【自己紹介】みぎわあきらはこんな人【後編:社会人編】
子どもの頃は散々な出来事が多かったですが、社会人になってからは快進撃に打って出ることになります。
しかし、軌道に乗るまではいろいろと大変な思いをすることになります。
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暗黒時代
本好きが高じて書店に就職していましたが、自分が働いている中周りが大学に行っていたため学歴コンプレックスのこじらせ方は最高潮に。
特に、やることが無いから大学に行きましたと言う人や、
しょうもない理由で大学を中退した人をコ○したいと思うほど憎んでいました。
ぶっちゃけ生きとし生けるもの全て憎かったです。
この頃ぎっくり腰やうつ病を発症してまともに働けない状態に。
仕事もなかなか上手くいかず、おかしいと思い病院に行くとADHDということが発覚しました。
特にワーキングメモリーの容量が小さいため仕事を覚えることが出来ず、仕事が出来ないことを理由に3回ほど仕事をクビになりました。
うつ病+仕事をクビになった経緯もあり、自分は社会不適合者だと絶望をして、
その時付き合っていた彼氏の家に転がり込んで約5年間ニート生活を送ることになりました。
その間に縁があってクラブ専属占い師になったり、台湾ホームレスを経験するのですがここのところは文章にするとかなり長くなるので割愛します。
(また別途この頃の体験は記事にまとめる予定です)
夜の街で占っていた時の記事です
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ちなみにこの時期に通信制の大学に通い始めて強烈な学歴コンプレックスは無くなりました。
その後結婚適齢期になり、彼とは結婚の話が持ち上がりますがなかなか上手くいかず破局。
夜逃げまで
完全に経済的に相手に依存をしていたため、ほぼ無一文の状態で家を出ることになりました。
当時実家とは折り合いが悪かったので、頼れる相手はどこにもいませんでした。
独立をするために冷凍庫の商品整理や日雇いなののめちゃくちゃな肉体労働に従事することに。
人生に絶望していたため、別に死んでもいいやという投げやりな気持ちだったので、夜はアルコールで酩酊をして気絶するように眠りにつく生活を送っていました。
生活に困窮していたため、この頃にサラ金で借金を背負うことに。
(今はもう完済しています)
こんな状態を見かねて、当時親交のあった人に「援助してあげるからこっちにおいで」という言葉を真に受けて、なにもかも嫌になり夜逃げをすることになりました。
これが大きな間違いでした。
精神科閉鎖病棟と生活保護
希死念慮が強くなり、ひとりでいると精神状態が悪化していたため一時期はその人のところに身を寄せていたのですが、
手に負えなくなったと言われて精神科閉鎖病棟に入院することに。
今思うと自分が面倒を見ると言ったのにも関わらず、
いつ退院できるか分からない精神科に入院させるなんてどうかしていると思います。
しかし、強めの薬を飲んでいたため思考は朦朧としていたため言われるがままに入院をすることに。
後で知ったことですが、その人は新興宗教の2世のひとで「困った人を助けることで功徳を積む」ことを功徳を積む修行をしていました。
つまり、私を心から救いたいわけではなく、自らの功徳を積むため手を差し伸べたわけですが、
そして自分の手に負えなくなったので入院をさせて目の前から姿を消したわけです。
精神科の閉鎖病棟の生活は凄まじかったです。
数週間前は普通に話せていた人がどんどんおかしくなり、日に日に言葉が不明瞭になりとうとう車椅子で徘徊するようになったり、
30年以上入院を続けている人がいたりそんなとんでもない環境でした。
しかし、とりあえず衣食住は保証されていたのでひとまずはほっとしたのを覚えています。
入院生活はとにかく暇だったので『戦争と平和』『失われた時を求めて』『源氏物語』などの長編小説をゆっくり読めてそれなりに充実していました。
余談ですが、数ヶ月間様々な精神疾患の人と寝起きを共にしていたので、うつ病、境界性人格障害、統合失調症、薬物依存、知的障害の人は少し話しただけですぐに見分けることができるスキルがつきました。
また、入院患者の中では比較的意識はちゃんとしていたため、様々な病気の入院患者と話を合わせられる傾聴スキルも身についたのはラッキーでした。
精神科に入院して驚いたのが、入院前に申請しても何度も突っぱねられていた生活保護が拍子抜けするくらいスムーズに申請が通ったこと。
入院をして心身の調子を取り戻してから社会復帰をしようとこの時は呑気に考えていました。
社会復帰に向けて
うつ病の症状は幸いなことにゆっくりと養生をしたおかげで徐々に快方に向かいました。
生活保護を受けながらいちから生活を立て直すために外出許可がおりた時に不動産屋を回ったりしていましたが、
精神科に入院したことが問題となり、行政からの一人暮らしの許可はおりませんでした。
しかし、急性期病棟にいたため長くはいられないこととなり、
ホームレスなどが収容される自立支援センターへの移動が決まってしまいました。
この時それでは困ると役所の福祉担当へ直談判しに行ったのですが、その際に言われた「あなたはホームレスなんですからね!」という言葉がいまだに忘れられないです。
このままでは社会復帰をするまで何年も遠回りしてしまう!と焦りを覚えたため母親に頭を下げて実家に帰ることに。
あと1週間遅ければ、自立支援センター行きになっていたのでギリギリのところでした。
占い師復帰
頭を下げて実家に帰ったものの、何も無い状態だったためひとまず日雇いで食いつなぐことに。
実家に戻っていたため、当面の衣食住は保証されていたのでじっくりと腰を据えて就活をすることにしました。
ゆっくりと社会復帰をして行ったのが幸いし、無事就職をしてこのタイミングで占いを再開していました。
退院後時間をかけて癒していっている中、元彼の自殺の知らせを受けました。
このあたりはこちらの記事でまとめているので、興味がある方はどうぞ。
現在
現在は独立をしてフリーランスの占い師として開業。
個人向けに鑑定をしたり、場合によってはコンサルタントとして活動をしています。
この秋からは念願がかなって、入院のため休学をしていた大学へと復学。
占い師を一生の仕事にするならと腹をくくってまずは認定心理士の資格を取るために勉強をしています。
私のざっと人生を振り返るとこんな感じです。
長い文章でしたが、読んでいただいてありがとうございました!