コミュ障・人見知りなんてのは、言い訳にすぎない、自己防衛するだけの逃げなんですよね。わかります。
私はよく「コミュ障だから」「人見知りだから」と言います。
「だから」なんなんでしょうね。
結局、逃げているだけなんですよね。人・会話・自分・自分の苦手分野から。
「人見知り」と言うガードを張って、自分をカテゴライズしていれば、言い訳ができるんですよね。
「ああ、ダサいな」と思いながら、言ってしまうんですけどね。やめたいです。
私、人見知り「だから」
「私、人見知りだから、話すの苦手なんです。」
本当にそうだし、初対面の人と話すのがめちゃくちゃに苦手で、うまく話せないんですけど、それって本当に人見知りのせいなのでしょうか?
「私、人見知りだから、話すの苦手なんです。」と言う人は
単純に
人と話すことに慣れていない
人と話すことが嫌い
のどちらかだと思っていて。
私は、前者「慣れていない」んですよね。
最初から大人数の前でスピーチがうまい人がいないわけで。それと同じなんですよね。
私は、「対人関係のトラウマ」から、人と話せなくなり、自称「人見知り」に変異していきました。
自称「人見知り」の人なんて、何かしらの他の要因もありつつだと思います。
自分は「人見知り」だと思っている人も
「人見知り」じゃない人
にもちょっとだけ聞いてほしい話をします。
ちょっとだけ、私の話をします。
対人関係にちょっとだけトラウマがあって
人と話すことが怖くなって、「一人」が好きになりました。
でも、誰かといたいし、
誰かに求められたい気持ちは当たり前のようにあるんです。
誰かといると、傷つくし、嫌われるのが怖かったです。
もちろん、友達が全くいなかったわけじゃないし
遊んだりも、もちろんしていたけど
やっぱり本当に、一人が楽でした。
そんな思いで数年過ごしていると、「人見知り」になっていきました。
今でも一人は好きだけど、「誰かと一緒にいる」選択もできるようになったからこと、もっと一人が好きになりました。
人見知り族、わかります。
ちょっとだけ、自分の世界を広げると、自分の知らない世界があって、自分のことを肯定してくれる人がいることに気づきました。
必死に努力する必要はなくて
ちょっとだけ、勇気を出して、人と話してみるだけでいいと思うんです。
話しかけよう!としなくても、相槌をうってるだけでいいんです。
ちょっとだけ、知らない人がいる場所へ行ってみてほしいです。
「自分が人見知りだから」って思うだけで、人見知りに変異するので、一旦人見知りって言葉を忘れた方がいいです。私も頑張ります。
非人見知り族、お願いです。
人見知り族は、自分に自信がないとか
ちょっとだけ、人と話すのに慣れていないだけです。
多分、非人見知り族の助けが必要です。
私たちが話す時、遮らずに、最後まで聞いてほしいです。
きっと、話したいことはたくさんあるはずなので・・・
あと、非人見知り族の話を聞くのは楽しいので、好きなように話してください。適当でいいので。
一旦、「人見知り」を忘れて
コミュ力の高い人間を装って人と喋って見れば
なんとなく世界が変わる気がします。
誰に言ってるのかわかんないけど。
人見知りっていうい言い訳するのやめよう。