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義父と師匠への、届かないラヴレター(岩井俊二っぽく)

本日は1/11、ゾロ目の記念碑的記念日。齢48を前にして、5度目の転職を迎える深夜に興奮ゆえか目を覚ましたので、こうして書いてみる、備忘録的に。

思えば、昨年9月末の義父の逝去がきっかけ。

実は毎朝の夜明け前ランの途中、歳上で新会社(遺体冷却装置販売、って、文字にすると慄きますな、我ながら)設立時のメンバーだったO崎さんに「今日も、元気っすか?」と勝手に語りかけては、早すぎる逝去を弔ってきた約5年にもう一人、義父が加わった。義父も同じOから始まる、O本さん、敢えて言うほど珍しい確率ではないけれど、奇遇。

義父は、愛娘の付き添い通院の朝に、天に召された。同じ病院に約3ヶ月かな、入院していたのだけれど、偶然その日、体調急変の知らせが入ったのも束の間、まだ娘の診察が終わらぬうちに、同じ病院の上階で天に召された

正直に申して、生前とみに親しかった訳ではない。性格は、慎重派・変わらぬことを愛しむ・阪神タイガースをこよなく愛する、など。

その点、彼のパートナーである義母には学ぶことも尊敬する点も多く、「こんなに違う2人が50年も寄り添うのだから、人生ってつくづく、不思議なもんだ」と折に触れて、今日まで腹の内では思うに至ってきた。

さて、びっくりした。義母には失礼だが、義父が亡くなったら、介護の負担から解放されて、生きるのが愉しくなるのではないか、くらいに考えていたから。

想像は180度真逆に裏切られ(もちろん、義母は何ら悪くなく、私が浅はかだっただけ)、義母は泣き崩れた。「もっと〇〇してやれたのに」と、後悔を表出する・自己を詰る。外食など、気分転換にソトヘ連れ出そうと試みても、「父さんに悪い」と言っては、位牌・遺影に寄り添うばかり。

人間って、見た目だけでは分からんものだな、いや、自分の「わかったつもり」って怖いな。そんなことまで、義父の逝去によって考えさせられたのは、とても有り難い・貴重な機会となったが、一番考えさせられたのは、「義父はいったい、何を遣り残したのだろうか?」という、解のない無限ループ問答だ。

夜明け前の暗がりを、犬のウ○コなど踏まぬよう月明かりを頼りに注意しつつ、O崎さんに続いてO本さんにも問いながら10キロちょいを走る日々。それも束の間、気づいたら、「おいらは一体、何を後悔するんだろうね?このまま死んだら」と我が身に置き換えて考えるようになってきておりました。

そんな矢先、自分の師匠・20代に鍛えていただいた(=震え上がらせていただいた💦😱)K藤さんが投影された、某地銀の当時副頭取としての決算説明動画をふと目にして、「やっべえ、師匠、齢60手前にしてもなお、がっつり成長してますやん!」と、半分ビビり・半分感服した思いに浸ってしまった訳で。

プロ意識の塊なような職人肌で、その一方で、万里の長城のような高い壁を越えるとそこには!海よりも深い愛情を湛えている御仁であり、それは、某ベストセラーの高松智史さん著書には幾度となく登場するのでご興味おありの方は高松さんの著書を手に取っていただくとして(私へのキックバックなど、ポジショントーク的な要素は皆無ですのでご安心ください&自己責任でお願いしやす🙇)、兎に角、今でも陰ながら尊敬申し上げているのです。

そんな、撮影当時は副頭取・現在は頭取のK藤さんが、動画で20数分、幾度か画像が切り貼りされている=撮り直しされているものの、彼らしく、かつ、わかりやすく、説明されているのを目の当たりにして、やっぱ師匠はすげえや、と、しみじみ、沁み込んでしまった訳で。

O本さんにもK藤さんにも、いざ・すわ!、本人の眼前では照れて申せない感謝や感激を、ラブレターではなくラヴレターと書きそうな岩井俊二の映像を頭にイメージしながら、届かないけれど、そっとしたためておきたい、そんな事を取り留めも無く書き下してしまいました。

要は、彼らに恥じぬよう、素敵な彼らからも「がんばってるじゃん♪」とか「愉しんどるねっ!」と、お会いしたら仰っていただけるよう、他力に頼りつつも前に進んでいきたいなと思った次第です。

余談ですが、昨年末の松阪マラソンで疲労骨折😓して以来、朝ランは朝散歩へとデフレしつつも墜落・闇堕ちを何とか免れる日々を過ごしております🙄ので、何か滋養のある美味しいものを、食べさせてあげてください😛

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