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vol.6 〜最終章〜 宝物

年末の展示会でお会いした後、翌年の夏が過ぎてもクロスのペンダントを購入いただいたお客様とはお会い出来ていなかった。
秋に入り、お客様と出会えた百貨店でホテルでの展示会を行うこととなった。
声を掛けない限り、店内のイベントには一度もお越しいただけないお客様。
私はこの機会にお会い出来ればと思い、早速ご案内の電話を入れることにした。

ルルル…ルルル…ルルル…

初めてお客様へ連絡を入れた時のことを思い出した私は、少しビクビクしながらもコールを鳴らし続けた。前回の来店時にひとり暮らしをしていると聞いたからだ。
12回目のコールだった…

「………何?」

相変わらず、不機嫌極まりない声が電話口から聞こえた。

おっと…

お客様のこの声は何度聞いても怯みそうになる。しかし、ここでもたついてはいられない。

「○○百貨店で宝飾でお世話になっております、○○でございます。○○様ご無沙汰しております!」

と、以前と同じ轍を踏まぬように気をつけ、電話口へと話しかけた。
すると、

「あら〜○○さん、お久しぶりーー。お元気だった?ほんとご無沙汰しちゃっててごめんなさいねーー」

と、これまたお約束のように打って変わった応答をしてくれたお客様。
おかげさまで、世間話と共にスムーズに本題に入ることが出来た私は、ご来店の約束を取り付け電話を切った。

こんな時、お客様から自分を認識してもらえていることがどんなに有難い事かとつくづく思うのだった…


展示会当日

お客様は前回同様、約束の時間きっかりに来場された。
茶色のクローシュ帽子を被り、モヘアの黄色いセーターに同系色のパンツ、初めてお会いした時からそうだが、全身コーディネートでバッチリと決まった装いは目を見張るほど素敵だった。
この展示会では、お客様とゆっくりと時を過ごすことが出来た。
4月の展示会以降、私は接客の全てを個々のスタッフに任せる事にして、自身は裏方に回り主な接客をやらなくなっていたからだ。
そうは言っても、来店早々に私を呼び付けたお客様。結局、どのスタッフも対応することが出来ず、この時だけは、私が接客をすることとなったのだった。
雑談中の話しは、お客様の若かりし頃まで遡った。そこで驚いたのが、お客様は若い頃、松竹のダンサーだったと言うこと。
小柄なお客様がどのようなダンスを踊っていたのか全く想像がつかなかったが、
〝私は大勢の人の前に立つ仕事をしていたの〟
と仰っていたお客様の話しを思い出し、合点がいった。
私は〝凄いですねーー!〟とか、〝カッコいいですねーー!〟などと相槌を打ちながら、お客様の歩まれてきた人生を興味深く聴いた。
最終的には、その日もお客様は自分の予算を先に言い、私がその中で一番のおすすめ商品をお見せすると以前のように潔くお買い上げくださったのだった。
帰り際、買い上げ商品を纏ったところを写真に収めてプレゼントすることを提案すると、

「こんなお婆さんだけ写っても意味ないじゃない。貴方と一緒に写らないと…」

と、お客様は笑いながら仰った。
提案しておいて自分が写るのを恥ずかしがる訳にもいかず、私は少しはに噛みながら一緒に撮ってもらうことにした。

もう何年もこの仕事をして来たが、お客様と写真を撮られるのは初めての出来事だった故、なんだかとても照れ臭かったのを思い出した。
その割には、今、目の前にあるこの写真は、二人で片手で拳を作り、カメラに向かって突き出すようなポーズで指輪を見せ愉しげに笑っている…
〝とっておきの姿を残したい〟
シャッターが下りる瞬間、その事だけに集中するのかな?などと、唯一の写真を見ながら一人苦笑した。

それからまた月日が経ち、次の年の冬。
この年のどのイベントにもお越しにならなかったお客様は、年末最後の店内で行ったイベントだけには参加してくれた。
ご案内の電話を入れた時、

