出会いのクリックは自分が「満ちた」時に起きる - Why KYMN? Reason 1
私はずっとaccessible(アクセス可能)な表現を探していた
私が「ボーカル入りのバンドを組むわ!」と突然言い出した2022年の秋、まわりの友達は相当驚いたらしい!
ボーカル入りバンド=中二病の時に組むもの
NYのジャズオーケストラ=めっちゃ勉強した人じゃないとやれない高尚なもの
そんなイメージがあったらしくて。「高尚エリア」に入った人が「なんで中二に戻るの?」と思ったのだそうだ。
この大変失礼な表現、全然正しくないが、理解できる部分もある。
バンドの音楽は中学生でも楽しめるだろう。けれど「ジャズオーケストラのコンサートに行こうよ」と言われて、目を輝かせる中学生は日本にどのくらいいるだろう?
これ、実は私がずーっと気にしてきたことだったから、中二発言をされた時私はぎくりとした。
「それって誰でも楽しめるんだっけ?」
表現者・発信者にとって、これはとても大事な質問だ。
「誰にでも楽しめるのか」問題を話すとき、英語では「accessible」という単語がよく使われる。直訳だと「アクセス可能な」「触ることができる」という意味で「それに接触する時に、抵抗や邪魔が多いか少ないか」を表現する時に使う。
すごくアクセシブルでいいね!と言えば「誰でも接触機会があるね、いいね!」という意味になり「きさくな、利用しやすい、誰にでも分かりやすい」みたいな意味も含む。
アクセシブルじゃないよねえと言えば「それって(色んな意味で)選ばれし者しか利用できないんじゃない?」みたいなことになる。
17人編成のジャズオーケストラは最高にかっこいい。この編成じゃなきゃ表現できない魂の叫びがあるし、311東日本大震災の後は、傷ついてボロボロになった心を癒やす歌詞のないインスト音楽をこの編成でやることに打ち込んだ。ジャズの伝統の音楽形態だから、日本の伝統文化「殺陣」と組み合わせた作品も作れた。
だけど17人編成のジャズオーケストラがどうしても乗り越えられない壁がある。それがaccessiblity(アクセス可能性)だ。
17人全員が生演奏するには大きな会場と多数のスタッフ、多数の機材が必要で、だからコンサートのチケット代が安くならない。何らかの理由で経済的に困難な方にとっては大きなハードルだ。
ジャズと聞くと「難しそう!」と思ってしまう方が多く、子連れでも若い子でも気軽に聴けるものだとは、通常、思ってもらえない。
これまで、ありとあらゆる助成金に応募・獲得してチケット代を下げる工夫をしたし学生向けディスカウントを作ったりしてきたが、いかんせん17人の集団だ。太刀打ちできないレベルで活動費用がかかる。「ジャズのイメージ」に至っては一足飛びに私が解決できるようなものでもない。
だから、この問題は私の頭の中にいつもあった。私の音楽は大金を積んでかしこまって聴くような音楽じゃない。だけど、この形態では、圧倒的にアクセシビリティが低い。
わあわあ言いながら皆で楽しんで、切ない曲では泣いて、老若男女、みんなで共に楽しめる音楽的な場は、どうすれば提供できるのか…。
悩んでいたころ、事件がおきた。
こころの故郷が閉店、コロナ禍が始まって。
2018年、悲しいニュースが飛び込んできた。12月31日で東京の私のHOMEだったTOKYO TUCというジャズ・クラブが閉店してしまうという。経営難だったわけではなく、諸事情による予期せぬ突然の閉店だった。
私は急遽航空券を取って、日本に飛び帰った。12月30日に、私の主催という形で閉店前日ライブをねじ込んでいただいた。好きな友達をかき集め、理由を説明して一緒に演奏してもらった。こうしてDown Beat誌の世界の銘クラブ100にも選ばれたジャズクラブTOKYO TUCの閉店前最後のイベントは、私の自主企画ライブになった。
このメンバーでの演奏は一度もしたことがなかったけれど、そんなの私には関係無かった。お世話になったライブハウスに最高のお礼がしたい。だから心が美しくて音も素晴らしい友達だけを集めたい … 楽譜なら幾らでも書けるから、それでよかった。
