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私を変えた出会い - 3. 二日前に急に決まったツアーで (The Vanguard Jazz Orchestra)
私を変えた出会い
3. 二日前に急に決まったツアーで (The Vanguard Jazz Orchestra)
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と最終日の演奏前に声を掛けてくれたサックス奏者のラルフ・ララマー
フライト2日前に飛び込んできた世界的ジャズバンドでの演奏
その夜の私はとにかく必死だった。目の前には500ページ約70曲の楽譜の山。深夜2時を過ぎても読み終わらず、焦っていた。
明日からの日本ツアーに備えて空港近くのホテルに滞在し、翌朝出かけるだけ・・・のはずが、楽譜の山を読み続ける私がいた。深夜2時になっても全然終わらない。周囲は全員寝てしまったのか静かになりすぎて、ヘッドホンの音漏れにヒヤヒヤしながら、500ページをめくり、70曲の候補曲を聞き続けた。
一緒にツアーに出るバンドはThe Vanguard Jazz Orchestra。泣く子も黙るジャズ界の超名門バンドで、世界中のジャズミュージシャンが「一度でいいから、エキストラでいいから参加してみたい」と憧れる存在だ。
楽曲が高度なことでも知られていて、グラミー賞の常連でもある。1966年にサド・ジョーンズとメル・ルイスというジャズ界の巨匠2人が立ち上げ、以来55年以上に渡り、ニューヨーク市のジャズの殿堂「ヴィレッジ・ヴァンガード」で毎週月曜日に演奏し続けている。
私は2008年に彼らと奇跡的な出会いを果たし、2009年から2017年まで8回の日本ツアーをプロデュースして、2枚のアルバムを一緒に作った。この2013年の日本ツアーにもプロデューサーとして参加するはずだったが、フライトの2日前に大事件が起きた。ピアニストが病欠になったのだ。
ニューヨークから別のピアニストを連れて行くことは出来なかった。日本の労働ビザが2日では下りないためだ。かといって日本国内で、この難解な楽曲を知っていて、英語が話せて、15人のバンドメンバー全員とうまくチームワークできる人を、時差と戦いながら探すなんて無理だ。
それで、白羽の矢が立ったのが私だったのだ。
寝なさい、すべて大丈夫だから
私は当初プロデューサーとしてこのツアーに参加する予定だった。完全にプロデューサーモードで実務に追われて、恥ずかしながら私はピアノの練習不足だった。
焦った私は、まずツアーに持っていく楽譜を急いでリーダーに借りた。コピーを取ってみたら約70曲、全部で500ページもあり...私は顔面蒼白になった。70曲全部を、大スターばかりの中で緊張せずに弾ききることなんて、できるんだろうか … 。
恐怖感を拭うことができないまま、私は前述のホテルに到着し、出発前夜、予習に没頭していたのだ。その私を携帯メールの受信音が飛び上がらせた。The Vanguard Jazz Orchestra バンドリーダー(当時)のジョン・モスカからだった。
「みぎわ、起きてるね。起きてるのは分かってるんだ。」
わ、バレた!と思った私にジョンは続けてこう送ってきた。
「寝なさい、すべて大丈夫だから。国際ツアーに挑む音楽家にとって、最も大事なことはツアーの最後まで体調を最良に保つことなんだ。」