「○○様は中々お越しいただけないので、私共は寂しい思いをしております。年内最後のイベントですのでご挨拶もさせていただきたいですし、是非、お越しいただけませんか?」

と、言った。
私からすると普段のお誘いと相違ない、ありきたりの会話だった。
するとお客様。

「貴方はそう言うけれど、買えない時に行っても意味ないでしょう?大体、そんなにしょっちゅう宝石ばかり買えないわよ。私は独り身で年金しか入らないんだから、そんなに貯まらないのよ⁉︎
でも貴方がそこまで言ってくれるから、今年も最後だし貴方の顔を見に行くわ」

こんな有難い言葉を返してくれたのだ。
電話を切った後、通常ならば久しぶりにお会い出来るお客様の顔を思い浮かべ、嬉しさで陽気になる私だったがこの日は違った。
お客様が放たれた〝買えない時に行っても意味ないでしょう?〟と言った時の、語気の強まりが胸の奥に蟠りとして残ったのだ。
頭の中ではその後に続いた会話の内容が思い出され、同じフレーズが何度も行き来していた。
お客様の言葉は宝石を媒体として商売をする私にとって、もっとも触れられたくない急所部分でもあった。
しかし、その言葉の裏にマイナスな気配をまるで感じなかった。
思い起こせば、お客様とは一年に一、二回程度しかお会い出来ていない。
百貨店にお買い物に来ていて、店内でイベントをしている私達の会場の前を偶々通り過ぎることもなければ、展示会へお誘いしても断られる事が度々だった。
夏にお誘いした時などは、

「貴方、こんな日照りの中ウロウロしちゃったら干からびちゃうわよ」

そんな理由でお断りされたこともあった。
〝相変わらずはっきりされた方だなぁ〟などと、その時はそれで済ませていたのだが、今日の会話の内容に基づき考えた結果、これまでのお客様の行動が一貫していたことに気がついた。
同時に、お客様が常に予算を言ってくれていたことを思い出した。
しかも、お買い上げは全て現金。
お客様は買い上げをされる時にしか来店していない…
この当時で86歳になられていたお客様。
前回の展示会での雑談中、仕事が忙しく、家庭を持たなかったと教えてくれた。

ジュエリーを買う為にお金を貯めてくれてるの⁉︎

お客様は年金を貯めたお金でジュエリーを購入してくれていたのだ。
全てを悟った瞬間、胸に熱いものが込み上げてきた…


イベント当日

その日のお客様の装いは、白のニット帽に白いセーター、白のパンツだった。
全身白で統一されたコーディネートは、お客様の透き通るような肌を一層映えさせとても綺麗だった。
先日の電話で真意を聞いたものの、お越し頂いたお客様に態度を変える訳にもいかない。
私はこれまでどおりと全く同じ対応でお客様との時を過ごした。
この日も予算を伝え、その分のお買い物をしてくださったお客様。
私には、そのお金がどれだけ大切なものなのかを知っただけでも充分だった。

その後も電話の案内も変わらず行った。
何故なら、来る、来ないを決めるのはお客様だからだ。
私は、来て頂ける時を待つしかないのだから…


再び、お客様にお越しいただけることとなった展示会でのこと。

会えるのを楽しみに待っていた私は、来場されたお客様を見て少し首を傾げた。
もう春だと言うのに、前回と全く同じ装いをされている。
しかし、そんなことを忘れさせるほど、お客様は久しぶりに会えた私を見るなり、抱き寄せんばかりに両手を握りしめて喜びを表現してくれた。
その笑顔を見ながら、
〝ご高齢になると春先でも冷たい風が吹くこの季節は、肌寒さを感じるのかな?〟
などと思い直した私は、またいつものようにお客様との楽しい時を過ごしたのだった。
いつの間か、抱いた違和感はどこか遠くへと消え去っていた。


夏が過ぎて秋も終わり、次の冬がやってきた。
年末恒例の大イベントの準備が始まり、私は忙しく時を過ごしていた。
いや…この年の展示会はこれまでと事情が違っており、いつも以上に時間をかけて準備に励んでいた。理由は、この百貨店の担当を私が外れることとなったからだ。
お客様へその旨を伝える為にご案内の電話を入れると、

