2020 ー 21年 コロナ禍の中、私たちはどこにいるのか? 行こうとしているのか?
コロナ禍中の1年でした。
私たちの置かれている時代状況を、150年の幅をとって、ぐっと引いて観てみましょう。近代化の流れの中で、明治の初めから150年間、一貫して海外とのつながりが大きくなってきました。その間、工業化とともに工場などの「密」が進み、都市化の「密」が極まっていく社会環境の変化もずっと続いてきました。
パンデミックの歴史を観れば、この150年の中の初期50年間はコレラが代表でしょう。幕末(200年前)から明治期まで、繰り返し流行しました。諸研究によれば、長崎・横浜などの港に海外から ” 上陸 ” し、海路あるいは街道沿いに広まり、江戸(東京)などの人口集積地で爆発というパターンが基本でした。人々の移動と経済活動が感染を拡大するのは、今も昔も変わらないようです。スペイン風邪が収束した1920年の流行を最後に、コレラの大流行が見られなくなったのは不思議なようですが、その後重工業化が進んでいった歴史的社会環境の変化とリンクしていると思われます。
一方で結核も、明治期以降の工業化による工場や寮などの集団生活、さらに繰り返された戦争・軍隊生活において、若者に感染が拡大していきました。100年前の「スペイン風邪(40万人が亡くなるパンデミック)」は、すでに蔓延していた結核感染者の死も急増させることになりました。その直後には関東大震災で10万人以上が亡くなり、そこからさらに戦争の時代へと向かうわけですから、20世紀の前半はとくに若者にとって、死の影がとんでもなく濃い時代だったといえます。
そしてこの150年間の後半、つまり「戦後」の75年、日本に住む私たちの多くは直接戦争には関わらないで来られましたし、60年ほど前からは、” 国民皆保険 ” のもと医療システムもどんどん高度になってきました。死の影はずいぶん遠ざけられてきたわけです。そこに新型コロナのパンデミック。欧米と比べればマシな状況とはいえ、死をなるべく遠くに ” 隔離 ” し続けてきた社会と私たちに、突きつけられている問いの本質は変わらないと思います。
経済的には、格差がどんどん拡大し、資本主義システムが行き詰まっているように見えます。次に何が起きるのかまったく分からない ” 五里霧中 ” のただ中にいるわけです。これが私たちの大きな意味でのストレス環境だと思います。
” 死について考える動物 ” それが人間です。東日本大震災 ー 3 . 11 原発事故も大きなショックと契機でした。地震も気候変動もパンデミックも、避けようもなくやってきます。コロナの陰で目立ちませんが、鳥インフルエンザも大流行しています。これも気候変動、生態系の変動とつながっているはずです。「あなたたちはどう生きて死にたいのか?」と、繰り返し問われているような気がするのです。
どう死ぬのかは基本的に選べません。人の死一般について語ることはできても、自分の死については、語ることも、どうすることもできません。いま、ここで、思い切り生きる、身を投じる、本能を賦活する。そういうことが私たちの可能性だと思います。” 生き切る ” ことはできるかもしれないと思うのです。
ストレスに対応するというストレス 本能の萎縮
” コロナ禍 ” の中では、自分が感染すること、同時に人に感染させることに対する不安という直接的ストレス以外に、身を縛る・自粛し続けるというストレス、人と人の間に硬直した距離感、息苦しい空気感があることがもう一つの大きなストレスです。
” 不要不急 ” の行事やイベント、旅、無駄話、飲み会など、当たり前なことが身心にメリハリを生んでいたかが実感されます。身心はただそこにあるだけではなく、日常を脱する行動、節目を作る行動と安息の間の往復運動のリズムの中で、つねに再生し続けていることがよく分かります。
いつでもただで、何も意識することなく吸うことができた空気が、” ない ” 感じ。身を委ねられない空気感・空間の中にいて、つねに身構え続けている。
こういう環境の中でいかにリラックスを生むのか? ” 生きる ” を賦活するのか?
