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【小説のようなもの】hikari-toha

ふと、気づくと歩いている。
ここは、どこだろう。

俯くと白線が目に入る。
歩道と車道を分ける白の。
見上げると街灯が点、点、点、と柔らかな色を放っている。

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ああ、ここは多分…東京だ。夏と冬だけ訪れたことがある、東京のどこか。
じゃあ、いつなのか。住宅街。街灯。夜。真夜中だろう。
人もいないし、車も通らない。
静かな夜。

どこだろう。
いつだろう。

考えると答えが、光景が、景色がすぐに用意される。後付けされ続ける“今”。

ある人が言っていた。睡眠中でも「自分は今、夢を見ている」という実感があるのだと。頭のいい人だから、「夜脳」の働きも違うのだろう。少し羨ましいと思う。

もしかしたら、同じような現象が自分にも起きているのかもしれない。落ち着いて。何故か足もとはふらつくけれど、こんな場所にひとりでいるわけがない。深呼吸をして。それから、ゆっくりと左側を見てみよう。

ああ。やっぱり。
彼女がいる。

並んで歩いている。右側を好む私と対照的に、彼女は左側を歩いている。
彼女の存在が“夢”の“今”をさらに色付ける。

季節は夏だ。25℃超えなら半袖。それは地方にいれば、の話。東京なら気温も、湿度も想定外だからノースリーブがちょうどいい。もちろん、バッグにはいつでも羽織れるストールを忍ばせて。これなら強すぎる夏の日差しも、冷やしすぎの店内も平気だ。

東京に滞在する時は、彼女の部屋に泊まった。いつも通りの、ふたりの行動パターン。一緒に地下鉄で街へ出て、ライヴや映画、ときには演劇を楽しんだ。ひとりなら絶対に入らない店でお酒を飲んだあとカラオケ店に寄った。お互いの好みが重ならないのを知っているから、好きなアーティストの歌を好きなだけ歌った。彼女のお気に入りの店でまた飲み直して、帰り道。お互いがいい調子に酔っていて、いつもなら早く歩きがちな両足も、ゆっくりゆっくり進んでいる。そんな、いつかの夜。

ふいに、彼女が言う。

「いっぱい飲んだねえ」
「うん。一生分飲んだよ私」
「大袈裟だなあyさんは…。それにしても、何であんなに盛り上がったんだろ。あれかな?フローズンダイキリで酔っちゃったかな。2人しかいないのに『かめかめぴょんゲーム』までやって。面白かったけど」
「何だろね。カラオケ行ったら行ったで『テクノバージョン!』って叫んでたでしょ?わあナツカシ〜イ」
ふざけた口調で言うと、彼女はふふ、と笑う。
「寝言でも言ったりね」
心の中で、mちゃんはホントに歌が好きなんだから…と呟いたが、彼女は即答する。

「そうだよ。歌うの好きだもん。電話のとき、必ず1曲は歌ったよね」

うん。歌った歌った、と私も答える。mちゃんイチオシのアーティストの曲を聴くたび、思い出す。

ああ、この曲は彼女、が…
あ、れ…?

「──電話じゃなくて、こうやってとなりでさ、話すのっていいね!」

私の思考をうまく遮って、彼女がひらっと縁石に乗って、言う。白線の内側に現れた縁石が、飛び飛びで続いている。それに合わせて彼女も、トン、トンッとジャンプする。

「うん。美味しいのも、面白いのも、一緒だと倍増!だよね」
「yさんはもうちょっとハジけるべきだよー」
「いやあ、なかなか難しいよ…」
「“強運子きょううんこ”のワタシが断言する。つぎ行こ、次、y!」
「“幸運子こううんこ”の私としてはmちゃんを見習いたいでーす」
「ふーん。…けど、あの人のことはずっと好きだよね。yさんらしいけどさ。つぎに行く気はないの?」

つぎへ行こう──これは彼女がいつも言う言葉だ。仕事で失敗しても、趣味のパチンコやスロットで大損しても、そしてもちろん──恋の終わりでも。どんなときも前向きに、大丈夫、大丈夫、つぎ行こ次、と笑う彼女を見れば、私も嬉しくなり…

…あれ?

