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『円相➕1=?』

今回からは現在進行形!

久しぶりの投稿です!

これまでの投稿は(といってもnote初心者の私、たった10余りの投稿と数少ないのですが)、ここ二年と少し、私が書で現代アート作品を作ろうと挑戦してきた様子や、作品とそれにまつわるエピソード、説明などを駆け足で綴ってきたものでした。

どうにか振り返り部分も終わったので、ここからは現在進行形で書き進めていきたいと思います。

大好きな禅僧、仙厓!

唐突ですが、私、仙厓(せんがい)という江戸時代のお坊さん、好きなんです。

仙涯は還暦を過ぎ隠居してから、多くの洒脱、飄逸な禅画を残した禅僧です。
仙厓大好き!といってもご本人に会ったこともないので、正確には仙厓の絵や書が好きということですね。

とにかく緩い!そう緩いんです!

もちろん、えらいお坊さんなんで、きっちりとした書や緻密な絵も書ける技量を持ち併せておられての話です。
ピカソやマティスのドローイングが魅力的に感じるのと似ているような気がしますが、仙厓の場合は緩い系の作品がメインで有名ですね。

出光美術館の仙涯コレクションの多さは有名ですが、その出光美術館で2018年にあった『仙涯礼賛』展で仙涯作品をたっぷり堪能できて大満足した時のことを時々思い出します。

円相

その仙厓の書画の中に、「円相」を書いたもので次のようなものがあります。

円相とは、悟りや心理、仏性、宇宙観などを象徴的に表現したもの、と言われていて、もうそれだけで難しい〜!とか思っちゃうものですが、仙涯さん、それも軽〜い感じで表現してくれています。

それを観てニヤッとできたり心がすきっとしたり、これって糞真面目(失礼)に私悟ってます!的な円相図を前にはなかなかないことです。

上の写真は仙厓の一円相図(円相と同じ意味)の草稿と言われているものなんですが、円相の左にある賛(書のこと)に

「これは何ぞや」

と書かれあります。
その次の行には「一香口」とあり、それは中に甘い餡が入った丸い菓子の名前で、見たことも無い(長崎銘菓らしいです)珍しさに驚いたのと、それを食べた時のあまりの美味しさに二度驚き、その印象からこの草稿がしたためられたのだとか。

そして次が有名な「一円相画賛」

これの賛には
「これくふて茶のめ」とあります。

もちろん、ここにある丸はその時の境地を表した円相で、お菓子のつもりで書いたのではないのでしょう。

しかし、禅における悟りなどというものは、一度で完結するものではなく、より高みを求めて修練を続けるべきもの。
自分はより深い悟りを求めているので、過去の悟りを象徴する円相には何の意味もない。
捨ててもよいようなもの、どうせなら茶菓子がわりにでもして楽しんで〜、というような心で書かれた言葉だったとか。

あっぱれ!仙厓さん!

この時、あの長崎銘菓を思い出していたことは確かだろうなぁ、と想像してしまいました。

草稿とか下書きとか、メイキング裏話とか、ちょっと知っていると面白いなぁって思いますね。

なんと思おうといいんじゃなぁ〜い

ということでようやく自作の話です。

去年から作ってきたBATシリーズでは、境界線をテーマにひたすら違いを見つけては線を引いて分けていくという作品を創っていました。

といっても決して線を引くのが好きというのではなく、逆にこの世の中はみんな繋がっていて茫洋としていて分けようと思っても、どこにもはっきりとした分かれ目などないのに、つい線引きしてしまう人間の(自分の)愚かさ、不思議さを表そうとしたものでした。

今、世の中では、いろんなシーンで『多様性』を認めることの重要性がアピールされています。
そんなに声を大にして言わないといけないほど、誤解、偏見に固められた既成概念は根強く、なかなか払拭されないものなんだなぁとも感じます。

そんな時、ものの見方、感じ方がもっとゆっるとできたらいいのになぁ、仙厓さんのように、と思って作ったのが次の作品です。

『これは何ぞや』

『これは何ぞや』

2021年 29cm×42cm
A4コピー用紙・インク

かつて禅僧であった仙涯は、「これくふて茶のめ」という有名な一円相画賛をのこした。
仙涯には、それとはまた別の一円相画賛の草稿があり、その賛に「これは何ぞや」と書いたものがあるのだが、この自作品のタイトルはそこからとっている。

円というシンプルな形に、さらにシンプルな短い一本の線を書き、その「◯にー」の図形に、それから想起されるイメージを書き入れたものを複数並べてみた。
poisen 毒・forbidden 禁断・stylish スタイリッシュ(あの世界的 IT企業)・red 赤・boom‼︎・sprout(発芽)。

人間は、同じ言葉、文字(記号)、出来事などを共有しながらも、生活環境や文化が違えば全く違うことをイメージしているものである。
(禅問答のような難しいことに関してでなくとも)
こうしてひとつのシニフィアンから喚起されるシニフィエは、細かく表現すれば人の数ほどあるのかもしれない。

多様性を受け入れることの重要性がさかんに説かれる現代、くい違いが起こることも当然なことと認識しておくと少しはラクに生きられるかもしれない。

尚、本作品は和紙に墨で「◯とー」を書いたものを写真に撮り、複写、書き込み、編集したものをプリントアウトしたものである。

んん〜〜、なかなか仙涯さんのように軽妙洒脱でありながら深みがあるとはいかないものです。

まぁ、これ自体が今の私の『円相』なのかもしれませんね。

次、また未熟なりにもごちょごちょ考えて作品創りたいと思います。

最初に貼ったカエルの絵といい、この絵といい、もうたまりませんね、緩さがぁ〜
ちなみにこの中の人物(布袋さんと子供)はそぞろ歩きしながら月を指差して見ているのだとか。
賛に、当時はやっていた月のことを歌った歌の歌詞のワンフレーズが書かれていて、それだけで、画面には書かれていない月があるように思えてしまいます。
そして、その奥には手が届きそうで届かない月、それは悟りのようなものである、という意味も含ませているのだとか・・・
この絵は出光美術館第一号コレクションとなった作品です。

今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

それではまたぁ〜

#円相 #仙涯 #APPLE   #アンディウォーホル

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