雲の上の放送局「NHK檮原放送局」(2)檮原村の時間 その2

 檮原村の時間「山びこ通信」がどのような内容のものだったか。その足跡を辿ることが出来ないかと考え、当時の村の広報紙を調査することとした。
 「檮原村広報」は1953年に創刊されたが、8号発行後に休止。そして1958年5月20日、再開された。その再開以降のものを縮刷版としてまとめたものが高知県立図書館に所蔵されており、それを利用した。檮原放送局が放送開始したのは1955年。その時期は檮原村広報は発行されていないのが残念ではある。

 まず、1958年7月20日発行(第3号)において、「明るく豊かな村づくりと公民館活動について」と題した文章がある。公民館というと社会教育等が行われる建物自体を連想するが、ここで言う公民館は、社会教育活動を行う組織を指す。現に、この文章内に「本村にはその設備を持った建物は一棟も無く、名目上では役場庁舎が本館で各学校が分館」とある。この時、檮原村教育委員会内に公民館主事が設置され、社会教育方面に力を注ぐ事となった。その公民館が行っている事務として、「青年学級の実施」「図書を備えてその利用に供すること」「村広報の編集発行」「檮原放送局へのニュースの提供」などとある。つまり、「山びこ通信」で広報されていた内容は、教育委員会公民館が取りまとめていた、という事になる。

 これ以降の檮原村広報にも、檮原放送局やそれに関する記述が多く見られた。それらをまとめると、
・1959年、「声くらべ腕くらべ子供音楽会」「NHKミュージックホール」公開録音実施。送信アンテナ指向性の変更
・1960年、「放送演芸会」公開録音実施、出演は内海内海好江・桂子、一龍斎貞丈 、柳亭痴楽。局舎およびアンテナ移転、無人局化。
・1961年、檮原放送局独自の「やまびこ通信」終了、「県民へのお知らせ」に統合される。
といった事が明らかになった。また青年学級・婦人学級の一環としてもNHKの放送が大いに利用されていた事が分かった。実際の記事内容を以下に列記する。

●1958.9.20発行 第5号「回顧」9月3日 四万川中学校においてNHK高知放送局と檮原村公民館主催による巡回映画会NHK高知放送局総務部長来村

●1959.4.20発行 第13号「回顧」3月20日 檮原青年学級研究発表会 藤本県社会教育課長、樋口NHK放送部長ら主席

●1959.5.20発行 第14号「回顧」4月18日 NHKと檮原共催の声くらべ腕くらべ子供音楽会檮原中学校で開催
4月19日 NHK檮原放送局開局四周年、檮原中学校屋内運動場落成記念行事としてNHKミュージックホールの公演
4月20日 NHK檮原放送局の示向線(※原文ママ)アンテナ除去に伴う空中電波の測定。NHKからは石渡技術部長、中原係長、村当局から崎村村長、中越公民館主事立会する。

●1960.5.20発行 第27号「村では唯一の放送局 にぎわった放送演芸界」
 檮原村に放送局が開局されて早くも五ヶ年を経過した。 NHK高知放送局と檮原放送局主催、檮原村後援の檮原放送局開局5周年記念の放送演芸会は、桜の花も散りすぎて、ようやく若葉の季節に入らんつする4月17日、漫才の内海よしえ・桂子、講談の一龍斎貞丈 、落語の柳亭痴楽、アトラクションとして浪曲の木村友春といったその道の大家を迎えて、檮原中学校屋内運動場で盛大に開催され観客は村内外からどっと押し寄せた。気の早い連中は会場準備も整わぬ午前9時頃から会場周辺にたむろして開演を待つ始末、開演1時間前には約2300人が入場、さしもの体育館も立すいの余地の無い大入り満員。
 東京の本局からは 青木アナウンサーと能条プロデューサー、 高知放送局からは手島局長以下10余名が出席 、録音やら進行に当たった。
 午後2時手島放送局長の挨拶、全国広しといえども村に放送局があるのはただこの檮原村村だけだ。これは一重に崎村村長さんをはじめ村民の方々のご熱意のたまものだと述べ崎村村長へ感謝状の贈呈を行った。この後崎村村長は、芸能人や局員に対して遠路来村された労苦を謝したのち、毎週日曜日に村内向け放送されるやまびこ通信にしても僻地の文化振興に対するNHKの厚意に他ならないと謝辞をのべて演芸会に移る。
 演芸会は午後2時30分から4時30分まで約2時間行われお笑いのうちに幕を閉じた。この公開録音は4月28日午後8時から9時までの1時間にわたって全国に放送された。