死を遠ざけ、安全な環境を作る。そのために経済を拡大する。これが人類の歴史ともいえます。パンデミックがそれを脅かしているのが今です。しかし、ウィルスはどうやってもゼロにはならないし、根治療法もない。スペイン風邪が100年かかって弱毒化してきた季節性インフルエンザですら、未だ特効薬も、決定的なワクチンもないわけです。
結局「行動抑制」しか対策はないのですが、そこでの大問題は、生きることそのものの ” 萎縮 ” です。こんな環境の中でも、どうやって ” 思い切りよく ” 生きたらいいのか、「自分にとって一番大切なものは何なのか」ということが、より切実に感じられるのではないでしょうか。
たとえば私の場合なら、整体という場そのものが自分にとっていかに切実なものだったのかということが、とてもリアルに感じられました。ロルフィングの田畑浩良さんも同じような心境を述べられていました。きっと多くの人がそれぞれの ” 切実 ” を身に沁みて感じられていることでしょう。
誰もがいずれ死ぬのですが、とりあえず今を思い切り生きるということが、よく死ぬということにつながりそうな気がするのです。
身心の賦活の鍵=胸椎11番 ” 整体観察 ” の中から
” コロナ禍 ” の中、半年以上にわたって ” 整体観察 ” してきましたが、” 身構え”の要は、みぞおちの真裏の胸椎11番でした。
胸椎11番は胸と腰(上半身と下半身)の継ぎ手になる椎骨です。体幹の椎骨の中で最も動きの自由度が高いところといえます。
集中体勢になると、上に持ち上がって ON の状態になり、引き締まって動きの粘度が高くなります。くつろぐときには下がって OFF ポジションに戻り、なめらかに前後左右に自在にゆらぐようになります。(近年、静止姿勢の中にゆらぎを伴う動き〘 脱力 ↔ 引き締め 〙があることが科学的にも注目、検証されるようになりました)つまりリラックスしていれば、胸椎11番はゆらゆら、よく揺れるところなのです。
胸椎11番の動き自体が集中 ↔ リラックスの ON - OFF スイッチになっていて、それが自在に機能しているということが、” 思い切りよく ” 生きるということの ” 肝腎要 ” なのではないかと見えてきました。
とくに胸椎10番と11番の間(第10肋骨と11肋骨の間も含める)の動きが、”コロナ禍中 ” の緊張の継続で固まり(主に左側)、ゆるみにくくなるということが、程度の差はあれ、ほぼすべての人で観察されました。これだけ多くの人の胸椎11番が長期間いっせいに同じような緊張と疲れ方をするのは初めて見ました。ここが ”コロナ疲れ ” のキモです。
第10-12肋骨はドーム状の筋肉である横隔膜の裾になり、当然呼吸の深さにも影響します。眠りが浅くなり、疲れが取れにくくなるという悪循環にもなりやすくなります。
また横隔膜と腰をつなぐ(左側は腰椎2番、右は腰椎3番)「脚(きゃく)」と呼ばれる ” 舫い綱 ” のような感じの筋(横隔膜の一部)があるのですが、これが引き攣れて(推測です)腰椎2番と3番の間が硬くなる傾向が11月ころから目立つようになってきました。胸椎11番が最も姿勢ゆらぎが現れやすいところであるとすれば、腰椎3番の動きそのものは微細ですが、ゆらぎのしなやかさの起点になる椎骨といえます。
腰椎2番と3番の間の弾力は、胃の動きに影響します。ここが硬くなっていると、胃の出口(幽門)から十二指腸の動きが鈍くなります。甘いものや酒はこの動きを少し良くするので、食べすぎ飲みすぎにもなりやすいです。また、胃酸が溜まると胃の調子も悪くなりますが、気分的には鬱になります。胃の動きが止まると思考も前に進みにくくなり、” 堂々巡り ” になります。胃がムカつけば気分もムカつきやすく、イライラしやすくもなります。これも ” コロナ禍 ” の嫌~な気分の一部になっていると思われます。
胸椎11番が要となる、集中ーリラックスのスイッチングの動きは、本来本能的なものです。必要なときだけオンになって ” 集中体勢 ” になり、それ以外のときは本来自動的にオフになってリラックスするようになっているものです。身の安全を確保するために社会を発展させてきた人間は、社会システムが高度になるほど、一方で本能を見失ってきたのではないかと思います。とくに個人としても社会的にも、” 安全 ” に意識的にならざるをえないこのところの状況では、身体の中から湧いてくる ” 直感的危険回避 ” などの本能の動きをむしろ制約しているのではないかと思うのです。
胸椎11番は、本能を賦活する起点にもなりうると思います。人間を含め、哺乳動物は共通して、集中ーリラックスのスイッチング動作として ” 伸び ” をします。人間の場合は ” 伸び ” が胸椎11番の弾力を呼びます(これは間違いありません)。ストレスが慢性化すると、逆に、本来緊張のリセットのために本来自然に出てくるはずの ” 伸び ” が、出にくくなってしまいます。
「そういえば、しばらく ” 伸び ” をしてないな」と思う人は、” 本能の危機 ” です。ときどき ” 伸び ” をして ” 胸椎11番=本能 ” の賦活をこころみて下さい。ついでにあくびもでれば、さらに反応は高まります。
参照 :伸び
胸椎11番の疲れとり体操
人間社会の中で、”生きる”を賦活し、本能を再生するものとは、音楽・ダンス・アート・笑い・雑談・飲み会・祭・旅というようなことです。ことごとく”不要不急 ” 、”なくても問題ない ” と言われるものばかりですが、人類誕生以来ずっと私たちが必要とし、ともにあるものです。いま私たちは、いつでも当たり前にともにあった大切なものの有り難みを身にしみて感じている最中なのです。私には ” 復活の日 ” を祈ることしかできませんが…祈りをこめて、待ってます。
参照 :「コロナ禍中の身体 その2 ーー 身体はどう応えているのか 」
2020年11月の『コロナ禍中の身体 その2』の中での報告。「過敏な体質の人たちを中心に、仰向けになったとき、リラックスしていても、足先が立つ傾向」の続報も付記しておきます。
10~11月は、一部の人達に特徴的な反応が見えました。全身の緊張をゆるめても、足先が閉じる緊張はなかなか抜けない。12月に入って少しゆるむ傾向が出てきました。
Mさんの足先:全身をゆるめる前

全身をゆるめた後:足先がゆるんでわずかに広がった(ふつうはもっと大きくはっきり広がります)

身心の”身構え” どのようになっていくのか? 引き続き”整体観察”していきます。
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