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性の目覚めからオナニーを覚える小学生時代


はじめに

はじめまして。三重県在住の伊勢丸(いせまる)と言います。
プロフィールにも記してあるのですが、僕は「ゲイ(男性同性愛者)」です。
そして、「双極性感情障害(躁うつ病)」という精神疾患も抱えています。
謂わば2つのマイノリティ要素に属する僕が、41歳になる今年、じぶん史ではないですが、自分のことを振り返ってみようと思い、noteを始めてみようと思います。拙い文章ですが、よろしくお付き合いください。

同性を意識した時①

小学生の時、ちょっと気になる女子がいて、その子の家に遊びに行った時、
ふとしたことがキッカケで、その女子の好きな子が分かってしまいます。
その相手の男子(以下、T君)と僕は、ほとんど全く話したことが無く(我が小学校は当時はマンモス小学校でした)、接点がありませんでした。
僕はT君にひどくヤキモチを焼きました。彼は運動万能でスポーツマンタイプ。一方僕は、ごくごく普通の冴えない小学生でした。
それ以来T君を意識し始めます。

性の目覚め

上記と時間が前後するのですが、確か小学2年生か3年生くらいの時、学校の図書館の「保護者向けの本」が配架されている棚で、いわゆる性教育の絵本を見つけてしまいます。それまで赤ちゃんができるメカニズムなぞ知らなかった僕は、「男の人のおちんちんを女の人の股の間にある穴に入れる」という行為がとても「汚い」行為(おちんちんは、おしっこをする為だけの器官だと思っていたので)と思うと同時に、自分の下腹部が熱くなって硬くなっているのに気づくのです。これが、僕の性の目覚めでした。
この日は、図書館で知った事実があまりにも衝撃的すぎて、授業なぞ上の空でした。

同性を意識した時②

小学校の夏の体育の時間と言えば、そう水泳です。
その水泳の時間に事件は起きます。
あれは5年生の夏でした。担任の男の先生(O先生とします)がTシャツに短パン姿でプールサイドに立って指導していました。
水泳の時間も中盤に差しかかった時、そのO先生がTシャツを脱いだのです。
その瞬間、僕は目のやり場に困ってしまいました。
何故かというと、O先生は筋骨隆々でとても鍛えた体をしていたからです。僕の筋肉質好きは、この時の経験があるからかもしれません。
いや、元から筋肉質な人が好きだったと考えるのが自然かもしれません。
とにかく、筋肉質なO先生の裸に興奮してしまい、勃起しないように意識を他のところへ持っていくのが大変でした(笑)

発毛もオナニーも早かった?!

陰毛が生えたのは確か4年生、オナニーは5年生の性教育の時間の後に覚えました。
担任のO先生(*筋骨隆々)が、性教育の授業で、「射精は自分の好きなタイミングでできる」と教えてくれました。
大人になった今、その教えは誤りだと知るのですが、その晩、僕はO先生の裸を思い出しながら自分の性器をいじっていました。
するとなんとも言えない感じになり、おちんちんから何か白い液体が出ました。今思うとこの時が精通でその時出たのが精液だったのです。
自室で射精してしまって、僕は慌てました。
細かいことは覚えてませんが、この日以降、ぼくはオナニーをします。
上述のT君やO先生を思い浮かべながら。

「ゲイ」とは自認していなかった

小学生当時(1990年代)、「ゲイ」という言葉は知りませんでした。
その代わり「オカマ」という言葉は知っていました。マイナスなイメージを
伴うその「オカマ」と言う言葉に対して、「女っぽい男」という意味を持っていると当時の僕は考えていました。
「オカマ」と言われないためには、男らしくいなければなりません。

当時、僕は周りの男子の大多数が好きな野球やサッカーには興味を示さず、
女子と遊んでいることが多い男子でした。
この時は、女子と遊ぶことの方が気楽でした。男子とは趣味が合わないというか、どちらかと言うとスポーツが嫌いな自分にとっては、男子とは興味関心が重ならないだけでした。
なので、さして周りの同級生を好きになることもなく、小学校を卒業します。

おわりに

今回は僕の小学生時代を振り返りました。
小学生の時は、周りの同級生を意識することもなく、自分をゲイとは思っていませんでした。ただし、5,6年生の時の担任のO先生と、同級生のT君だけは特別です。彼らのことは意識し始めていました。
次の記事では、思春期の頃の自分を思い返してみようと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


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#男性同性愛者



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