お茶する、がわからない系男子
元職場の同期が、我が家に遊びに来てくれることになった。そのことを夫に伝えてから当日までの数日間、なんだか彼はずっとそわそわとしていた。
「お茶するって、なにするの?」
お茶する と言ったら、お茶をするのである。茶をしばくことに他ならない。
しかし彼は「うちで・友人(私の同期)と・何時間か・お茶をする」ということがよくわからないというのである。結局、なにするの?と何度も訊ねてくる。そうすると、私もいい加減乱暴になってくる。お茶をするんだよ!
そんなことを訊かれ続けた結果、ついには私も 私がおかしいのか?と思い始めてしまい、同期に『うち何もないけど大丈夫かな?』というメッセージを送ってしまった。彼女からは『お茶するだけで大丈夫だよ!』と返ってきた。
私は、お茶をするといえば、家やカフェでドリンクなどを楽しみながらおしゃべりを楽しむこと、という意味合いでこの言葉を使用している。彼は、カフェや喫茶店に行ってお茶をする、という使い方には違和感は無いようで、どうにも「家に来て(行って)お茶をする」ということにはそわそわとしてしまうらしい。
何が引っかかっているの?と問うと、だって家に来る(行く)というのは、一緒にゲームしようってなったときぐらいじゃん、と夫は言う。「一緒にゲームをする」「一緒に勉強をする」などの具体的な目的が無く、誰かが家に遊びにくる、ということに違和感を感じて緊張しているということらしかった。
ほう、と思った。私なんかは幼い頃から、特に目的を定めずに「〇〇ちゃんと家で遊ぶ」のみで友人と家を行き来していたような気がする。実際、家の中でやっていたことは、おやつを食べたり、新しく買ってもらったメモ帳のページを交換したりシールを交換したり。よく考えたら、大人になった私の「お茶する」と本質的にはなんら変わりは無いな、と思う。
対して、彼は「ゲームしようぜ!」「サッカーしようぜ!」で友人と連れ立って遊ぶ子供だったそうで、なるほど私も思い返してみると、たしかにクラスメイトの男の子たちはそうだった。基本的には、〇〇をするためにみんなで集まる、という感じ。
今の時代、男の子がとか、女の子が、などと言うのは躊躇った方が良いのかもしれないが、これにはなるほど面白いなと思った。「お茶するって、結局なにするの?」意外と、男性の中にはそういう感覚の人も多いのだろうか。
結局、ずうっと彼はそわそわし続けていたので、あなたはコーヒーを淹れるのが上手だから同期ちゃんにも淹れてあげてね、などとなんとなく役割をちらつかせながら当日を迎えた。夫も同じ会社で割と気の置けない仲であるので、一緒に出迎え、みんなでテーブルを囲んでお茶をした。ゆっくりお茶をして、彼女は帰っていった。
本当にお茶だけで終わったね、と言うので、これがお茶ですよ、と胸を張ってみせた。これがお茶なんだねえ、と彼はしみじみとしていた。穏やかで良い時間だった。またぜひ遊びに来てほしい、と心から思える日だった。
実は今回、夫と一緒にわが家にお客さまをお招きするのは初めてのことであった。いつもはただ家でのんびりしている彼は、私たちがおしゃべりに夢中になっている間にテキパキとドリンクやおやつの準備をしてくれたりしていて、その間合いや塩梅が私の感覚とぴったりで、驚くと同時にこの人と一緒になったのは本当に良かったことだなあと感じる瞬間でもあった。
彼にとっても非常に満足感のある「お茶」ができたようなので、これからはどんどん、一緒に誰かをお招きしていこうと思う。たのしく素敵な時間の共有を増やしていこう。同期の彼女も、近いうちにまた来てくれるつもりでいるようである。