見出し画像

司法浪人でお金も無かった25歳の僕が、試験に不合格後、はじめての海外旅行に出かけるまでの話

大学生時代は海外旅行に行けなかった

大学時代の僕は、勉強とは無縁の生活を送っていました。勉強は全くしていなかったけど、でも熱中していることがあって、とても忙しい日々を送っていたのです。

海外旅行にも興味があったので、旅行に明け暮れる同級生たちを横目にしながら、「いつかはきっと」と思いながら過ごしていました。

最初の海外旅行に行くチャンスは大学4年生の終盤、卒業旅行という形で訪れました。

このときは、就職先も決まっており、自由な時間が作れたため2ヶ月の貧乏旅行を企てたのです。当時愛読していた沢木耕太郎の「深夜特急」の真似をして、トルコからロンドンまでの2ヶ月の旅行を計画していたのです。

ですが、家庭の事情により、出発直前にキャンセルするハメに(家族が病気だというので取りやめに。。)。無念の想いを抱いたまま大学を卒業して社会人になりました。

社会人から司法浪人に⇒また海外旅行に行けなくなった

社会人になってからはお金があるから海外旅行なんて何回でも行けるだろうという淡い期待もあったのですが、僕は大学卒業直前の就職前に、急に勉強に目覚めてしまいました。

大学4年間の間は、全く勉強なんてしてこなかったのに、何を勘違いしてしまったのか、急に勉強をしたくなり勉強を始めることにしました。

始めた勉強は司法試験です。内定をもらっていたこともあり、最初は働きながら勉強していたのですが、どうしても受験勉強に専念したくなり。入社させてもらった会社を早々に会社を退社してしまったのです。当然、収入は無くなり、オケラ状態に。

勉強するしかない状態に追い込まれた僕は一日中勉強を頑張りました。受験勉強に追われる毎日です。試験勉強に明け暮れる毎日であり、当たり前のことですが海外旅行どころではない状態でした。

アルバイトをする時間も惜しくて完全無職の状態で勉強に集中していたので、日々の生活費の捻出も厳しい状態でした。

それでも絶対に司法試験に短期合格してやるんだ、という目標と熱意があったのです。「合格したら気が済むまで、1年間でも長期旅行に出てやる」と夢を抱きながら、毎日自習室に引きこもって、ひたすら黙々と勉強生活を送っていたのです。

司法試験不合格が続き、海外旅行への欲求が爆発

司法試験の予備校に通って勉強をしており、最初の2年間は授業を受けて予習復習するという学習スタイルで、自習室に籠もりきりでした。そして勉強を始めて2年後、初めて受験した司法試験は不合格に。

無念の思いを胸に秘めて、不退転の覚悟で挑戦したリベンジ受験の2回目3回目の司法試験にも失敗してしまいました。試験に落ちてしまった僕は、

「この先いつになったら合格できるのだろうか」
「最短合格しても自由になれるのは1年後か」

と思うと、どうしてもこれ以上、抑圧された生活に我慢することができなくなってしまったのです。

完全に煮詰まってしまった。現状を変えるきっかけを短期間でもいいからこの今の瞬間に旅に出てやろう。思ったが吉日と言うことで、僕はすぐさま海外旅行にいく準備を始めたのです。

頭の悪い錬金術で海外旅行の軍資金を作った

旅行に持っていくものはすぐに準備できました。持ち物はリュック一つで澄みます。

とは言え、旅の軍資金は乏しくて、パスポートを取得した後、手元にあったお金はたった1万円だけ。これでは海外旅行に行けません。どうやって資金を捻出しようかと迷った僕は、迷案を思いつきました。1週間ずっと友達と飲みに行くことにしたのです。

なぜ飲みに行ってワザワザお金を使うことにしたのか。

確かに飲みにいくとお金を使ってしまいますが、でもお会計の時に僕がカードで払って、割り勘分の現金を友人からもらうことで、僕には現金が手に入るのです。当時の僕が考え出した頭の悪い錬金術でした。

いずれカードの返済期がやってきてたくさん返済しないといけないことは解っていましたが、当時の僕はなんとか旅行資金を捻出したかった。

お金は「旅行から帰ってきてから何とか働いて返せば良いさ」という半ばやけっぱちの状態だったのです。計画通り、毎夜のように飲みに出かけて楽しい思いをしながら何とか5万円ほどの軍資金を作りました。

軍資金で「シンガポールと香港」周遊の格安チケットを29800円で入手。手持ちの現金は残り2万円5000円ほどになっていましたが、成田空港に向かうことにしました。

格安チケットには、『成田〜シンガポール〜香港〜成田』の航空券しか含まれていません。合計6泊7日の予定でした。機内食は出るものの、その他の6泊分の宿代と食事代、そして成田空港までの交通費や現地での交通費もすべて2万5000円で賄わない計算でした。

それでも「まあなんとかなるさ」と、その時の僕には不安はありませんでした。

この頃の僕の状態

この時の僕は海外であればどこでも良かったのです。まだ20代だった僕は司法試験の勉強に追われて、また不合格が続き、相当に詰まっていた状態でした。

今振り返ってみると、たかだか4年程の勉強期間にすぎませんでしたが、20代で仕事もせず、受験勉強に専念すると激しい喪失感が伴うものであり、精神的には追い詰められた状態だったのです。

司法試験の世界では4年間ほどの受験期間はさして長いわけではありません。でも、2年間で合格するという目標を立てていた僕にとっては、既に2年間目標よりも余計に勉強していたわけで、しかも3回も試験に落ちていたわけですから、挫折感や閉塞感も味わっていたのです。

海外旅行に行くことを大学からの先輩に打ち明けると、先輩からは、「場所を変えても自分が変わらないけどな」とは言われていました。でも、それでも兎に角旅行に出かけて、違う場所で違う環境の空気を吸いたい気持ちでいっぱいでした。

とにかく僕は、成田空港に2万5000円を持って向かったのです。

この記事を書いた人
湯川 七八貴
https://7korobi-8oki.com/rising/

        ▼▼  続きはこちら ▼▼

目次へ戻る>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?