「それは大変。最後に貴方の顔を見ておかないと死んでも死に切れないわ!」

そんな身に余るような言葉に触れた私は、胸がキュンと疼いた。

その展示会へ来店されたお客様は、いつもの如く予約時間ぴったりに会場へと登場された。
その姿が目に映った時、私は再び首を傾げることとなる。
目の前には白のニット帽に白いセーター、白のパンツ姿のお客様が立っていた。
記憶の片隅に追いやられた違和感が急激に戻った。
一年に一、二度程度しかお会い出来ないお客様の装いが、続け様に同じだと言う現象が不可解に思えて仕方なかったのだ…

認知症⁉︎

考えが頭に浮かんだ途端、全身に稲妻が走ったような感覚とともに、私はお客様の顔を凝視した。
その視線を捉えたお客様は、そんなことを思われているとは露知らず、満面の笑みを浮かべ私の方へとゆっくりと歩みよった。
そして、両手をきついくらいに握りしめた。

「貴方に逢えなくなるなんてもう此処に来る楽しみがなくなるわね。今日は花向けにお友達も連れて来たのよ。貴方の最後の展示会なんだから成功させないとね‼︎これ、私の気持ちだからとっといて!」

そう言うと、握りしめていた私の手に紙袋を握らせた。
自分の思考が掛け離れた場所にあった事から現状と絡み合うのが遅れた私。
周りを見ると、お連れのお友達とお客様へ挨拶をする為にスタンバイしていた後任の営業スタッフが会話をする姿が映った。
我に返った私は、

「お気遣い頂きありがとうございます。大切にさせていただきます」

紙袋から覗け見えた中身が小物のようだった為、慌ててお礼を言った。
続けて、後任スタッフを紹介した。

「さぁ、今日はどんなおすすめ商品があるのかしら?この人に似合う物も持って来てあげて!」

お客様は私にではなく、スタッフの方にそう言った。
私は商品を選定しようと歩き出したスタッフを追いかけ、お客様がこれまで買い上げてくれた商品の内容と、今まではずっとご自分から予算を言われて来たことを伝えた。

今日のお客様は予算を言わなかった…

お連れ様が一緒だから言わなかったのだと思った私は、勝手なお世話を焼いたのだった。
こう言う行動がよく聞く〝要らぬ世話〟と言われることなのかもしれないが、お客様の心の声が私にはそう言っているように聞こえたのだから仕方ない。

お客様とお連れ様は、後任スタッフを交えて大いに盛り上がりお二人ともが購入をしてくれた。
お客様とスタッフが話しをしている最中、私はお連れ様にお客様について終始尋ねていた。
聞けば、お客様とは隣同士にお住まいで、高齢で一人暮らしのお客様を気にして毎日のように様子を見に行ってくれているらしい。
それを知った私はひとまず安心した。
それから、日頃のお客様の様子を尋ねた。
〝○○様はお歳を全く感じさせないですよね?〟とか、〝料理とかもご自分でなさられるんですか?〟など、本人に聞けば良い事を根掘り葉掘り…


会場内では長年に渡って担当をして来た店舗であったが故、お得意様が続々と来場され、私からの最後の挨拶を待ってくださっていた。
こんなに有難い話しはない。
しかも、その日は後任に引き継ぎを行うと言う重要な責務も担っていた。
その最中にも関わらず、私はお客様のお友達の前に腰を据えたまま動かずにいる。
来年には90歳を迎えられるお客様がご病気になられたのではないかと、気になって動けないのだ。
気になり始めると、仕事を置き去りに優先順位を勝手に変えてしまう悪い癖…
この性分も中々直るものではないようだ。

『独り身で認知症に罹れば大変なことだ』
そんな思いが募り、尋問のような会話が続いた。
しかし、お連れ様の話を聞いているとそうとも違うような気がしてきた。
そのうちだんだんと心に晴れ間が見えてきた…

