17から続いている
4月中旬からの約2か月半、これまでの人生の中でトップクラスに忙しかった。
夜中から明け方まで作業し、1時間くらい仮眠をとって大学に向かうなんてことも、一度や二度では済まなかった。
ここ数日、それまでの緊張状態が和らいだのか、疲れが一気に出た。
肉体的だけでなく精神的にも疲弊しており、荒い言葉遣いや雑な対応をしていることが自覚できるほどだった。
ダメだとはわかっていつつ、どうしてもそこまで気が回らなかった。
やっと少し暇になり、疲れもとれ始めたことで、後回しにせざるを得なかったことにも取り組むことができるようになり始めた。
おかげで、普段なかなか行かなような場所に足を運ぶ機会も増えてきた。
その一環で、研究に関連するが手元にない資料のうち、大学経由で入手するにはかなり時間がかかりそうなものを、自身で入手しに出かけることにした。
目的地には昼過ぎに到着したこともあり、腹が空いていたため、資料を入手する前に食事をとることにした。
窓の外に広がる木々とビル群を眺めながら昼食をとっていると、ふとあることに気がついた。
普段行かないところへ足を運ぶと、研究のことだけではなく、日常の中でぼんやりと考えているモヤモヤしたものが言語化されることが多い気がする。
だから日々のルーティンワークはもちろん大切だが、同時に非ルーティンワークも大切なのだろう。
なんだかいいことが思いついたように感じていい気になったため、久しぶりに記事を書こうと決意した。
しかし、執筆中にあることに気がついた。
ついさっき食事をとりながら「これは自分の考えを言語化できた」と思っていたこととほとんど同じ内容を、数か月前に記事でも書いていたのだった。
ちなみに思いついたことは、
・根本的に研究が好きで堪らないタイプではないこと
・なにか熱中できることが見つかれば、研究をやめても構わないこと
だった。
もしかしたら、結局人間が考えていることは、そんなに簡単に変わるものではないのかもしれない。
とはいえ、前言撤回するようだが、前回よりももう少し詳細に自分の考えを言語化できたような気もしている。
おそらく今研究をしているのは、前述のとおりほかにやりたいことがないからなのだが、その根っこには、「生かされているのではなく生きている実感がほしい」という気持ちがあるようだ。
忙しいとはいえ、ある程度自分でスケジュールを組むことができること、その結果として、平日の昼間にふらっと資料を入手しに行くことができること、これが大切なのだろう。
そして対照的に、目的地へ向かう中で、生かされていた当時のことを思い出しながら、生かされている実感についても文章化できた気がする。
道中、3年くらい前によく聴いていた曲がイヤホンから流れてきた。
性格上、どうやら辛かったときに聴いていた曲ほどなぜかよく覚えているらしい。
当時作成したプレイリストの曲順まで思い出し、「次はこの曲だったよな」と、その曲を再生した。
同時に、当時の記憶も蘇ってきた。
人生で最も馴染めなかった環境である前職の職場、どうしてもその姿勢を許容することができなかった上司、なによりも、そんな状況に絶望して腐っていた自分自身。
嫌なことが次々とフラッシュバックしてきた。
幸か不幸か、ひとつひとつのシチュエーションに当時ほどの解像度を持ち合わせておらず、覚えていないことも多い。
ただやはり、嫌な記憶はなんとなく嫌なものとしてこびりつき、きれいには剥がれないものなのだろう。
生かされている感覚が強くなると、自分の中のしんどさが肥大化するようだ。
そしてそのしんどさは、しんどくなくなったからといって、すぐにきれいさっぱり忘れらるのものではないらしい。
生きているとか生かされているとか考えながらスマホのメモアプリを見返していると、この前印象に残った出来事が書かれていた。
その日は午後から屋外で用事があったのだが、気温が高く汗だくになっていた。
そのためその予定が終わったあと、銭湯に寄って汗を流した。
湯船に浸かり休息をとったのも束の間、そこが自宅から遠い銭湯だったこともあり、終電の時間が迫っていた。
そのためまだ晩飯すら食べていなかったのに、急いで帰らざるを得なくなった。
さすがに帰宅途中で軽くでもなにか食べて帰りたいと思い、少し余裕を持って電車に乗ろうと走った。
しかし乗り換えの度に、タッチの差で電車が出発してしまい、2回連続で予定していた電車に乗れなかった。
さすがに落ち込んでいたところ、駅のホームに17アイスの自動販売機を見つけた。
そのときにホーム上で食べたクッキー&クリームは本当においしかった。
メモアプリに「生きているって感じ」と書いていたから、よっぽど生きていることを実感した瞬間だったのだろう。
17という数字を見ながら、色々と思い返してみた。
そういえば17歳の頃も、なにか心から熱中できるものが見つからず、今と同じように病んでいた。
17歳の頃に抱いていたコンプレックスは、今も消えていないのだろう。
大学生の頃に推していたアイドルが、17歳の頃に17歳を歌った作品は、ファンの間でも根強い人気がある(と認識している)。
17歳を歌った曲といえば、この曲も有名だ。
このnoteを始めるきっかけになった手術を受けた日も、17日である。
そう思うと、生きていると実感して前向きだった時期も、生かされていると実感して苦しかった時期もあって今がある。
あの時もあの時なりに生きていたんだ。
そして、過去と現在は地続きなのだろう。
なんだか思考が整理できた気がしている。
パソコンのキャッシュを削除した後のように、久しぶりに頭がスッキリした感じだ。