●1950.9.20発行 第31号 「アンテナを2.5倍に」NHK檮原放送局の改築
 NHKにおいては各中央局の出力増大に伴って、地方中継局の廃止統合が行われているが 檮原放送局は本村の熱心な意向をくみ、永久局として存置することに決定し9月から新設備に着工した。
 新設備は鉄筋コンクリートの建物一棟とその屋上に高さ65mの金属製円柱を建て(現在のアンテナ柱の約2倍半の高さ)先端及び中間に赤の航空障害燈が付き檮原町美観を一段と高めるとともに、今まで 第1放送だけ 中継されていたものがこの設備で第2放送も中継されることになり、その教育効果は格段のものがある。このための費用は全てNHKが負担し、NHKの山村に対する理解と同情のほどがうかがわれる。

●1960.12.20発行 第34号「回顧」12月3日 NHK主催の婦人学級行われる。
12月4日 NHK檮原中継放送所工事竣工式

●1961.1.1発行 新年特別増刊「第2放送も開始 NHK檮原放送局」
第2放送の開始のため建設工事を進めていた檮原放送局も11月末完成し12月4日その竣工式を挙行、仝日朝から放送を開始した。 竣工式典は住吉駄馬の放送局で式典を行った後、関係者一同三嶋神社において祝賀の式を行う。
まず手島高知放送局長の挨拶に引き続いて、門田松山放送局長、村井松山電波管理局長、崎村村長、中越議長、土釜教育委員長などの式辞が述べられて、式典を終えて祝宴会に移る、
 この間高知県無形文化財として指定を受けた津野山神楽の奉納を行い、その優雅な舞は参列した関係者を魅了した。一方 檮原公民館ではお巡りさんとハーモニカバンドって有名な永野の青年たちによるハーモニカバンドの演奏と奇術、映画などの上映が行われた。この檮原放送局は昭和30年4月に第1放送を開始して、この春は開局5周年の記念行事として放送演芸会を公開したが、この度は第2放送も同時に放送することになって、アンテナは65mのものが放送機室の屋上から空高くそびえ、村民に文化の息吹を吹き込むことになった。この工事の総額は約1000万円で、今後は遠距離制御装置で高知放送局において操作されるので、現在勤務する局員の方たちは本局に転勤されて、無人局となる。

●1961.1.1発行 新年特別増刊「NHK婦人学級開催」NHK檮原放送局では第2放送の開局式に先立って、12月3日 檮原村役場会議室で婦人学級を開催した。
講師には県婦人会会長又川千秋先生へ迎え、村内婦人約50名が出席して学級運営や学習の方法などについて活発な意見の交換を行って有意義な一日を送った。
特に村内夫人の連合体結成についてもその熱意が見られこの日の講師を囲んで全体討議状況は録音されて全県下に放送された。

●1961.1.20発行 第35号「やまびこ通信 放送時間の変更お知らせ 毎日曜日11時50分から12時まで」
今まで毎日曜日午後5時55分(※原文ママ、正しくは午後6時55分)から放送されていました「やまびこ通信」の時間は改定されまして、標記の時間「県民へのお知らせ」で放送されることになりましたので、今後も利用される方は公民館にご連絡くださるとともに、放送時間にはダイヤルを1160KC に廻してくださるようお願いします。

※本文中の引用は全て「広報ゆすはら 縮刷版第1巻 昭和33年~昭和56年」(檮原町役場発行・株式会社ぎょうせい印刷)より

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