出会った暁には
若いころ、自分がまあこんな歳になるなんてこと、じっくり考えたこともなかった。
生き物なので、もちろんいずれは年を取ることは分かっていても、どこか、ドラえもんの来た未来くらい遠い話の気がしてた。
考えないなりにも、なんとなくちゃんとした、それなりに良い感じの大人になってるでしょう的な、どこか他力本願チックな、願いなのか確信なのか分からないぼんやり感は持っていた気がする。
おおらかで、ゆとりがあって、優しくて、知性に溢れていて、幸せそうに周りに貢献している大人。
そんな私が待ってるのだからなんら問題なしとばかりに、たいそうな大船に勝手に乗りこんで、気分よく若さという大海原でぷかぷか放浪の旅を楽しんでいる若き日の自分の姿が、今、書きながら目に浮かんで、可愛いっちゃあ可愛い。
いやあ、若いって素晴らしい。
時は過ぎ。
気付けばなんと半世紀ごえ。
大人と言われる年になって久しいも久しいのに、あの待っていたはずの私は一体いずこに?
周りの同年代は、みな立派な大人として生きてる。定年も視野に入ってきた年齢まで来て、それぞれ輝いてるのに、私はまだ知らない他の島の存在を見つけに行きたいと、自ら安定供給保証の島におろしていた錨を切って、この歳になってまた漂っているのだ。
島に上陸している間に、若さの大海原は、ちょっと潮流の速い、深い海になっていた。渦巻も見える。漂い方の調子がくるう。昔のんびり眺めて楽しんでいたイルカの群れのショーは、今では焦燥感というサメになってたまに襲ってくる。
このサメがまた、さっと追い払らえる日もあれば、執拗についてくるときもあって、なかなか手ごわい。
そんな対決をしながら、私はどこに行こうとしているのだろう。どこに行きたいのだろう。私が役立てる島はどこにあるのだろうか。この船に積んだものは果たして誰かのために使えるのだろうか。向かうべき方向が分からないから、コンパスの使いようもない。
それでもどこかで、少し先の未来のいつか、この漂流記を懐かしく、ほほえましく思い返す「おおらかで、ゆとりがあって、優しくて、知性に溢れていて、幸せそうに周りに貢献している」私の姿が見える気がしてる。
彼女に会って、おお~っと笑顔でハグするその日を夢見て、少し傷みのあるこの船をなんとか今日も乗りこなす。ハグの後は嬉しさでバチバチ背中をたたいて、飲みに誘おうと思う。