「○○様、素敵なお友達がお隣に住んでいらっしゃるからご安心ですね」

私は突然、素っ頓狂な明るさでスタッフとお客様の間に割って入り、お連れ様との会話の続きをお客様へと移した。
お客様はその温度差を気に留める様子を見せずこちらへと向き直り、

「そうなのよーー。この人が毎日見に来てくれるから孤独死だけはしないで済みそうよ」

と、笑ってそう答えた。
その言葉を聞いて私の心は快晴へと向かっていった。
そして、

「私もお友達の○○様がお近くにいてくださっていることをお聞きしてとても安心しました。私は何のお役にも立てず情けない限りです。本日はご来店頂けただけでも有難い中、お買い上げいただき本当にありがとうございます。私なんかが申し上げることでもございませんが、○○様のこと今後とも何卒宜しくお願い致します

と最後に、もう会うことが出来なくなるお客様を気にして、お連れ様に向かって願いにも近い気持ちを伝えたのだった。
この頃にはもう、洋服のことは頭の中からすっかりと消え去っていた…

しかしその日の夜、またもや驚くことが起きた。
仕事が終わり、帰り際にお客様から戴いた紙袋の中身を取り出してみると、そこから出てきたものは、真っ白なはずのシルクのハンカチと、銀色の白粉入れ、白鳥モチーフのシルバーのブローチだった。
真っ白なはずと表現したのは、白いはずのハンカチは真っ黄色に色焼けしており白とは程遠いものだったからだ。
白粉入れは使い古しで白粉が入っていない。
唯一使えそうなブローチはシルバー。
金とプラチナを取り扱う仕事をしていた私には使い道が見出せそうになかった。
全てが自分と関係ないもののように思えた私は、お客様の気持ちを無視して大きく肩を落とした。

一体何を期待していたのだろう…

とその時、偶然居合わせた販売スタッフがそのハンカチが目に入ったようで〝フッ〟と笑った。
あまりに黄ばんだハンカチが冗談のように思え、どうにも笑いが止められなかったようだ。
それに気づいた私は急に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にしながら何やら言い訳がましい言葉をぶつぶつと呟いた。
そして、そそくさとそのハンカチを折り畳み、元の場所へと戻したのだった。


その年を境に現場を離れた私は、これまで興味がありやれていなかったことをやることにした。
介護学校に手話教室…
これまで組織の中で宝石を販売することだけに数十年を費やして来た私は、全てが初めて見聞きするもののような感覚を覚えた。
講師を前に机に座っていると、まるで自分が落ちこぼれの学生になった気分になった。
そこで出会った講師達は口を揃えてこう言った。

本を読め、歴史を学べ
と…

特に福祉関係の講師はそれが顕著だった。
何故に福祉に本と歴史が関係あるのか私には皆目検討がつかなかった。
元々、勉学に乏しい私は社会人としての嗜みがないとでも言われているようで、侮辱されているようにも感じた。僻み根性丸出しだ…
加えて、これまで話すことを武器に仕事をし、広告や案内状、招待状の作成、添削を行なってきた経験と、ミステリーや推理小説を好みよく読んでいたことが加勢して負に落ちず、その教えに対し疑いの気持ちさえ密かに抱いていたのだった。

しかし、言われたままだと癪に障る。
私は、先ずは新聞をとることにしてみた。
少し格好つけて日経新聞をとってみた。
配られた新聞を取りに行き、意気揚々と広げた私だったがそのまま固まってしまった。
何故なら、漢字が読めないのだ…
日本語特有の二文字で表示される漢字の読み方が全く分からない。
読めない上にその意味の想像さえつかなかった。
更には、四文字熟語を取り入れた表現なども多く使われており、理解不能の状態に陥った。
ほとんどにそのような文言が使われている新聞は、私の語彙力では読み進めることが出来なかったのだ。
愕然とした私は、分からない文言をネットで調べながら読み進めた。
その日、新聞を読むのに丸一日掛かった。
私は意地になり三日間ほどそれを続けた。
途中調べている最中に、昨日同じことを調べたような記憶が蘇った。
同じ文字で躓き、また検索していたのだ。

