完成!コージー大内のドキュメンタリー「ブルースんどれい」
◆革命だった コージーの弁ブルース
コージー大内は不思議なシンガーである。
多作でもない。
全国ツアーするわけでもない
人を押しのけてでも売れてやろうとする欲が見えない。
でも一度歌い出せば、その歌声は人のこころに足跡を残す。
その足跡を記録した
コージー大内のドキュメンタリー映画『ブルースんどれい』が完成した。
2016年から2020年にかけておよそ5年間にわたる撮影を
2時間近くにまとめた力作だ。
コージーといえば“弁ブルース”。ブルースのビートにのせて、ふるさと大分・日田弁で歌われる日本語ブルースは衝撃だった。
「外国のブルースではなく
日本のブルースをやってると初めて感じた人ですね。
コージー大内以前、以後と言って良いくらい革新的だったですね」
ドキュメンタリーにも、そんなコメントがある。
だが、そんな革命とも衝撃とも関係なく
カメラは、淡々とその背中を追いかける。
東京や九州の20人も入れば満タンの小さなライブバー。
コージーを応援するという名目での飲み会。
仲間との屋形船で握るカラオケマイク。
そして、切っても切れない、ふるさと日田。
ファンがサインを求めるタワーレコードのインストア・ライブも
地元のおじちゃん、おばちゃんが集う「ふるさと祭り」でも
コージーの歌は変わらない。
なんならギターも衣装も変わらない。
そしてお客さんが誰であろうと
会場がどこであろうと
ライトニン・ホプキンスの「モジョ・ハンド」を知っていようとなかろうと
おんなじように、人のこころを動かす。
◆ギミックのない歌うたいとシンプルな演出
ドキュメンタリーには、ナレーションもなければ、余計な字幕もない。
多少のコメントはあるモノの過度な賛美の言葉もない。
大雨により姿を変えてしまったふるさと日田の
痛々しい風景を映すときですら
ひたすら淡々としている。
ギミックのない歌うたいをドキュメントするには
余計な演出などいらないということだろう。
今気づいたが、プロフィールとやらが紹介されているわけでもないのだ。
だが、おそらくこのドキュメンタリーを観た人は
コージー大内の人生の物語を描くことができるはずだ。
単線の日田彦山線が走る日田の大鶴村。
川のせせらぎしか聞こえない田園風景。
坂の上にある保育園に小学校。
あの山の向こうに何があるのか(!?)と夢想した少年時代。
ギャンブルに夢中だったオヤジさん。
公民館でサイレンを鳴らすのが仕事だったお母さん。
給料に引かれて上京し、勤め続けたたトンカツ屋さん。
1日8時間夢中になって弾いてたブルース。
声をかけてくれたブルース・バーでの初めてのライブ。
そうして
日田彦山線沿いの
向こうに三角の山が見えたとき
わたしの胸に熱いものがこみあげた。
行ったこともないまち、
初めての風景だというのに。
映画を見終わるころには
一緒に物語を生きている自分に気づく。
おそらくコージーを知らない人も
同じ気持ちになるだろう。
==ブルースんどれい トレイラー==
◆私小説を共有体験にするコージーのブルース
コージーの歌の題材は、家族や世話になった人が中心だ。
ふるさとでの体験がほとんどと言っていい。
他の人なら、湿っぽいフォークソングになりかねないところ
コージーが歌うと不思議とそうならない。
第一にあるのは、ブルースで培った
強いビート。
でも、それ以上にポイントは
ウィットに富んだ表現とともに
私小説をみんなの体験にしてしまうこと。
そこにこそ、私はコージーの、
そしてブルースの本質を見る。
副題に「俺はブルースに魂を売った」とあるけれど
コージーは取引したんじゃなくて
ブルースを食べちゃっちゃったんじゃないのかな。
血肉になり細胞の一部になったから
今、彼が歌ううたはすべてブルースになる。
バーボンと女と十字路を歌えばブルース。
それこそが幻想なんだよね。
彼は、彼のブルースをちゃんと懐に抱いてる。
誰も真似できない、一代限りの歌うたい。
この作品で、彼に会いたくなる人は少なくないだろう。
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「ブルースんどれい」
出演:コージー大内
と、ゲストの皆さん
撮影・構成・編集 佐藤博昭
2021年制作 111分
https://www.facebook.com/groups/4171491929560386/
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