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vol.5 名前を呼ばない

次の展示会でのこと

その展示会では、私達はエレベーターから真っ直ぐ道なりの、所謂、客主導線に沿って宝飾ケースを構えていた。
ふと、エレベーターの脇の方から視線を感じ、私はそちらに目を向けた。

あっ…


そこには先日のお客様が立っていた。
お客様はシルバーカーに覆い被さるように両肘をつき、大きな瞳でこちらを見ている。エレベーター前まではこちらから30メートルほど距離がある為、正確に言うと目元は見えないのだが、眼力の強さでそう感じた。
すると、突然お客様が口を開き、何やら叫ぶように声を出した。

ん?

こちらに向かって話し掛けているように見える。私は首を傾げながら、ケースの外に出てお客様に一歩づつ近づいた。

「あんた!この間の指輪は似合ってたかね?上手いこと言って売り付けて…」

へっ?

話し掛けてはいるものの、お客様はそこから全く動く気配を見せない。
何やらクレームのようにも聞こえ、焦りが生じた私は、急ぎ足になって近づいた。

「この間の指輪は似合ってたかね?上手いこと言って売り付けて…」

お客様は、同じ言葉を繰り返した。
顔の表情まで分かるその場所に辿り着いた時、その口元がにやけているのが目に入った。
わざと言っているのだ…
私は後ろを振り返り、自分が歩いてきた距離を確認した。並んでいる宝飾ケースがやたら小さく見え、遥か遠くに感じた。

「◯◯様、いらっしゃいませ。先日はありがとうございました」

私がそう言うと同時に、お客様はシルバーカーを押しはじめ、ゆっくりと歩き出した。手元には、先日購入した指輪が着けてある。

「わぁー!着けて来てくださったんですね!ありがとうございます!!とても良くお似合いですー」

と私が言うと、さっきまであんなに意気揚々と話し掛けていたのが嘘のように、
お客様は今にも緩みそうな口元を急にへの字に変え、押し黙った。

またなの〜⁈

お客様と歩幅を合わせゆっくりと店に戻りながら、この〝芝居の台本合わせ〟のようなやり取りが楽しく、またまたやる気が湧いてきた私。

「にしても、話し掛けて頂いた場所から私までの距離遠くないですか?危うく、聞き取れないところでしたよ」

顔を覗き込むようにしてそう言った。

「・・・・」

案の定、またもや素知らぬふりを決め込むお客様。しかし、その顔はこれまでのどの表情よりもにやけていた。
その顔が、悪巧みを思い付いた時の子供のようにあどけなく、私の方が笑いを吹き出しそうになった。
やっとのことで店に辿り着き、お客様を今回は、テーブルへと案内した。
言っておくが、店のど真ん中に椅子を構えられるのが嫌で、それを制御した訳ではない…重複するが、何処に座るかはお客様の自由だ。
勧められるまま、椅子に着席したお客様。

「何?中々気が利いてるじゃない。椅子なんか用意して…今日は、お茶でも出るんかね?」

と言った。

言うと思った…

私はニヤニヤしながら、心の中でそう呟いた。この流れで飲み物を気持ち良く出したいのは山々だが、周りとの兼ね合いで勝手な動きが取れない場合があり、この開催はそれに当てはまる展示会だった。
私は、

「今回は他のメーカーさん達も出店しているので、お飲み物が出せないんですよ…
うち一社だけの時は、美味しいコーヒーをお出ししますので楽しみにしててください!」


眉毛を八の字にしながらそう言って頭を下げた。すると、お客様はどこか遠くを見るように、

「何が楽しみにしててくださいよ!コーヒーくらいのサービスで…」

と、相変わらずの減らず口を返してきた。
これだけ会話をしているにも関わらず、お客様は一向にこちらを見ない。

はい、はい…そうくると思った

これ以上、会話を続けても先には進まない。私は込み上げてくる笑いを口元にとどめ、おすすめ商品を取りに行く為にその場を離れた。
それから、ケース内にいるスタッフの横を通り過ぎる振りをして、

「これで缶コーヒー買って来て…」

と、小銭を渡して耳打ちし、おすすめ商品を持ってお客様の元へと戻った。
そして、

「◯◯様、今日はこちらの商品を見ていただきたいんです」

と言って、ダイヤモンドのペンダントをトレーに乗せ、テーブルの上に置いた。

「何?こんなの要らないし!!全然、素敵じゃないじゃない…あんた、またこんなの持って来て私に売り付ける気なんでしょ⁈」

お客様は、テーブルの上に置いた商品に目もくれずにそう言った。
あまりに捲し立てるので〝今日は商品を見る気分じゃないのかな?〟と思い、視線を合わせないその瞳を、屈みこんで見据えてみた。視線を合わせられたお客様は、慌てて眼球を横にずらし、それを回避した。
口元にはまた、薄ら笑いを浮かべている。
この小芝居を見抜けなければ、お客様の吐き出す言葉は販売員には驚異に映り、恐怖さえ覚えるであろう。側から見ればクレーマーにしか見えない会話内容だ。
しかし、その表情で安堵した私。