バカなの⁉︎

自分の記憶力の無さに辟易とした。
これでは埒が明かないと思った私は、大学ノートに調べた文字を書き写し、その横に意味を書き記して行った。
そうすると、だんだんと読めるようになるのだから不思議だ。
その時になって、私と今でもお付き合いくださっている介護学校の講師から、本と歴史に加えてもう一つ教わったことがあったことを思い出した。

書けと…

私はここで漸く、学ぶことの意味を理解したのだ。人から何を教わっても自分が行動しなければ分からないままで、それは得たことにはならないのだと言う事を思い知った。
そして〝書く〟と言う行動は自分にとって如何に有益であることなのか、後にも知らしめる出来事に出会すのだった。
余談にはなるが、読めるようになるまで毎日書き写していった文字は、日本語だけで246文字にも上った。ビジネス用語を含めると相当数が分からない文字だらけだった。
私の体験例ではあまりに底辺ではあるが、ソクラテス曰く〝無知の知〟とはこう言うことなのだろう。
と、そう書きながら、先ずは僻み根性の問題を解決すべきではないかと思った…
私に新しい視野を持たせてくれた講師に、今は純粋に感謝している。


それから、歴史書や現代史などを買い漁り勉強をしようと試みた。
しかし、ここでも読み仮名の呪縛に取り憑かれることとなる。
クロマニョン人から始まり、縄文、弥生、飛鳥、平安、鎌倉、室町、戦国と続いていくのだが、人物の名前や年号までもが普通に読むことが出来ない。逐一読み仮名が複雑で、これまたかなりの時間を要した。
あまりの躓きにノートに書き写すのが面倒になった私は、読み間違えた漢字の横に振り仮名をつけ、ページの合間の空白部分に意味を書き入れていくことにした。
けれども、振り仮名と意味を入れるだけで数時間を取られてしまう状態で、最早、読むに至らぬ日々が続いた。
半年くらいそれを続けていたが、途中から忙しさを理由に放置してしまった。
結局、歴史については4分の1ページくらいが残ったまま数年置き去りにされたままとなっている…

寄り道が長くなってしまった…
面汚しはこれくらいにして、本題に戻るとしよう。


その年は、戦後70年の時を迎えた節目の年でもあった。私は介護と歴史を学んでいくうちに、接してくださっていたお客様方の歳を思い出し、その人生を重ねて考えるようになっていった。
そうした日々が続いていた中、元の現場に戻らざるを得なくなった私。
お客様の居る百貨店の年末大イベントに携わることとなり舞い戻る形となったのだ。
ちょうど一年間だった。
給料が発生しない私にとっての〝有休〟期間は終わった…

その展示会を必ず成功させないとならくなった私は、一年前と変わらぬ状態に戻り、顧客様へ案内の電話をかけ続けた。
顧客様方は盛大に送り出してくれたにも関わらず、戻って来る私を寛大に迎え入れ、更には歓喜の声まで聴かせてくれた。
お客様もそのうちの一人で、

「えっ⁉︎戻って来るの?分かったわ‼︎貴方と逢えるんなら這ってでもいくわよー」

と、言葉にするのも恐縮するような返事をしてくれた。
そうして来店してくれたお客様。
会場に現れたその姿を見て、私は自分の時が止まっていたかのような錯覚を起こした。
何故なら、目の前には白のニット帽に白いセーター、白のパンツ姿のお客様が立っていたのだから…
よく見ると、白かったはずの帽子は薄汚れ、セーターの袖の部分が少し黒ずみを帯びて来ていた。
そこで現実であることを認識した私は、お客様の顔をもう一度食い入るように見つめた。
お客様はその視線を捉えると、少し丸まった身体でゆっくりとこちらへ近づき、一年前と同じように私の両手をしっかりと握り締めた。

「貴方とこうしてまた逢えるなんて、生きてて良かったわー。もういつ死んでもおかしくないんだけどね。こうなることが分かっていたから神様がお迎えに来られなかったのかしら…」

