キマるのではなくキメる
一見、怪しいタイトルに感じるかもしれないが、全くそんな内容ではない。
結局は受動的か能動的かの話である。
2021年8月16日。
始まりの日でもあり、終わりの日でもある。
始まりの日、noteに初めて投稿をした日だ。
なんだかんだ言い訳をして物事を先延ばしにするタイプの人間にとって、何かを始めるのには相当な労力が必要である。
アカウントを作って投稿をしただけでとても疲れてしまった。
既に挫けそうである。
しかしこれだけで終わらせるのもなんだか寂しいので、もう少しだけ頑張ろうと思っている。
なぜ8月16日を始まりの日にしたのか。
それは同日が終わりの日でもあり、人生にひとつの区切りがついたからだ。
終わりの日、会社を辞めた日だ。
同日付で新卒入社した会社を自己都合退職した。
「理由は?」と聞かれても、正直すぐには答えられない。
そういったことも、今後noteで書いていければいいと思う。
少なくとも言えることは、理由はひとつではなく、様々な出来事が重なった結果辞めることを決断した、ということだ。
周りにはあまり話していない。
家族以外では、本当に仲の良い友人数人と信頼できる人にだけ話した。
まあそんなものだろう。
入社してから約1年半。
最近ではよくある話だが、やっぱり早かったとは思う。
「新卒で入った会社には最低でも3年はいるべきだ」とよく言われる。
それについても、概ね同意できる。
それでも辞めた。
後悔していない、と言えば嘘になる。
もう少し会社に残って経験を積むことにも意味はあったとも思う。
しかし、気持ちは晴れやかだ。
やっぱり自分で決断し、自分で退職願を出したからだと思う。
これからのことは決まっていないし、決して金銭的に余裕がある訳でもないが、これほどまでに清々しさを感じたのは一体いつ振りだろうか。
結局、他人から決められたことではなく、自らが決めたことには納得感がある。
人生において大切なのは、納得感じゃないのかなと思う。
納得感のライバルになってくるのは満足感だ。
しかし、納得感と満足感の間には大きな隔たりがある。
納得感は、言い換えれば「まあしょうがないか」である。
一方で、満足感を言い換えれば「これは良い」である。
英語で言えば、納得感は「not bad」であり、満足感は「good」である。
「not bad」な状況は必ずしも「good」とは言えないが、「good」な状況は無条件的に「not bad」である。
つまり、満足感は納得感を包含しているのではないだろうか。
まあ難しい話はこのくらいにしておこう。
ちなみに、この納得感と満足感の話は完全に個人的な見解なので、その辺はご理解をご協力を。
それよりよく見てみれば、語尾が「である」ばかりだ。
これでは某機構の回し者みたいではないか。
要は、キマったのではなく、キメたから気持ち良かった話である。
でも一番気持ち良いのは、サウナでととのうを超えてキマる時である。
色々と落ち着いたらサウナに行きたいなあ。