8月15日に思う
今日は暑かったですね。8月15日は快晴となる日が多い気がしますが気のせいでしょうか。
さて、日本社会においては、8月15日は「終戦記念日」という位置づけになっています。日本がポツダム宣言受諾を連合国に伝達したのは8月14日、さらに日本が連合軍との降伏文書に署名したのは9月2日。また、8月15日以降もソ連の南下によって北海道・北方においては戦闘も継続、ソ連との停戦交渉を経て停戦が成立したのは8月22日です。よって8月15日に戦争が終わった、という認識は日本のみにフォーカスしてもいろいろと問題があります。さらに日本の植民地だった台湾、朝鮮半島、日本が占領統治していた東南アジア領域にとって、日本の敗戦は解放を意味しました。(そうした認識が8月15日にすぐに各社会において共有されたかは様々だったようですが)
このように、世界における「8月15日」の意味を問う研究の成果として、川島真・貴志俊彦編『資料で読む世界の8月15日』(山川出版社、2008年)があります。毎年8月15日になるとパラパラと読み返すことが多いです。
そう、8月15日が終戦記念日というには微妙であるにせよ、ある特定の日を記念日とすることで、日本社会において先の戦争を振り返る良い機会を与えているとは思います。ヒロシマ・ナガサキに原爆を落とされた8月初旬から中盤、お盆とも重なるこの時期には、戦争を題材にした映画が封切られ、各テレビ局も様々な特別番組やドラマが放映されていたと記憶してます。今はずいぶんそうした「イベント」は減ったけれども、NHKを中心にドラマや優れたドキュメンタリーの放映もなされています。今年も「新ドキュメント太平洋戦争1944」が先ほど放映されていました。一般の人々の残した日記や手記などの解析を通じて、市民の認識から太平洋戦争を把握しようという大変興味深い内容。1941年、1942年、1943年と毎年放映されていたが、来年はとうとう1945年、についての番組が制作されるのでしょう。
私が先の戦争に対する日本社会の認識において問題だと考えるのは以下の二点です。1つは、日本は「被害者」としての戦争体験が強調される傾向があるけれども、中国への侵略、東南アジアへの侵攻といった「加害者」としての視点が抜け落ちがちなこと。これは無理からぬことでもあるとは思っています。というのは、戦地に直接赴いていない内地にいた多くの一般市民たちからすれば、彼らの戦争体験は1944年に日本が制空権を失ってから本格化した空襲とそれによる甚大な被害だったからです。しかしそこに至るまでの道、特に政府・指導者たちの責任を問う、という姿勢は薄く、ともかく戦争=日本国民が多く犠牲になった、で終わりがちです。それはそれで真実の一面ではあるが、真実すべてではないと思います。中国では戦略爆撃を行い、フィリピンでは100万人以上の現地の人々の犠牲者を出した、という真実も直視すべきだし、今でも踏まえておくべき基本的な事柄でしょう。
二つ目は、そもそもこうした悲惨な空襲を含む戦争末期の絶望的な状況の中で戦争を継続したことや、そもそも中国とアメリカとを同時に相手する、といった無謀な状況に陥ってしまった外交的および軍事戦略的責任を日本人自身が指導者に問う、という視点も薄いことです。メディアの影響もあり、日本の市民自体が真珠湾攻撃に沸き立ってしまったことは事実であるようです(新・ドキュメント太平洋戦争1941に詳しい)。しかし限られた情報の中で判断せざるを得ない当時の市民に比べ、もっと冷静な判断を下す責任があったのは当時の政府の指導者層だろうと考えます。
日本が先の戦争についての認識を深めるには、冷戦時代の日本を取り巻いた「恵まれた」環境はマイナスに働いたと思います。戦後直後はともかく、冷戦がアジアに波及する中で、アメリカをはじめとする西側諸国は共産主義の防波堤として日本を強化することを優先しました。東南アジア諸国との国交樹立する際には日本は戦争時の侵攻と軍政という負の遺産を背負ったものの、西側の一員として発展を遂げ経済大国となった日本からの経済援助は近隣のアジア諸国の指導者たちにとっては魅力的であした。よって少なくともその当時の政府は、日本に強く過去の清算を迫ることをむしろ避けていました。しかし今日本を取り巻く状況は激変していると言っていいでしょう。
長くなりそうなので今日はこの辺で。また続きはいつか。