ご都合主義という名の、たおやかさ、ゆえの、生きやすさ
先週金曜早朝、湯島聖堂を眼前に見下ろす宿泊先から程近い湯島天神を皮切りにした当て所ないぶらぶら散歩も、気づけば2時間半を超える朝活に。
そもそもは、湯島聖堂の男坂と女坂を行ったり来たりしていた際に心を奪われた😍、朝日に映える湯島ハイタウンの美しさが発端。
よく見りゃ全然似てないんだけどね、スキー場では誰もが美男美女に見えてしまうマジックのごとく、朝日に照らされたそのファサードが、取り壊されてしまって今は亡き中銀カプセルタワービルを彷彿とさせ、「むむむ🤔、何やつ⁈」と距離を縮める途中で聖地シンスケ!を久しぶりに視界に収めては士気昂揚🤭、信号を渡っていざ、湯島ハイタウンを前から後ろから、舐め回すように眺めるべく周囲を徘徊。
そこでふと見つけた柵囲いに「なんやこの、旧岩崎邸っちゅうんは?入れるんかいな?」と思ったのが7時手前だった記憶。湯島駅から吐き出され、足早に進む方々の後に着いて行くと、あら!不忍池じゃないですか!
こんな感じの、自作自演ルートで巡った朝活は合計2時間半を要した訳ですが😂、その後は弁財天から清水観音堂を経て、上野のなんちゃら博物館や美術館を四つとか五つ横目で見つつ、徳川家の菩提寺である寛永寺辺りで身体が冷えきって危険を感じ始めた🥶ので、東京藝大・上野高校・上野動物園に沿って下って再び不忍池に戻っては、また湯島天神を横切って神田明神を経て無事のご帰還。
発見に次ぐ発見で、全くもって儲けものでした。
最も興味深かったのは、純然たるご都合主義のたおやかさ、もしくは、神をも恐れぬ我欲への真摯さとでも申しましょうか🤔、ある意味、酷すぎる分、却って「胸のすく想いがする」ってやつです😏
まずビビったのが、「東叡山 寛永寺」という表記。
関西人(わたくしも、もうすぐ満8歳の関西人デス😤)にしてみりゃ、「ん?東の叡山ってことかい?😦 もしかして比叡山、軽く扱ってない?」と、つい、突っ掛かりたくなってしまう😣
じゃ、なにゆえに「東叡山」とか「根本中堂」なんて話になってるんだろ?と、朝活で悴む指でGoogle先生に聞いてみると何と!徳川家の菩提寺(増上寺だけじゃ、ないんか〜い😬)として、江戸城にとって鬼門の北東方面を固めるために移設?移転?までさせたという(ま、秀吉だって、大阪城普請で同じようなことやってるけどね、松屋町筋あたりとか特に)「仏も、徳川家の永続という目的達成のための、手段」として使い倒す無垢さには、「ちっとは神さま仏さまを畏怖せえよ」とおっさん的頭でっかち説教をぶちかましたい衝動🫨に襲われて慄く始末😅
しっかし、「権力者ってえのは、自分の目的達成のためには、まったく、身も蓋もない輩だぜ」なんて思ったのも束の間、庶民が集う「江戸の総鎮守」神田明神に至ってはなんと!「七つの鳥居、くぐれまっせ。楽チンにご利益、たんまりでっせ」という「コンビニエンスがコンデンス(濃縮!)ミルク🍼」状態、江戸っ子庶民よ、おぬしもか。
と、すべてネガティヴな印象ばっかりだったのです、が、ちょいと待てよ、コレって、人生をたおやかに愉しんでいる証左じゃね?スゴくねえ?賞賛に値すべきじゃねえ?👋と、宿泊先で熱いシャワーに打たれて生気を取り戻すにつれて、思い直すに至り。
ポリコレだの、周囲からの見え方だの、老後の備えだのと忖度して😮💨、「而今(いま・ここ、に集中っ!)」の精神の欠片もなくなってしまうと、腹の据わりが悪いと申しましょうか、正面から課題に打ち当たれない気がするんです。
そんなことを勘案すると、今回目の当たりにした「俗世まみれの」「身も蓋もない」俗物的なご都合主義って、生き上手・たおやかといったポジティヴな評価として今こそ!捉えた方が世の中が明るくなるんじゃないかな?と、思うに至った次第なのでした🤗
もちろん、人さまにご迷惑をおかけしてはなりません、が、遠慮ばかりして「今・ここ」を愉しまなけりゃ、明日なんかねえんだよ!
お上たる家康も、カースト底辺の江戸っ子もきっと、そんなふうに思っていたのではないかと、齢48を迎えた今宵、思うのでありました。