とやまの見え方・定年後と柳田友道先生

2023年3月10日投稿

 およそ25年間、探し物をしています。

  1枚の郵便切手なのですが、図柄に小麦農林10号が描かれています。当時私は、小麦農林10号の育種者で富山県出身の稲塚権次郎(1897-1988)という人の評伝の執筆の準備をしていて、小麦農林10号の業績を称える切手が数種類海外で発行されたことを知りました。そのうちの1枚を探しているのです。

 ちょうど資料集めをしていたその時期に、今はなくなってしまった神通川有沢橋のたもとの新刊書の書店で、偶然手に取った書籍がありました。その書籍は、人生の晩年を有意義に過ごしている人たちにインタビューした記事をまとめたものでした。その中のお一人が、郵便切手のコレクションを趣味にし、その効用として植物切手を取り上げ、件の小麦農林10号の切手の写真が掲載されていたのです。私はその時、その書籍を買いそびれてしまいました。

 書名も著者名も、切手の発行国もはっきり覚えていなくて、悔しさが未だに尾を引いています。 
 何となく、その著者が、サラリーマンの定年後の生活などをテーマにする文筆家で、加藤仁(1947-2009)という文筆家じゃなかったかと推測してきました。

 最近になって、立花隆(1940-2021)さんの書籍(書名は失念)を開いていたら、立花さんによると、加藤さんは、そうしたことをテーマにしていたとお書きでしたので、今こそ加藤さんの著書をきちんと確認する必要があると思い、富山県立図書館の蔵書検索で調べました。加藤さんの著書が、県立図書館に2冊、富山市立図書館に5冊あることが分かり、―加藤さんの著作はもっと沢山あるでしょうが― それぞれに出かけて調べました。しかし結局、該当する記載はありませんでした。

 ちなみに、25年前、富山市内の切手コレクターから分厚い内外切手図鑑を借りたり、東京目白の切手博物館で調べましたが、見当たりませんでした。

 で、今回そうこうして県立図書館で手にした加藤さんの著書「定年後の居場所を創る」に、―切手探しからは、横道に逸れてしまいましたが―、「とやまの見え方」にとって格好の記述があったので、ここにご紹介しておくことにします。

 加藤仁さんが何人も訪問取材した中のお一人が、柳田友道(1914-2012)さんでした。ところどころ引用してみます。

 富山大学の元学長・柳田友道さん(大正三年生まれ=取材時八十九歳)は、父親から老いのイメージを授けられたという。「父親は死ぬまで体も頭も動かし、いろいろと活動していましたからね」―中略― 
 七十歳をすぎて、柳田さんもまた、公職から退いた。まず始めたのは、野趣あふれる父親の趣味とは対極的ともいえる木目込人形の製作である。―中略― 
 そして八十二歳からは、知り合いの医師の夫人からステンドグラスづくりの面白さを教えられ、毎週教室に通って学び、それを新たな趣味とした。―中略―
「東京にいたとき家内は喘息に苦しめられていたが、富山に移ってから治ってしまった。魚はうまいし、私の酒も私ども夫婦にとって、富山は郷里でもなんでもないのに、居ついてしまいましたね。東京の家には孫が住んでいますよ」

 そして、当時八十五歳の奥さんは、好きな水泳に励んでおいでだったとのことです。

 さらに、西暦2000年(平成12年)の初頭、柳田さんは一念発起してインターネットに挑戦した。その年、86歳という年齢から察すると最高齢のネット初心者ではあるまいかと、加藤さんは記し、この取材記事を、次のように締めくくっています。

 勝った、負けた、ではない。「やるだけのことはやった」とはっきり言える人生を送ることができれば、それに勝る幸せはないというのが、九十翁の確信である。

 なんと嬉しい、富山賛歌だろうか。

(引用参考文献)
『定年後の居場所を創る―背広を脱いだ61人の実践ファイル』加藤仁著 中央公論新社 2004年9月25日刊

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