なりたい自分になれなかった日々
朝、鏡の前には「なりたかった」自分がいた。
こんな嬉しい朝の始まりは滅多にない。
先日買ったワンピースが今の自分の気分にぴったり合っている。
自分の魂がそのまま、洋服に包まれている感覚。
こういう感覚を、もっと早く、たくさん知りたかった。
いつも違和感。なんかちがう、緊張する、ほんとの自分じゃない…。
10代の頃から、そんな日々を繰り返してきた。
買っても買っても、満たされない洋服欲。
足りないのは何。
お金?
体型?
センス?
誰かに「その格好、あなたらしい」と褒められても、「わたしらしいってなんだよ、教えてくれよ」と内心叫んでいた。
一方、「あなたらしくない」と言われたことはない。
誰かに強制的に着せられたことなどないし、どの合わせ方も私のオリジナルで「わたしらしい」はずだった。問題だったのは、外側の服ではなく選んでいる自分(=内側)だった。
服を手に入れた瞬間だけは、多幸感でいっぱい。しかしその後すぐに、自分を否定した。
「こんな素敵な服、今の私にはもったいない」
「浮かれて買ったこの服で、誰かに会うのが恥ずかしい」
他人には説明し難い謎の、ネガティブ感情。
自分を否定したくなるような瞬間は、不定期にやってくる。
自分を見失いそうな時、お気に入りの服を纏うと、「なりたかった自分」を思い出せる。
「自分にとって正しい洋服を着ること」は、武装にもなる。
洋服は消耗品で、どんなにお気に入りでも手離す時がやってくる。手放す前に、お気に入りでなくなることもある。
だから、今の自分が一体どういう気分なのか、どこに向かっているのか、時々は意識して確認する。もっと感覚的に掴めるとよいのだけど、わたしはその辺りちょっと鈍いのだ。
着用記録やnoteはそういう確認作業のためのもの。
たわいもない投稿、これからも続けます。
読んでくださった皆様、ありがとうございます♪