電車に揺られながら思う事
今このnoteを書いてるのは10/31のハロウィン22時の電車の中。
夜に電車に乗る時はいつも良くも悪くも、深いことを考えてしまう。例えば寒くなってきたこの時期は好きな人欲しいな、あの人のこと好きかもとか。新学期がやってくる春は友人関係のことについて考えたり。
夜の電車は人が少ないから、人間観察もよくする。「あの人は飲み会帰りかな」「あの人は残業で疲れている、、」とか。これが意外と面白いと思う反面、こんなことしてちょっと楽しんでるの世界で自分1人だけかも、、とかも思ったり。皆んなスマホばかり見ているけどその小さな画面の中の何を見ているのか気になる。
自分はまだ大学一年生なのに(ピチピチの)遊ぶことをしていない。というのも、サークルに入ってはいるが行っていない自分が悪い。コミニュティに行かなければ広がらないのは当たり前だ。¥5500も払って入ったのに全くと言っていいほど行っていない自分の行動を疑う、、。
「大学生のうちは遊んどきなー」と社会人はよく言う。けれど遊ぶの定義ってなんだ??
友達とカフェ行くことなのか、夜遅くまで飲むことなのか、ぜーんぶひっくるめたことを指すのか。分からない!
《noteには色々な人の考えてることを知れるので、とても楽しい。私が今、一番好きなnoteのユーザーの方は都内在住男子大学生だ。
彼の文章には、共感の嵐と言葉選びが素敵だな上手だなあ、と毎回読むたびに思う。
私も彼のように言葉を上手に使いたい。一方で、もし実際に彼と対面で話してもこんなに面白い内容の話をし、言葉遣いも同じなのかなと疑問にも思う。
note上での文章を通してしか、彼の言葉を受けることはできないけれど、実際に話してみたいなとも思う。》
(つづき)だけどね、私も周りの子みたいに夜遅くまで友達と飲んで、カラオケ行って、、、っていう典型的な大学生活をしたい。(19歳)遊び方が分からないのかもしれない。解決策?なのか分からないけれど新しいコミニュティに入りたいと思い、来年新2年から小さめのサークルに入ることにした。(登山サークル)
このまま行くと私は大学生活を後悔まみれの記憶に塗り潰され、社会人になった時、「あー!もっと遊んどけばよかった!」と今では疑問に思う「遊ぶ」という言葉を何の違和感もなく軽い言葉として使う大人になるんだろう。
一つ。今の自分は思考回路がかたい。もっと柔軟にバカになっていいと思う。
そう、大好きな焼き芋のように。