とにかく音楽と人柄の素晴らしさでメンバーを集めよう!その呼びかけに答えて集まってくれた中に、ボーカルKOTETSU、サックス副田整歩、ベース寺尾陽介がいた。今のKYMNの面々だ。
コロナ禍もKYMNに影響している。
NYの日本人コミュニティのお友達が、コロナ感染によりお亡くなりになって、友人たちが皆狂ったように泣いていた時期があった。私は遺された友人たちのためにWinter to Springという曲を作り、動画をYouTubeにアップした。この曲を気に入った副田整歩がサックスを付けてくれて、これがまるで最初からduoだったかのような美しい仕上がりになった。
楽しくなった私はKOTETSUに連絡して「ここに無理やり歌を入れてみない?」と提案した。こてっちゃんも喜んで挑戦してくれた。すでに完成しているものに音を入れるのはほぼ不可能なのだが、見事にこてつワールドを表現してくれた。
NYで大人数編成の曲が書ける作曲家として成功しようと躍起になって、大編成ばかり書いていた私にとって、これはとても意義深いrefreshingな(爽やかの発見のある)体験だった。
歌とサックスとピアノって、すごくいい!心からそう思った。
私に癒やしが必要な時に、そこにKYMNの仲間がいた
不思議なことは他にもあった。コロナ禍の間に、ベースの寺尾陽介が文化庁の奨学金を取得してニューヨークにやってきたのだ。
寺尾くんと私はずっと前からfamily in music(音楽的な家族)で、たくさんのグループで活動を共にしている。前述したMiggy Augmented Orchestraでも正式メンバーは寺尾くんで。NYでのレコーディングにもわざわざ日本から飛んできて参加してくれた。
その、音楽界で最も付き合いが長く深い寺尾くんが、コロナ禍に重なる時期に留学でNYに来ていたのだ。私と寺尾くんは、大変な出来事の合間を縫うように一緒にライブをしたり、レコーディングをしたり、コロナ禍の対応を相談しあったりした。
なおむとこてっちゃんと曲のやり取りをし、コロナで疲れた魂を癒やしている時に、音楽ブラザー寺尾くんも近くにいてくれた。私の心が困っている時に、実はずっと、彼らは近くにいたのだ。
2022年の夏、私は久しぶりに日本に帰れることになった。日本で久々の演奏活動ができると分かった時、自然と頭に浮かんだのがこの3人のことだった。
こてっちゃんと、なおむと、寺尾くんに連絡してみよう。
それが、KYMNにつながった。
リハーサル会場で、一緒に音を出し始めた時、どーんと自分を貫く、何かを感じた。
これは、きっと、大切な何かだ。しっかり感じておこう!
私はそう思った。
その後のことは、ここに書いてあるので、ご覧いただけたら嬉しい。
出会いのクリックは、たくさんの苦労のあと、自分が満ちた時に起きる
このリハーサルが10/29で、10/31と11/1にライブをして11/7にレコーディングをして、その後私たちはもうバンドになっていた笑。
この体験をしてよくよく分かったのだけれど、出会いというのはきっとこういう風に、普通の出来事の顔をして、日常の中に潜んでいるんだと思う。
日常生活のあちこちで、私たちは「自分の人生を変えてくれる人」に出逢っているのだろう。でもその時、自分が満ちきっていなければ「クリック」が起きない。(これも英語で、カチッとはまることを言う。)
悲しいことがあって、辛いことがあって、心の成長が合って、その時仲良しが音楽的に近くにいてくれて。みんなもきっとコロナの間にご苦労もなさって、3-4年の間に大きな変化があったのだと思う。その、たまりにたまったものがリハーサル室で爆発して、そこから私たちがバンドになる流れが生まれた。
一回目からいきなり長くなったけれど、これがKYMNが出来る前の、序のお話。次の2回は私のこれまでの活動についてシェアしちゃうよ。お楽しみに!
KYMNの初めてのオンラインコンサートは2023年3月22日(水)19:30~と3月22日(金)21:30~の2回に分けて実施されます。皆さまとお会いできますよう。
KYMNのYouTubeチャンネルにも是非ご登録を!