そう言って一番の笑顔を見せてくれた。
一年間、介護の勉強をして来た私だったが、お客様から〝認知症〟の気配を感じとることは全く出来なかった。
この時には91歳になられていたお客様。
少し丸まった背中だけが、歳月の流れを物語っていた。
その日、私はお客様のエスコートに若手のイケメン男性スタッフを起用することにした。
自分が接客したいのは山々だったが、私にはこのミッションを必ず成功させないとならない理由があり、お客様だけに時間をかけることが出来なかった。それならば、非日常的な体験をお客様には楽しんでもらいたいと思ったのだ。
お調子者のスタッフは、お客様へ近づくとそっと膝まずき右手を差し出した。
お客様は一瞬驚いた顔付きを見せ、私に向かって舌を出して見せた。

座っていた椅子から立ち上がり、手と手を重ねて歩いて行く二人。
先程まで丸まっていたはずのお客様の背中が、ピンと張り詰めているのが目に止まった。
その時、何故だか急に舞台の幕が上がったような感覚に陥り、会場の空気までもが変わった気がした。私は目を丸くしながらその姿を追った。
まるでお客様がダンスを踊られているように見えたのだ…


スタッフと会場内をウォークされ、舞台上から降り立たれたお客様は、気に入った物を見つけ私の元へと帰って来られた。

「これ、素敵でしょう?」

そう言って、指にはめた指輪を茶目っ気に見せてくれたお客様。
私の反応を確認すると同時に、それをお買い上げくださったのだった。
ここまでくると、洋服に気を取られている私の方の感覚がおかしいのだと思うようになった。
少し汚れて来たとは言え、全身を白で統一されたコーディネートは、お客様にとても似合っておりそのセンスの良さを窺わせた。
知らない人から見れば、何と素敵なご婦人だろうか…
91歳でこれだけの輝きを放っている方と中々お会い出来ることもない。
私はそれが自慢で、方々でお客様ついての自慢話しをして来たことを思い出した。

〝私が憧れるお客様の中に90近くになっても、とてもお洒落でお美しい方がいらっしゃるんですよ〟
と…

お客様の力添えもあり、〝出戻り展示会〟と独自で名付けたこの開催は、当初の目的を無事果たす事が出来た。
しかしこの時、私は重要なことをお客様にお伝えしていないことに気づく事は出来なかった。


再び同職に舞い戻った私は、フリーランスとしてこの百貨店ともう一件の百貨店の展示会を進行する役割を担う事となった。
その後も展示会が行われる度、以前と同様にお客様へは案内の電話を入れ続けた。
夏に繋がった時には相変わらずのご挨拶で電話を切られた。
そうして時は流れ、お客様と数年に渡って必ずお会い出来ていた冬の時期がやって来た。
けれども、案内の電話を何度入れてもお客様は留守だった。
年を跨ぎ春が過ぎても電話は繋がらず、お客様とお話しすることは出来なかった。

夏が終わりかけたある日のこと。

ダイレクトメールの修正があったときに知らされるメールが会社から送られてきた。
その名前と修正理由の箇所を見て身体が硬直した私は、そのままがっくりと項垂れた。

そこにはお客様の名前と〝逝去〟と言う文字が書かれてあったからだ。
幻覚を味わったあの時の姿が、お客様を肉眼で確認出来る最後になるとは思ってもみなかった。
押し寄せる悲しみで呆然と立ち尽くしていた私は、不意にこんなことを思った。
〝お客様の最期に隣に住む○○様が一緒に居てくれたんだな…〟と。
そうでないと、ダイレクトメールの修正を会社に依頼する人物が見当たらないのだ。
他者とこのような付き合いが出来ることは、お客様の人柄を物語っているようなものだ。
私は改めてお客様の偉大さを思い、そのまま天を仰いだのだった。


