『呼吸をふわっと整える』 セルフ・ライナーノーツ その5
<呼>と<吸>のあいだに、落ちる
呼吸は身心のコンディションの最高の指標であり、深くなめらかな呼吸は整体をはじめとするボディーワーク共通の目標でもありますが、実際には、整体中に呼吸に張り付くようにモニターしているわけではありません。むしろ少し横目でモニターしているくらいの感じなのです。
これは、本書を書くにあたって、あらためて整体中の呼吸の変化をよく観察してみて実感したのですが、実践的な場面では、呼吸の動きを「真正面からじっと観る」ということになると、緊張感が高まり過ぎて、互いのリラックスと共鳴をかえって損なうことも見えてきました。これまでの経験を振り返ってみても、横目で何気なくモニターするほうが互いのあいだの反応はやはりスムーズなのです。
このことは、人と人のあいだの共鳴 = “ 息が合う ” ことにつながってきます。とくにもっとも “ 間 ” が立ち上がりやすい<呼>から<吸>への変わり目をキッチリ捉えようとするほど、“ 間 ” と意識とのあいだに問題が浮かび上がってきました。
意識は連続しているつもりなのに、どうも、眠りに落ちる瞬間のように意識が飛ぶのです。 これは呼吸を数えてみようとして初めて分かったことです。整体中、意識が失われている〝 間 〞がある。ここで何が起こっているのか? (第一章より)
このことについては、少しずつ角度を変えながら、さらにくり返し問い直してていくことになります。
整体の受け手の呼吸の“ 間 ”と術者の “ 間 ”が合う瞬間、術者の意識が落ちる。“ 間 ” の無意識は、眠りに “ 落ちる ” 瞬間とたぶん同じ。つまり<呼>と<吸>のあいだに、覚醒から眠りに切り替わるあいだの、どうやっても捕まえられない “ 間 ” と同じことが起きているのではないか、途切れることなく続いていると思われている私たち自身の日常の意識の中にも “ 間 ” という “ 無 ” の瞬間があちこちにあるのではないか?
この “ 隙間 ” から覗くと、食べること、笑うこと、分かること、感動すること、あらゆる芸能や芸術、あるいはまた“祈り”の中にも、一瞬一瞬、その場その場で“ 間 ” が息づいていることに、視界が開かれていくでしょう。
呼吸の “ 間 ” を、日々の生活の中の一つ一つの場面にていねいに重ね合わせて眺めてみると、透明な、切なる “ 間 ” が、ふわっと立ち現れてくるのです。
了
『呼吸をふわっと整える』は2019年10月16日 河出書房新社から刊行予定です。現在、Amazon で予約受付中。
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