20241130 市ヶ谷探訪② 市ヶ谷釣り堀

先に電車に乗っていたのはワケがあった。件の釣り堀を友人から勧められたのだ。

精神的に疲れていた。人は釣りに何を求めるのか。ギャンブル性を求める友人もアドベンチャー性を求める先輩も知っている。私は癒しを求めている。

市ヶ谷駅からとぼとぼ歩く。電車から見て大体の位置は分かっているので、携帯で地図を見る必要はない。道中、水道管を支える橋が目につく。水道橋にしては立派だし年季が入っている。昔は人が往来していたのだろうか。

立派な橋。通っているのは水道管ではないのかもしれない。夕焼けの共喰いも起きている。

釣り堀の位置を示す、褪せた看板を見つけた。少し長めの坂を下っていく。なぜか目に映る坂の長さと、歩いて感じるそれが一致しない。何かを跨いでいる感覚がある。

到着して気づく。別世界ではない、現実とはあくまで地続きだ。ただここはある種の人達にとっての聖域というかアンタッチャブルな場所というか、そういう存在なのだ。であるゆえの跨ぐ、踏み入る感覚なのだろう。(帰ってから調べて知ったが、この施設は河川占用はされておらず、不法占拠状態らしい。全くもって①で日高屋の心配をしている場合ではなかった。)

施設全体の雰囲気に、しっかりとした重みがある。レトロ(俗にいうSNS映えする古さ)とかではなく、長年にわたる使用感由来のものだろう。東京の早すぎる消費や流行のサイクルに耐えてきた年季の入り方をしている。

座るためのビールケースが釣り堀を囲むように並んでいる。ある程度の雑然さと整然さが同居している。これが完璧な配置だときっとずいぶんと気持ち悪く感じるだろう。

釣り堀は適度に賑わい、常連のおじさんたちやデート中の(餌に触りたくなさそうな女性が片割れの)カップル、父子で構成されていた。それぞれが自然に棲み分かれて、独特の空気を作り出している。ここに息子を連れてきてあげようと思う、父親の心がすごく美しいし羨ましいと思った。

受付で料金を支払い、餌を買い、竿を借りる。初心者向けの池に来てみた。知らない場所でよく知る餌のにおいに安心する。

池がどれくらい深いか確認しようと覗き込むと、間抜けな顔をした自分と、そんなことは一切気にしていない悠々と泳ぐ鯉が異なるレイヤーで映る。

針に餌を付け、糸をたらす。なぜか少し緊張する。

釣りの本質は、待ち時間をいかに楽しむかだと思う。実際、ほとんど待ち時間だ。釣れるのを待ちながら、水面のウキと周囲を交互に見る。

ビルの上半分だけが夕焼けで赤くなっている。ビルがビルの日陰を作っている。さながら夕焼けの共喰いである。そして、その中を電車が突っ切っていく。先ほど電車から見ると、周囲から浮いた存在に見えた釣り堀と釣り人だが、実際自分がその一部になると、駅や電車から見られることなんて気にもならない。見られている気もしない。

奥の方の上級者用の池にいる常連のおじさんたちは、意外にもあまり言葉を交わさず、淡々とそれぞれの釣りをしている。ともすると、呆気なく消費されてしまいそうなこの場所の防波堤になっているのは、彼らなのかもしれない。彼らは普段海や川へ釣りに行くことがあるのだろうか。

そんなことを考えていると、ついついウキに目をやるのを忘れる。当然餌は無くなっている。きちんと餌を付けているはずなのだが。鯉は想像以上に賢いようだ。

今一度姿勢を正す。

針に餌を付ける。糸を垂らす。ウキに目を凝らす。しばらく小刻みに動く。引き上げると餌がなくなっている。その繰り返し。
釣れない。

残された時間は少ないが、一旦、悪い流れを断つために煙草休憩に向かう。施設の他部分同様、年季の入った喫煙所だ。くたびれている。灰皿もコンビニの前でよく見る形なんかじゃない。学生の頃は釣りをしながらよく火の点いた煙草を咥えていたが、ここではそうはいかない。都心で釣りをする代償だろう。

駅の蛍光灯の青白さが目立つ。釣り堀の街灯とは、色味が違う。釣り堀のそれは暖かい白熱色をしている。

夜の釣り堀

水面にビルが映っている。今まで釣りをしてきて、水面に街灯が反射することはあっても、マンションの灯りが反射することはなかった。

それぞれなぜ目についたのかと思ったら、辺りはすっかり夜になっていた。釣りをしていると時間は早く流れる。それは日本海の海辺でも、市ヶ谷の釣り堀でも変わらない。

夜になって周囲の人通りも減ったのか、妙に静かだ。釣り堀内も人の数に対して、その物音が少ない。みんな集中して、水面を見つめているからか。もしくはここは開けていて、音が反射しないからだろうか。近くを通る電車の音も案外気にならない。鯉にとっても案外悪い環境ではないのかもしれない。

一本吸い終えた。姿勢を正し、池に正対し、釣りを再開する。先ほどまでとは気概が違う。釣れずに帰るわけにはいかない。

直後、強いアタリがあり驚く。あまりに急だし、鯉の引きがここまで強いとは思わなかった。手元まで手繰り寄せ、もう片方の手でタモを手に取り、若干ぎこちない手つきで掬い上げた。

遂に釣れた、達成感が凄まじい。鯉に感謝と謝罪をしながら、優しくリリースした。なぜかわからないが、学生の頃にした海釣りで魚を釣ったときよりも今の方がずっと嬉しい。釣ること自体は今日の方が簡単なはずなのに。

満足しながら竿に丁寧に再度糸を巻きつけ、お詫びとし鯉たちに少し残った餌を全部やった。片づけをして道具を受付に返却し施設を後に、しようとした。

何故か最後にもう一度鯉が見たくなり、先ほど釣りをしていた位置に戻り、水面を覗き込んだ。鯉と目が合う。怒ったような眼をしていた。

直後、気が付くと、私は、鯉になっていた。


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