vol.5 建前は話さない
その方は私達のブースの前で立ち止まると、押していたシルバーカーをおもむろに折り畳んで椅子にし、腰を下ろした。
宝石が並んでいる場所で言うと、メインステージに当たるところだ。
ん⁈
通常ならば違和感を覚えるその場所に、あたかも当たり前のように座ったその態度が可笑しくなった私。
フッ…
思わずその方に気付かれないように少し後ろに向かって、込み上げてくる笑いを吐き出した。
そして、そのまま接客用の笑顔を作り、
「いらっしゃいませ」
と、声を掛けた。
すると、その方はギラギラとした鋭い眼球でギロッとこちらを見た後、そっぽを向くようにケース内を覗いた。
はぁ?
百貨店内で何処に座ろうとお客様の勝手ではあるが、私達からするとお店の入り口のど真ん中に椅子を置いて座られたと言う奇妙な状態である。
にも関わらず、こちらの挨拶を無視するとは…
ピ ピッー!
私の脳内の何処かで、挑戦の合図の笛の音が鳴った。この不可解な出来事に、何故だか俄然やる気が湧いてきたのだ。
私は宝飾ケースの表側に出て、その方の座っている椅子(シルバーカー)の横に行くと中腰になり、
「自分のところのジュエリーを改めて褒めるのも何ですが、とっても良い眺めですね」
と、もう一度話し掛けた。
思いもよらなかった私の行動に驚いたのか、その方は大きな瞳を更に丸くし、
「何が素敵よ!こんな遠くからじゃ何にも見えないじゃない!!」
と、毒付くように声を荒げた。
しかし、その態度は、私の目に怒っているようには映らなかった。
それもそうかと思い、
「大変失礼致しました。お客様、素敵なお指輪をなさっておられますね。とてもセンスの良い方ですので、うちの新作の指輪を見ていただきたいのですがお持ちしてもよろしいですか?感想だけでもお伺いしたいんです」
と私が言うと、あからさまにプイッと顔を逸らしたと同時に、突然、左手に着けている指輪をもう片方の手で覆い隠した。
え〜⁇
そのへそ曲がりな態度が何とも可愛いらしく思えた私。返事を待たずに商品をケース内から取り出して、その方の目の前に提示した。
「こちらが新作のお指輪なんです」
と、商品説明をした後、〝どの道相手にしてもらえないのでは?〟と思いながらも、試着させてもらえないかとお願いした。
すると、今度はすんなり指を出した。
予想外の仕草に、私の心は踊った。
新作の指輪を着ける為にはめていた指輪を取りながら、
「本当に素敵なデザインですよね」
と私が再度、指輪を褒めると、
「そうかねぇ?外商が無理矢理売り付けたんだから…」
と、少し斜め上に目線を合わせ、口元をへの字にして笑った。
どうやらわざと言っているようだ。
「やはり、外商付きのお客様でしたか…とってもお洒落でいらっしゃるので」
と言いながら、私は空いた左の薬指に新作の指輪をはめた。その方は、満足そうな表情を浮かべ指輪を眺めた。
面白いことに、それからは普通に接客を受けてくれ、最後には購入までしてくださったのだ。
購入後、
「似合うかねー?」
と、何度も言いながら手を空中にかざし、薬指の指輪を眺めながら薄笑いを浮かべている。
「はい!とても良くお似合いです!!」
私が言うと、
「そうかねー」
と、まだ続く。
〝気に入ってないのか?〟そう思い、私はその方の表情を見た。が、相変わらずのへの字口。その心は読み解けなかった。
結局、気に入っていない物を買う訳もないと言う現実に目を向け、買い上げの手続きに入った。
そうして伝票を書いてもらっていると、名前の欄を記入中にふと目が止まった。
苗字が自分と同じ呼び名だったのだ。
私は、付けている名札を自分の胸元ごとその方の顔の近くに持って行き、
「◯◯様、偶然ですね!漢字は違うのですが、苗字が私も同じなんです。嬉しい~」
と、声を弾ませそう言った。
すると、
「・・・・・」
その方はチラリとこちらを見たが、またもや意図的に素知らぬふりを決めた。
無視なの〜⁈
その態度がどうにも微笑ましく、私の琴線にふれた。顔がにやけて仕方ないのだが、口元の筋肉が緩むのをひたすら堪えた。
すると、伝票を記入していたその方の手が急に止まった。
どうかしたのかと顔を覗き込むと、
「誕生日なんか書いて何かお祝いでもしてくれるのかね?」
と、初めて私の目を見て問いかけた。
「はい。そのようなことも出来ればと思い、任意でご記入頂いています」
私が言うと、
「こんなに高いものばかり扱っている割には大したサービスなんか出来ないでしょうに…花束でもくれるかね? フッ」
と吐き捨てるように笑い、誕生日の欄を空白にしたまま私に伝票を戻した。
なんとも正直な人だ…
手続きを終えた後、その方は宝飾ケースの角ばった部分にのしかかるように両腕を乗せた。立ち上がろうとしているのだ。
よく見ると、片足を引きずるようにしていた。そして姿勢を整えた後、何事もなかったかのように椅子をシルバーカーに戻し、立ち去ろうとした。
その行動に目を奪われ、お礼を言うタイミングを見失ってしまっていた私。
我に返り慌てて、
「ありがとうございました。また、お会い出来るのを楽しみにしています」
と、歩き出した横顔を目掛けてお礼を言った。が、その横顔は無表情のまま少しづつ遠ざかって行き、そのまま振り返ることはなかった。
帰った後、宝飾ケースのガラス部分を見ると、その方が触った部分だけが真っ白になっていた。
ピカピカに磨きあげられたガラスケースの汚れた部分が、立ち上がるのにどれだけの腕力が必要だったのかを物語っていた。
私はその痕跡を拭きながら、ふと思った。
突然現れたお客様が何故、この場所に椅子を構えたのか…
捕まる物がある場所じゃないとダメだったのか…
自分に見えていたものとお客様が見ていたものの違いに気づいた瞬間、心臓がドキッと縮み上がった。
お客様は最初から宝石を見るつもりであの場所に腰を下ろし、販売員の態度を見計らっていたのだ。
見られているとも知らず、可笑しな行動と決め着け一人笑い、挑戦と言う闘いまで挑んでいた私。
相変わらず頓珍漢な自分が恥ずかしくなった。それでも買って頂けたと言うことは、どこかお眼鏡に叶ったのだろうか…
こうして、私をまた未知の世界へと導いてくれるお客様と出会い、ドラマティックな月日の幕が上がったのだった…
〜続く〜