どうして知っているんだろう。誰かに話したことはない。知らないはずだ。彼女でさえも。いや、それよりも彼女は…
言葉よりとても大事な何かが浮かびかけたが、振り切るように、彼女は私が辿った恋の道筋を語り始める。

「一度は諦めた。しかーし!あることがきっかけで再起動…ってパソコンみたい。再始動ね、うん。で、フラれたんだっけ?それから友達のよーな、師弟のよーな気持ちを抱えて、月日は過ぎ今に至る…あぁー!なんかドラマが作れそう」
「あっ、絶対、コメディ路線でいく気でしょ?…でも今はもう、恋愛ぽいのはないなあ。尊敬はしてるけど」
「え?そうなの?」
「そうだよ」

私は苦笑し、真実味をもつ想像の邪魔を試みる。数分あれば、ショートコントのオチを3パターンは思いつくに違いない。1ヶ月あるなら、サークル誌に載せるコメディ小説を。そんな素晴らしい才能によって、周りの人間は何度笑わされたことか。

「“強運子”とか“幸運子”って、yさんらしいおかしな言葉作ったよねえ。そうそう、誰が言ったかわかんないけど “あなたが笑うと私も嬉しい”。これ、ワタシが好きな言葉で」
「ああ、うん。それmちゃんにぴったり!」
またしても唐突な発言だが、彼女が微笑みながら言うので、心を読まれた?などと疑うこともなく、笑顔で頷く。

しかし、彼女は同じようにうんうん、と頷き返したあと、まっすぐ私を見つめ、はっきりと言うのだ。

「──だからyさん、これからも、笑っているんだよ?」
「え」
「Multiple Sclerosis」

とても、きれいな発音だった。
その瞬間、何かが更新された。
夢の中なら、よくあることだろう。

私と彼女を取り巻くなにか──時間でもない、場所でもない。既知か否かを超えた何かが働き、納得させられ、スラスラと言葉が出てきた。

「その英語の病名、うまく言えない。“多発性硬化症”だと長いし。“MS”って略すほうがラク」
「決してマイク◯ソフトの略じゃないんだ?」
「そうそう。“MちゃんSちゃん”の略でもない」
「あ、ああー。コンテストで即、落選しちゃいそう」
2人の下の名前をくっつけたコンビ名。お笑い好きの彼女らしいコメントだ。同じように茶化そうとしたが、やめた。

──ひと呼吸おいて、真面目に答えることにした。

「──あのね。ひとつひとつ、対応していくしかないんだ」
「うん」
「この難病、5、6年前に分かって。これからどうなってしまうんだろう、って不安だった」
「うん」
「人によって、症状の出方が違うんだって。私のは、はじめに強い痺れが来た。皮膚が厚くなったような痺れと、細かい砂つぶのような2種類の痺れが首から下に来た。歩くとフワフワ浮いてる感じもあった。治療が始まってから実感したのはお箸が持ちにくいのと、足の爪が切れない」
「どうして?」
「爪切りを握っても、指先の感覚が鈍くなってて。無理をすると、なんだかザクッと肉切っちゃいそうでやめた」
「ええー、こわいね、ソレ」
「今まで 出来てた、こういう、単純なことが出来ないんだもの。すごくショックだったよ」
それからそれから、と話し続ける私に彼女はただ「うん」「そっかあ」とだけ相槌を打ち続けた。
もう彼女のアパートに着いている頃合だ。しかしまだ、まだ歩道は切れなかった。

足元の白線に靴先を乗せながら、彼女は言った。
「──そうだねえ。医学 versus 病気。一緒に歩くか、それとも走るか。ワタシはエイっ!て先に追い越しちゃったけど。夏目雅子や本田美奈子とおんなじっていう。…おおー、“ザ・美人”ってトコもおなじだね!」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼女は目を細めた。
あの時の笑顔のままだ。

あの時。
彼女を見舞った時、病室ではまたね、と言って別れた。いつものように、また会えると思っていたのだ。“また”がこの世界には“ない”なんて、知らなかったのだ。

二度と会えないなんて、本当に知らなかったのだ。

「──あ。そうだ!例の文、ありがとう。イイ感じだったよ」

彼女らしい明るさで沈黙は破られた。

「イイ感じって…。あれは」

彼女のための“弔辞”だ。

高校時代から、そして社会人になっても、私の拙い作品を最初に読むのは彼女だった。辛口の感想をもつ友人もいたが、彼女は甘めの、本人曰く“とってもキャッチー”な言葉を選んでくれた。そのおかげで、どんなときでも書く楽しさを失わずに済んだ。

