのかなと思って、それでいうと大人であるアクアが子供であるルビーを守るために命をかけることはそれほど突飛なことではないかなとは思う。ただアクアの最期にアクア自身も子供であることがあることが強調されていて、アクアは大人でもあり子供でもある存在で、そのうちの大人としての本懐は果たせたけど、子供としては守られるべきだったはずなのに命を落とすことになった=正しくないことがなされている。それを強調するために葬儀での有馬かなとか周囲の絶望が強く描写されたのかな。
現実として社会の強い風当たりの犠牲になっている子供は実在していて、その社会状況を無視して「子供がみんな救われる」という展開にすることを避けたかったのかなとは思ったかも。最終回の最初にも描写があるみたいに、今現在多くの子供達は犠牲になっている。「酷い最終回」というのは即ち現代社会では子供を救えない、誰もが幸せになるようなご都合展開とは程遠いこんな展開にしかなり得ないということを示したかったからこうなったとか。確かに現状人種差別の問題が解決してないのに、漫画のラストで人種差別を解決させたくない気持ちはよくわかるかも。
つまりアクアの大人としての本懐を果たさせるため、加えて子供が救われないこの社会の現状に即して子供を犠牲にするためにアクアは死んだって考えました。
②なぜアクアは誰ともくっつかなかったのか
これもやっぱり子供に未来を見てもらうためかな。ヒロイン3人(あかねは後述)は未来ある子供で、アクアの死は悲しむものの囚われずに前を向くべきで、間違っても未亡人なんて鎖で縛ってはならない。なぜなら子供は大人を踏み台に何にも縛られず前に進むべき存在だから。
③有馬かなのお葬式の色々について
やっぱり子供なんですよね彼女も。遺体に手をあげるのも感情をむき出しにするのも大人に叩かれるのも子供だから。けどここで有馬かなが大人だったら、彼女はアクアの死に立ち止まったまま二度と動き出すことはなかったんだと思います。彼女がアクアの死を乗り越えて前に進めるのは、彼女が紛れもなく子供で、いくら大切だろうと大人の亡骸を踏みつけてでも前に進むべき存在であるから。なので彼女は子供である=未来があるということを示したかったのかな。
逆に姫川さんとあかねは有馬かなと真逆だと思った。彼らは大人だから、1人で涙を流すことしかできない。だから多分彼らは生きることを選んでもアクアの死を乗り越えないし、なんとなくだけど、有馬かなは最終的にあかねより優れた女優になるんだろうなと思った。
④ルビーが可哀想だよね
やはりルビーも生まれ変わりというずるをしてる分、手放しに子供とは言えない存在なのかな。だから誰よりも苦しみを課せられた上で、暗闇に光を照らす使命を負った上で、子供として守られた。
ちなみにMEMちょは年齢的には大人だけど、子供時代に子供であることを許されなかった人間ではあるから、進み出すために有馬かなたる純な子供の力が必要だったんだろうなと思った。子供部屋おじさんも子供。あんだけ大騒ぎするのはやはり子供であることを強調するためだし、加えて鏑木P含め大人の責任を果たさんとしている。
⑤嘘とは
嘘はとびきりの愛なんだよ
そんな嘘達が、暗闇を生きる誰かに何かを与えて行くんだと思う。
嘘に関してのセリフだけど、これはどれも全て嘘は誰かを救うためのものだと言いたいんだと思う。子供を含め救われない人に、大人はどんなに苦しくても嘘をついてまで笑って手を差し伸べなければいけない。ということ。
最終回の客席の女の子は、ただの予想だけど身なりとか雰囲気的にそれこそネグレクトとかヤングケアラーとか、何らか犠牲になっている子供なんじゃないかな。救われない子供を救うために、ルビーは自分の中の闇を隠して、嘘をつかなくてはいけない。ルビーしかり有馬かなしかり、救われた子供達は、今度は子供が犠牲になる社会を変える使命を持つ大人になって行く。という終わり方。
⑥なぜ転生だったのか
転生ものが流行ってるからではあるだろうけど、普通のアイの子として生まれてたら、アクアが純な子供だったら、多分この作者は復讐をさせられないと思う。復讐のために生きるなんてことを子供にさせられないと思う。母を殺した人に復讐するという話にするには、その主人公が転生した元大人であるっていうのは都合が良かったのかもね。
加えてゴローもさりなも救われない子供だった。そして生まれ変わってさりなはルビーとして救いの手に掬われる子供になって、ゴローはアクアとして救いの手から見放された。やっぱり2人とも救っちゃうと現実に反するのかなとは思ったかな。
考えたことまとめ
・アクアが死んだのは、大人は犠牲になってまで子供を救わなければいけないものから。
・あれだけ悲しい不完全燃焼になったのは、アクアは大人であると同時に子供であり、子供が犠牲となってしまったことは忌むべきことであり、同時に今この現代社会で起こっている悲劇であるということ。
・有馬かなやルビーたちは子供であり、大人たるアクアに救われて未来があるため、大人の犠牲の上で前に進む存在であり、これから社会問題を解決する大人となっていく。
追記しそう。
追記しました
⑦忘れ形見という物語性
実在するアイドルの悲しい話をします。
それぞれ韓国でアイドルとして活動してるすごく仲良しな兄妹がいたんですけど、その兄が自殺してしまう、という出来事がありました。彼は韓国で知らない人はいないくらいの人気アイドルだったので、ファンどころか社会全体が悲しみに包まれ、同時に、彼が溺愛していた妹の心情を社会全体が慮っていました。そして妹は1年ほどの活動休止の後活動復帰し、今もアイドルとして第一線で活躍しています。
本当に下世話な話で嫌なんですけど、こんなことこの状況じゃなきゃ起こりえないんだろうなと思った。大切な人の死を乗り越えて笑う健気さを持ち、自分たちが愛した人の紛れもない忘れ形見であるという彼女を応援しない人など存在しない。アイドルが活動する上で何の批判も浴びないなんてことはほぼあり得ないこの現代社会で、この現象はかなり特殊なはず。
ルビーはこれとほぼ同じ状況で、現実と同様社会は「星野ルビーという物語に夢中になった」。最終回ではそんなあっさりした言葉で済まされたけど、現実にそれが起こっているということを加味すると、アイドルと社会との関係をリアルに現してる状況だな、と感じました。
⑧目の星について
白:人を光の方向に導かせる力。それに嘘も本心も関係ない。舞台上で観客を感動させる力。
黒:人を自身の負の感情たる闇に引き込む力。決して悪ではない。悪用したらカミキみたいになるけど、それ自体は表現力であり説得力なので「ここぞというときに出す」ことで、見る人に自分の深みを伝えられるもの。
って考えました。
⑨ママのようなアイドルにはならない
って言っていたけど、結局そうなっちゃったのはそれがルビーの使命だったのかなという想像。光を人に与えられる才能を持っているからこそ、どんな時でも嘘をついてでも人を照らさなければいけない使命。言うなればルビーはアクアの死を経て神さまになったのかも。
⑩なぜあかねのモノローグだったのか
ルビーはアイみたいになったんだと思いました。何を考えているのか誰もわからない。もしかしたらルビーも後世で本心を解釈されて「普通の女の子だった」って言われるようになるのかもね。