「まだ商品見てないですよ?素敵かどうかは見てから言ってください」

と、笑いながらその商品を手に取り、お客様の目の前に提示した。
すると、ずっと他所を向いていた視線がやっと手元に降りてきて、ちらりと横目で商品を捉えた。

「なぁにが素敵かね?」

お客様はフンッと言わんばかりに、また、明後日の方向に目を向けた。
だが、立ち上がる気配も見せない。
私はその言葉に添うように、何処が素敵なのかを説明し、

「ちょっとだけ着けさせていただいても良いですか?」

と言って、ペンダントを持ってお客様の後ろへと移動し、首にかけた。
そうしたところ、お客様は嫌がる素ぶりを全く見せず、それからは前回同様に普通に接客を受けてくれたのだった。
すると突然、

「で、これはいくらなの?」

と、お客様から尋ねられた。
私が金額を答えると、

「何が◯万よ!高い、高い!!社長に連絡して20万にしてもらわないと買えるもんかね!」

と、冒頭で見せた悪巧みを考え付いたような、なんとも愛くるしい表情を見せた。
値段は、到底その金額になるような品物ではなかった。

「今、金額お伝えしたつもりだったのですが…」

再びお客様の顔を覗き込み、伺うような素ぶりを見せたが、例の如くだんまりを決め込まれた。
私は可笑しくなって、

「ちなみに、何処から出てきたんですか?その金額…◯◯様がお気に召していただけたのであれば嬉しい限りですが、20万はちょっと難しいかと…」

と、くすくす笑いながら直球を投げた。
お客様は聞いているのか、

「早くしないと帰るよ。飲み物も出さないんだから!喉が渇いて仕方ないんだからね!!」

と、言った。
その言葉で、スタンバイしていた缶コーヒーの出番がやって来た。
私は待っていましたと微笑んで、

「じゃあ、こちらを飲みながら少々お待ちください」

と、テーブルの上に、まだほんのりと温かい缶コーヒーを静かに置いた。
お客様が自分で用意したように見える飲み物を、どこで飲もうと誰も文句はあるまい。それこそ、私の悪知恵だ。
お客様は驚きと喜びが入り混じった表情を見せ、この時、初めて自分の方から私を間近で直視した。
けれども、今度は私がその視線を後目に、会社に値段の交渉をする為、電話を掛けにバックヤードへと移動した。
だが、どう頑張ってもお客様の要望金額にはならなかった。正直に会社から提示された金額を伝え、商売が不成立に終わればそれはそれで致し方ない。
買う、買わないを決めるのはお客様だ。
売り場に戻り、

「◯◯様、大変お待たせ致しました。社長に確認致しましたところ、38万円まではなんとかさせていただくそうです」

と、私が伝えると、

「あんたんとこ社長もケチねー。20万にしてって言ってるのに…」

そう言いながら、何やらゴソゴソと鞄を触り出したお客様。
財布の中から外商カードを出して、テーブルの上にポイっと投げ捨てた。

えっ?

このタイミングでカードが出てくると予想していなかった私は驚き、

「38万なのですが、宜しいでしょうか?」

と、恐る恐る尋ねた。

「20万にしてくれるんかね⁇」

お客様は、とうとう笑いを堪えきれなくなったのか、口元に笑みを浮かべてそう言った。私は高鳴る鼓動を感じながら、

「ありがとうございます!38万円、しっかり切らせていただきます!!」

と、お客様へ満面の笑みをお返したのだった。


それからと言うもの私達の出店時には、毎回のように来店してくれたお客様。
来店時には必ずと言っていい程、彼方に身を置き、

「ちょっと、あんた……」

と、私に向かって話し掛ける。
迎えにこいと言う合図のようだ。
時が経つにつれ、お客様にはある法則があるのだと気づいた。
売り場に着いた時、腰を下ろすと商品を見る、下ろさないと見ないと言う法則。
買う可能性があるか無いかを知らせてくれているかのようで、それは、それはとても顕著だった。
こんな方に出会ったのは宝石販売歴20年の中で、後にも先にもこの方だけだ。

お客様は、どこまでも正直な方だったのだ…


私はそれに気づいた時、憎まれ口に気を取られ、口元に潜む真意を見落とさなくて良かったと心から思ったのだった。


〜続く〜








百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!