それから数年の時が過ぎ、ひょんなことから民俗学を学ぶ機会に遭遇した。
平安時代から発展してきた化粧の起源を学び、べに花で作る紅猪口や白粉の歴史を知った。
昔は口紅や白粉は大変高価なもので、中々手に入らなかったと言う。
そんな時ふと、お客様からいただいた白粉の入れ物が頭に浮かんだ。
私は棚の奥に仕舞っていたそれを取り出し、まじまじと見つめた。
現在では見かけることもないその代物は、ずっしりと重く、銀色の金属には彫りが入れられている。よく見ると、それは銀製で作られたものだった。ジュエリーを取り扱って来て金属の見極めに自負していたつもりが、不要物と決め込んだ意識はそれさえも気づかせなかった。
私は携帯を手に取り、『銀製白粉入れ』と言う文字を打ち込んだ。
ネット上に様々な関連記事が上がってきた。
アンティークコンパクトと掲載してあるその代物には高額な値段がついていた。
色々とリンクを開いてみると、カネボウ化粧品の収蔵品に行き着いた。
お客様からいただいた白粉入れにそっくりなコンパクトが〝1948年日本製〟と書かれ、写真付きで掲載されている。
当時作られたこのコンパクトは、戦後の日本女性には中々手に出来ない憧れのアイテムだったようだ。
私は眉を潜め、もう一度いただいたコンパクトを手に取り、隅々まで観察してみた。
銀に彫られている絵はどうも手彫りようだ。
そこには、竹と共に勢いよく伸びる葉っぱの絵が彫られている。
角にはアルファベットが二文字。
お客様のイニシャルだ…

あっ…

それに気づいた私は、あまりの衝撃に心臓が大きく跳ね上がった。
描かれている絵の意味を悟った私は、眉間の辺りに押し寄せる重たいものに耐え兼ね、右手の拳を額に当て目蓋が無くなる程に硬く目を瞑った。

お客様は〝松竹〟のダンサーだった方だ。

動揺が走る中、震える手で再度携帯を握った私は戦後についての検索を行い始めた。
指先が言うことを聞かず上手く文字が打ち込めない…
途中から何を調べているのか分からなくなってきた。それほどに私は狼狽していた。

ハッ⁉︎

急に降りたった思いに、今度は心臓の鼓動が乱れ始めた。
立ち上がり書斎へと駆けこんだ私は、介護学校でもらった本やノートを引っ張り出し、無我夢中であれやこれやとページをめくった。

あった…


『加齢による色覚異常を起こすと黄色が白に見える』

介護教室と書かれたノートに自分の字でしっかりとそう記述してあった。
白い洋服に白いハンカチ…

〝なんで?どうして今頃になって…〟

その時、全ての物事が繋がった。
全くお門違いなことを想像していた自分の馬鹿さ加減に呆れて嫌気が差した。
長い年月を経てとても大事なことに気づいた私は自分自身を心底悔やみ、その場で蹲るように項垂れた…


お客様が手渡してくれた私には使い道のないように思えたものは、お客様の大切な人生の歴史が詰まったかけがえのない宝物だった…
それには、意図する想いが込められていた。
お客様は仕事をする私を、懸命に仕事をしてきた自分と重ね合わせて見てくれたのかもしれない。
だからこそ、お買い物と言う形でエールを送り続けてくれたのだと思う。
出会った当初から7年間ずっと…
最後の最後に形としても分かる物を私に授けてくださったと言うのに、戴いたものの姿形を見て、周りの視線と共に決まりの悪さまで感じた当時の自分が嘆かわしい。
このことに気づくことが出来ていれば、もう一度お会い出来たあの時に、心からお礼を言うことが出来たのに…
今となってはどんなに悔いても〝ありがとう〟の一言さえも、お客様へ伝えることは出来ない。
〝後悔先に立たず〟だ。
だからこそ、愚かで情けない我が失態をここで白状することにしたのだ。
自己満足でも構わない。
それが私に出来る精一杯のお客様への感謝の気持ちなのだから…

宝物を通してその〝想い〟を受け取った私は、その時々に湧き上がる感情ではない〝想い〟の尊さをお客様に教わったのだった。


〜vol.6 終わり〜

百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!