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『Stand By Me』の胸やけと『FFXV』(ネタバレなし)

 『Stand By Me』に胸やけを覚える世代が、人が、いるはずだ。私はその一人にすぎない。

 1986年公開の映画は、私が物心ついたころにはすでに不朽の名作とされており、同名のテーマ曲は皆、口ずさむことができるほどの馴染みぶり。例にもれず、私も両親に録画をした『Stand By Me』のビデオテープを渡された記憶がある。

 映画の中では、自分と同じような子どもたちが、私の持っている世界では考えられないような冒険をしていて、ただそれがハラハラとして恐ろしく、ヒリヒリとして苦かったような。あいまいに記憶したラストシーンはどんなものだったのか。

 そんな映画と大流行のテーマソングの思い出もあってか、私の親世代やその上は、青春のよき思い出として『Stand By Me』を補完しているようで、接待で寄ったスナックでは、高い確率でママや外国人ホステス、お客と、誰となくカラオケで歌っているのが印象的だった。「私も知っていますよ」というと、先方はひどくうれしそうに、「若いのにね」なんて言いながら、人の体を触ってくるのだった。

 『Stand By Me』は壮年に雑に消費され尽くしたコンテンツにように思えた。

 そうして、子どものころは純粋に好きだったあのテーマソングと映画は、いろいろな力によってまったく形が変わり、私の中でも色あせてしまった。きっと、『Stand By Me』をいろいろな理由で「思わず笑っちゃう」なんて人は少なくないだろう。

 そんな中で公開された、『FFXV(FF15)』の『Stand By Me』オマージュPV。本当に失礼な話だけれど、初めて見たときは思わず鼻で笑ってしまった。なんて今さら、こんな臭い曲を使うんだ。私は、映画や曲の思い出を出がらしのように使い捨てた、と、何か見えない上の世代を恨んでいるのかもしれない。

 『FFXV』をプレイするつもりもなかった。デザインが素敵だからと購入したPS4 LUNA EDITIONに同梱されていたソフトは、友人にあげた。「いいからとりあえずやれよ」と、誰かが言わんばかりに、その夜、同居人が限定版を買って帰ってきた。

◆◆◆

 『Stand By Me』が流れる中、王子たち御一行は車を押して、「こんなところで流れるの」なんて笑いながら、『FFXV』を起動して1時間。特に感情的になることもなく。

 ハンマーヘッドで初めてギルを稼いで、そのお金のほぼすべてを食事に使用してしまうドラ王子をロールプレイして、突然、彼らを身近に感じた2時間。

 プレイしていない時に、彼らと一緒にいられない寂しさを覚えた30時間。

 ルーナの強すぎる信念に委縮して、ただただ彼女を好きになった50時間。

 気が付けば、呪いのようなものを感じていた『FFXV』が、私の壊れた精神を癒すメンタルヘルスのような役割を担っていた。オープンワールドで車を走らせ続け、懐かしい曲を聴きながら、何か楽しそうに話をする彼らを呆然と見守っていることもあった。きっと彼らの関係性はプレイヤーそれぞれ違うものになっているだろうし、私は私だけの物語をゲームの中に想像して作りあげていったし、きっとそれは皆も同じはずだ。

 強烈なパンチを食らったクリア後、いつの間にか『Stand By Me』は、新しく生まれ変わっていて、すっかり私の物語のテーマソングになっていた。

No I won't be afraid, no I won't be afraid

Just as long as you stand, stand by me

 曲が刷新されたなら、今度映画を見返してみよう。すっかり忘れているあの登場人物4人の関係性や銃の行方、どんな旅をして、どんな心境の変化があったのか。きっと小さいころの私ではわからなかったこと。少し前の自分でもわからなかったこと。『FFXV』をプレイしたことで追加された、何か私の変化に期待して。



 9月末のショック後、まったく立ち直れなかった私を救ったのは『FFXV』だった。ゲームで壊れた心が、ゲームで癒された。