ユメウツツのリフレイン
夢って何?
実は私、小学校3年生くらいまで夢を見たことがなくて(夢や希望、の夢ではなく寝てみる夢の方です)、「夢」っていったいどんなものなのか、さっぱりもって分からず、想像さえもできませんでした。
理屈ではどうも寝ている間に見るもののことらしい、ということは分かっていたのですが、実際それがどういうものなのか体感したことがなく(今思えば、見たことはあったのかもしれないのに自覚がなかっただけなのかも)、いったいなんなん!?夢って!誰でも見られるものじゃないのかぁ?って思っていました。
しかし、3年生(たぶん)のある朝、おおぉーーっ!私は夢を見た!と自覚することがありました。
もちろんどんな夢だったかは忘れてますが、たしかに寝てみる夢というものを体験したのです!
そして可笑しなもので、夢とはどんなものなのかとわかったその日から、今日に至るまで、夢を見ない日はありません。
ほんの束の間の短いうたた寝の時でさえ!
それも毎日毎日、とーーーっても長い夢で、だいたいが奇想天外なのですが、とにかく長い!
これまでの人生、夢の中で生きてる時間の方が、現実の時間よりはるかに長いのではないかと思うくらいです。
もちろん、毎日の夢はそれぞれの世界や状況設定になんの繋がりもありません。
いつかインタビューで(何の?)、これまであなたは何をして生きてきましたか?と聞かれたら、夢・現・夢・現・夢・・・とその繰り返しでした、それは確かです、と答えるかもしれません。(かなり大雑把な言い方ですけどね)
そのユメウツツのリフレインを、下の作品にしてみたのは今から一年以上前のことでした。(おっきい作品です!)
『記憶の棚』
2020年
200cm×120cm
紙・ボンド墨
ここには「夢」と「現」の字を何層にも重ねて書いてある。
自分だけでなく、この世に生を受けたものはみな、眠っている時と目覚めている時を交互に繰り返して生きている。
子どもの頃の私はある日、初めて「夢を見た!」という感覚を覚えた。その時以来、夢を見ない日がないだけではなく、現実の時間よりはるかに長いのではないのかと思うくらい長い夢を見てきた。
しかし、夢も現実も、そのほとんどは忘却の彼方で、わずかに記憶に残るものも、夢か現か曖昧で判然としない。
ここにできた夢と現の層は、木の年輪のようにも見え、まさしく自分の生きてきた年輪のようにも思えてくる。そして脳の海馬にある記憶の棚はこのような姿をしているような気がするのである。
以下はそのバリエーションたち。
プラットフォーム夢
そんなこんなで、起きている時は起きている時で、毎日充実して楽しんでいるのですが、毎晩眠りにつく時もなんだか嬉しいんです。
眠ったまんま色んなテーマパークに行けるみたいで!
(こんな呑気なことを言っている人間ですが、小さい頃は毎晩眠るのが怖くて泣いていました。この話はまたいずれかの機会に・・・)
上の作品を作ってから、コウモリや線引きの作品をしばらく作っていたのですが、その合間にもよくユメウツツについて思いを巡らしていました。
(今も、しょっちゅう)
特に夢に入っていく(意識を失う)時と、目覚める(意識が戻る)時の不思議。
ちゃんと同じ現(ウツツ)に戻ってくる不思議。(いや、本当に同じなのか!?)
そんな妄想から生まれたのが次の作品です。
「プラットフォーム夢」
2020年
60cm×40cm
紙・墨
プラットフォーム、それはいろんな行き先の列車に乗り換えができる場所。 今やそれはネットやSNSの中に存在し、幅をきかせている。
しかし人間は遙か昔から、『夢』というバーチャルなプラットフォームにア クセスし、一瞬にして時空をも超えてきた。
毎夜毎夜、違った文脈の人生を送っては、そのプラットフォームに戻ってく るのである。
そして、寝てみる夢だけでなく、意識次第では「希望系の夢」にもアクセスできる。 そんな人間の能力はなかなか侮れるものではないぞ、と思い、 夢という文字と複数の「夢らしきもののカタチ」を、筆と墨ならではの朧さ を使って書くことで表現してみた。
夢と現、意識、記憶、そんなことをぼーっと考えて、ふと浮かんだ言葉を書き綴った作品もあるのですが、それは次の回に回すとします。
今回も読んでいただいてありがとうございました!