私が思ったのは、私ががんばり屋であることを分かっていてくれて嬉しいな、という、それだけだった。この時ジョンが言ってくれた「すべて大丈夫」の意味が、もっともっと深い意味だったことを、私はずっと後で知ることになる。
何か失敗しても、僕たちがちゃんと拾って音楽にするから
The Vanguard Jazz Orchestraの世界的スター達はほかにも、このツアー中に、ほんとうにたくさんの励ましを私にくれた。
ツアーが始まって、まず声を掛けてくれたのはサックス奏者でThe Vanguard Jazz Orchestraの音楽監督でもあるディック・オーツだった。私が、ピアニストとしてツアーに参加していることに、彼は大喜びしていた。私がそれまで一度も作曲家・ピアニストとしての自分を売り込もうとせず、バンドとしっかり演奏したことなんて一度も無かったからだ。日本に本場のジャズを届けようと無私無欲でプロデューサー業に徹していて私は売り込みなんてしてはいけないと思っていた。でも本当は弾きたいと思っていたことを彼は見抜いていた。
「ミギー!!!嬉しいね!今回はピアニストだ!」と、声を掛けてくれた彼。でも私は思わず、うーん、でも心配で・・・と言ってしまった。彼は驚いて言った。
「何が心配?音楽的に?それともプロデュースが手薄にならないか心配?」
勿論音楽だよ、うまく弾けるかどうか...と私が答えると、ディックは、えっ!と心から驚いた顔をして言った。
「音楽!それなら安心だ、だって音楽については何も心配することなんて無いもの。何を弾いても大丈夫だよ、たとえ何か失敗しても、僕たちがちゃんと反応して、音楽にするから。」
ディックはぎゅーっとハグをしてくれて、楽しみだね!と再度言うと、絶対大丈夫!という顔をして楽屋の奥へ消えていった。
何も挑戦せずに終わること、それがジャズミュージシャンとして一番良くない
ちょちょっと私を手招きして呼んだのは前夜に「寝るんだよ」とメッセージしてきたバンドリーダーのジョン・モスカだった。「みぎわ、ジャズ・ミュージシャンとして最も駄目な態度ってなんだと思う?」とジョンは聞いた。私がきょとんとしていると続けてこう言った。
「失敗を恐れて、縮こまって何も挑戦せずに終わること、それがジャズミュージシャンとして一番良くない態度なんだ。いいね、挑戦を、するんだよ。」
ジョンは、私が思っていたよりも何倍も私を知ってくれていたのだ、と今思い出して、改めて思う。
リハーサルが始まると新たな発見があった。音楽家が演奏でお互いを助け合うことが出来るのは知っていたけれども、世界最高峰の演奏家は、それをここまですごいレベルで出来るのか … !!!! それを教えてくれたのがドラマーのジョン・ライリーとベーシストのディビッド・ウォン。
まず彼らの音には深みがあって、どんな音を私が弾いても、彼らとブレンドして良いハーモニーが生まれる。私が出すタイミングも音質も、彼らの度量の大きい演奏のおかげで、すべてがOKになる ... だから、怖がらずに音を出せる。なんてすごいことなんだろう。
二人は演奏中に目線としぐさでもたくさんの指示を出してくれた。しかもいつもにこっと微笑んでいる。的確すぎる指示のおかげで、ジャズ特有のアドリブ演奏 - 例えば急に音を止めるとか、ノリを変えて弾くとか、ピアノが一人で演奏を再開するとか、失敗しそうな箇所がたくさんあったのに1つも間違えずに演奏を終えることができた。
ミギー、あなたは立派な人でしょ?
