Naked Desire〜姫君たちの野望
第一章 心の壁−16
「だったら、社員やアワマネに後を任せて、とりあえず現場に足を運ぶべきだったのではないですか?」フリーダは執拗に食い下がる。
今彼女が口にした「アワマネ」とは、アワリーマネジャー(以下HM)という、社員不在時に店舗運営を担うアルバイト社員のことで、全アルバイトの頂点に位置する。小規模店舗では2~3人いるが、グラーツ総本店だと、20人以上のHMがいる。この時間帯でも、最低4~5人はいるはずだ。
HMになるには、店長の推薦が必要だ。本社で必要な研修を受け、認定試験に合格した人間だけが、HMに昇格する。店舗の売り上げ実績をあげるには、彼らといかに良好な関係を築けるかにかかっているので、HMの意見を重視する店長がほとんどだ。
だが中には、HMを鬱陶しく思う店長も存在する。その代表がラッシャーで、彼は自分の言うことを聞かないHMを、店から追い出すことも辞さない。
「お前の指図なんか受けんぞ、ポボルスキー。誰に向かって口をきいてるんだ! 俺は総店長だぞ! 少しは口を慎め!」
フリーダの意見に激昂したラッシャーは、ドンドンと壁を激しく叩いた。自分に逆らう人間が大嫌いなこの男にとって、フリーダみたいに、上司にズケズケと意見する人間は、邪魔でしかない。
「それに私がその時相手していたお客様は、この店を長年ご贔屓してくださってくれている上得意様だ。そんなことできると思っているのか?」
眉をつり上げて怒鳴り散らすラッシャーに対し、フリーダも毅然として言い返した。
「その上得意様は、4階の店員が出した緊急事態を無視しても接待しなければならない方だったのですね?」
「貴様、私の対応に非があったといいたいのか!」
激怒したラッシャーがフリーダを怒鳴りつけたことが原因で、2人の口論はますます激しさを増した。
客席では、現場検証が続いている。本来ならラッシャーは、店舗の最高責任者として現場検証に立ち会い、捜査員の質問に答えるべき立場にいる人間だ。だが実際にはその役割を果たすどころか、元店員とはいえ今は部外者の人間と、不毛な罵倒合戦を繰り広げていた。
フリーダとしてみれば、彼の不誠実をたしなめるつもりだったのだろうが、とんだ展開になってしまった。巻き込まれた彼女が不憫だ。
2人の口論を黙ってみていたキャサリンが「もう、うんざり」という表情を浮かべ、私のそばに寄ってきた。そして、私に対して「耳を貸して」という仕草をする。
「おいマリナ、あの2人は知り合いなのか?」
内輪のやりとりだからか、キャサリンはため口で私に話しかける。
「ああ、そうだよ」ため息交じりに、私は返事をした。「彼女はここで働いていたこと、キャシーは知らなかったっけ?」
「彼女がこの店で働いているのを何回か見たことはあるけど、正直、彼女の働きぶりはよく知らないんだよ。それにフリーダは、自分のことはほとんど話さないよね?」
フリーダとは、私が小学校時代からの付き合いである。小学校4年生の時に同じクラスになったことがきっかけで友人になり、彼女との関係は10年以上になる。
休日は一緒にいることが多いから、周囲からは、フリーダの一番の仲良しは私だと思われているし、そのことは私も否定しない。彼女も、しばしば私や周囲に「マリナは親友」だと言ってはいるが、自分のプライベートはほとんど他人に話さないため、正直なところ、学校や職場以外の彼女のことは、よくわからないというのが本音だ。
「そうだ。それで思い出したんだが」キャサリンは右の人差し指で、頬を触りながら私に声をかける。
「なに?」
「その時のフリーダって、確かマリナと同じ服を着ていたな。クルーじゃなく……」
「うん。チームリーダーをやっていた」
「お前もそうだったよな」
「私は、お情けでやっていたようなものだからね」
私が口にした「チームリーダー(以下TL)」というのは、カフェ・ルーエのアルバイトの役職の一つである。新人である「トレーニー(T)」、アルバイトの中心である「カスタマーサービス(以下CS。A・B・Cの3段階がある)」と、彼らの指導役であるカスタマーエキスパート(CS)を指導・監督し、アルバイトのとりまとめ役であるヴァイスアワリーマネジャー(VHM)やアワリーマネジャー(HM)の業務遂行を補佐する役目を担う。
フリーダは店内では「やり手」と見られていて、社員から鬱陶しがられることもあったが、アルバイトからの信頼は篤かった。私もTLをしていたが、これはまあお情けみたいなもので、発言力も他者への影響力も、フリーダに及ばないと思っている。
「あの2人、いつまで口論してんだ? 現場検証、まだ終わっていないよな?」
キャサリンは、とげとげしい視線を2人に向けながら呟いた。「いい加減にしろ。仕事が進まないだろうが」