だから、葬儀限定の文章であっても、最高の作品を贈りたいという気持ちで書き、友人代表として読みあげ、彼女を送り出した。

《ね、世界には楽しいことがいーっぱいあるんだから外へ出ようよ。立ち止まるより、歩いて次の何かを見つけなきゃ!》

そう言って、いつでも私を引っ張った彼女。言葉通り、楽しいことを見つけて行動に移す天才。誰もが認める夏のヒマワリのような明るさを持っていた。

しかし私は、夜明け前の迷いを救うように、掬うように灯る“光”のようにも思えた。

実はあの人への気持ちを再始動させた“あること”とは、彼女の死、だった。

当時の自分は、家にいるよりも会社のほうが落ち着く、そんな時間配分で日々を過ごしていた。他人のために非常に多くの時間を使い、自分の時間、とくに創作の時間はほとんどなかった。彼女の訃報を知るまでは。

これからはもう少し、自分のための時間を増やそう。好きなことに使うし、好きな人に近況を伝えることをしてみたい。

──mちゃんならどう思うかな?

転機は何度かあったが、決断が必要なとき、思い出すのは彼女の顔だった。
彼女の死は、自分の生き方を考え直すきっかけになったのだ。


ほらほら、と彼女が指差した。

「あっちの歩道に渡っちゃうから交差点でお別れだね」
「え、もう、なの?」
「うん。部屋帰って寝るんだー。yさんが例の文で言ったんじゃない。ワタシは“別の世界で眠るし、目覚める”って」
「そうだけど…」

もっとたくさん、彼女と会話を続けたかった。

しかし彼女は昔と同じように微笑みながら、んん?と首を傾げた後、私の左側から離れていった。真面目に横断歩道を渡り、反対側の歩道へ。ゆっくりのようだが、不思議な速さを持つ、そんな動きだった。

この、あまりにも自然な流れは、都合のいい夢がもうすぐ終わることを知らせていた。

夏に生まれて、夏にさようなら。
ありがとう。本当にありがとう。
強運子のmちゃん、大好きだよ。またね。


遠く、向こう側の歩道なのに、私に向かって歌う彼女の声がはっきり聞こえた。
ああそうだ。この曲は、彼女が生きていたときに流行ったものだ。
いつか電話口でふざけて歌った、替え歌のメロディ。
《できなーい、いーんですかい?》
ではなく、正確な発音。

《──naked eyes in the sky》

《空。空だよ》

促されるように見上げてみた。
頭上には、青と紫を足したような景色があった。

これは本当に空なのか分からなくなり、もう一度、視線を下へ戻した。
そのとき、歩道の線が輝いた。


“光の三原色”をぜんぶ混ぜたら…

“白”?


応えるようにそれは、眩しさに溶け込んでいき、


そして、



私は目が覚めた。


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END.


あとがき2021

亡くなった友人と、自分のことをフィクション寄りの小説にしました。友人が好きだった曲はB'zの『ALONE』です。これは夜明けではなく、夕暮れ時の歌ですね。

それにしても…放置(熟成と呼ぼう)と書き直しを繰り返して、6年の時間がかかるとは。

私が好きな小説のひとつに、作家の吉本ばななさんが大学卒業制作として書いた『ムーンライト・シャドウ』があります。

難病が発症した2015年、あのようなお話は無理でも美しくて悲しくて、それでも明るさを保つ内容がいいなと思い、紙のノートに書き始めたのを覚えています。

この、私小説のようなものをあげたら文字通り、次に行けます。楽しい。考えることも書くことも、たくさんは出来ないけれど、続いていくのです。続けていくのです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

    ★写真はフリー素材を使用しました

2021年7月31日
アラタミフユ


あとがき2024

自分を振り返る・確かめるため夏限定でupしてきたこの作品。何でもない今日、マガジンに入れていつでも読めるように変更しました。

来年でMS歴10年です。いろいろな考え方がありますが、私は“変わらないことが良いこと”グループの一員だなと実感する数年間でした。

相変わらず、で創作を続けたいです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

2024年6月28日
アラタミフユ