本番の前に、サックス奏者のラルフ・ララマーがHow are you?気分はどう?と聴いてきた。彼はいつも冗談ばかり言っているフレンドリーな人だ。毎年秋の感謝祭前後にはたくさんの友人を自宅に招き、朝から夜までパンケーキを焼き続けてもてなすようなハッピーなこの彼にも、私は、いやあ、心配で…と答えてしまった。ラルフは「何が心配なの?」と目を丸くして言った。えっ、だってピアノが...と答えるとラルフは珍しくまじめな顔をして、でも優しく言った。
「ミギー、あなたは立派な人でしょ?これまでにもバンドと演奏した時、毎回うまく弾けたでしょ?さっきのリハーサルもうまく行ったでしょ?」
そして私の目をじっと見た。証拠は揃っているぞ、上手く行くって証拠ばっかりだろ?という目をしたあとにラルフは笑顔で念押しした。
「It's going to be awesome because you are already awesome! みぎわは素晴らしい演奏をすると思う。だってすでに素晴らしいから。」
私は笑顔でステージに上がった。
世界的スターたちは、なぜかいつもより団結していた。どうやら彼らは「よーし今回はみぎわも一緒だ!いつもより更にいい演奏をしちゃうぞ!」と思っていたらしい。
休憩時間には、普段は無口なサックス奏者のリッチー・ペリーが「みぎわ、ブルース演奏の話なんだけど!」と声を掛けてくれた。楽譜を取り出して、ブルースを演奏するときには、こういうことに気をつけて、僕は例えば、ここでこういう音を出していることが多いから、そこに気をつけて聴いてくれるともっといい演奏ができる、等と熱心に大きな声で色々教えてくれた。直後にあれっ、いつもより喋ってしまった!というような顔をして「と、思ったりするんだけども、この通りにしろというわけではなくて … 」と言い始めた彼。普段はシャイなのに急に大声を出した自分に驚いていたようだった。いやいや、アドバイスいただけるのは本当に嬉しいよ、と当時の英語力で思いつく限りのお礼を一生懸命伝えた。
私は、一度もひるまなかった
この後ツアーがどうなったかは、皆さんの想像どおりだ。毎回ステージの前に不安にはなったが、私は、一度もひるまなかった。心配性の完璧主義だった私が、今のように挑戦を恐れない性格になったのは、もしかするとこのツアーがきっかけかもしれない。
リハーサルで既に音の助けを感じていたし、挑戦する姿勢を音でガンガン伝えるとメンバーが喜んでくれて全体の一体感が上がることも学んでいたから、恐れが消えた。
1曲だけどうしても指が届かず弾けない曲があることをリーダーに伝えた時に無駄な自責の気持ちが湧かなかったのも、彼らのサポートのおかげだろう。(私はもともと手が小さくて、他のピアニストより弾けないフレーズが多いのだ。)
ラルフ・ララマーは、ちなみに、毎日毎日声を掛けてくれた。How are you?に対して毎日しつこく、心配で・・・と言う私に、凝りずに「昨日のステージも上手く行ったでしょ?おとといも上手く行ったでしょ?」と続け「You are going to be awesome because you are already awesome! みぎわは素晴らしい演奏をすると思う。だってすでに素晴らしいから」と毎日言ってくれたラルフ。一番上の写真は、ツアー最終日、青森県八戸市でのステージ上で、私にこのセリフを言っているラルフだ。その瞬間を、ツアーに同行していたフォトグラファー逢坂憲吾くんがたまたま捉えてくれた。
憲吾くんが撮ってくれた素晴らしい写真がたくさんあるので、今回は多めに紹介したい。
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私は左端のピアノのところに。
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スタッフの方にお願いしてタオルを置いて頂いたのを思い出した・・・!
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一週間かけて東京・大阪・青森の3箇所で7回演奏し+3つのワークショップを行ったこのツアーから9年が経った。ツアーの翌年に自分でもニューヨークでジャズ・オーケストラを作り、2018年にデビューアルバムを出し … 成長した今になって振り返ると、当時の私は彼らが言ってくれた貴重なセリフの意味を、全然理解できていなかったな!と思う。
自分で出来る努力を全部したあとは、心と体を健康に保ち、委ね、協力して、働く。頑張るということは犠牲でもなければ、つらい思いを保ち続けることでもない。こころを開く。萎縮せず挑戦する。そうしなければ「すべて大丈夫」は作れない。
私は「すべて大丈夫」の意味が分かる人間に、すこしでも近づけているんだろうか。
※このエッセイは「私を変えた出会い」と題した短編エッセイシリーズの1つです。ヘッダーのイラストは親友の坂本奈緒 の作品で、Vanguard Jazz Orchestraのアルバムカバーの原画になったものです。
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