とやまの見え方・團伊玖磨さんと、佐々成政「黒百合伝説」の謎
2021年11月10日投稿
週刊誌の山を整理していたら、ほとんど手つかずの文庫本が出てきました。『パイプのけむり選集 話』(團伊玖磨著)です。この文庫本には、團(1924-2001)さんの当初の単行本のA5変形判がもつ情緒がなくて、読まずに放っていました。
パラパラとめくっていたら、「白い花・黒い花」と題する随筆に、越中富山のことが出ていました。
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ある年、梅雨の東京から靄(もや)のかかる北海道にやってきた團さんが、あるお嬢さんとドライブ中に、一面が黒百合の花盛りの草むらに差し掛かりました。
本州なら高山に咲く黒百合が、緯度の高い北海道では海岸地帯に咲いていました。團さんが、お嬢さんに「匂いを嗅いでご覧」とすすめたところ、お嬢さんは、「げっ」と、余り上品らしからぬ声を出した。
この花の匂いは、團さんの表現によると「腐肉のような、濡れ腐った雑巾のような悪臭がする」。團さんは、それを知らないお嬢さんに、悪さをしたのです。
お嬢さんは、「非道いわ」と睨む真似をして一旦團さんを振り返って、それでも、黒百合の群落の中にうずくまると、しきりに花を調べ始めました。(ちなみに、植物学の泰斗牧野富太郎博士の著書に黒百合は「中部以北ノ高山ニ生ズ。(花ハ)悪臭アリ。」等と紹介されている。)
そして、團さんは随筆を進めて、黒百合にまつわる富山の伝説を紹介なさる。
この花に纏(まつ)わる伝説は色々あるけれども、恐ろしい方では戦国の武将佐々成政お家断絶の物語りであろう。―中略―伝説では、その越中時代、成政が、愛妾の一人ばかりを余りに可愛がるのを妬(ねた)んだ他の女達が、有る事無い事を成政に言い続けたために、遂に成政は謗(そしり)を信じ、その愛妾を切り殺してしまう。死に臨んで、血の海の中をのたうち回りながら形相凄まじく女は叫ぶ。
「あの立山に黒百合が咲く時に、お家は断絶するであろう」
立山に黒百合が咲く。珍しい花だとして成政は黒百合を淀君に献上する。淀君は黒百合を不吉な花と解し、不吉を届けた成政を憎み、お家断絶に追い込むというお話し。
と、團さんは解説なさっている。
ちょっと補足修正すると、『絵本太閤記』によると、成政が珍花として黒百合を献上したのは、淀君ではなく正室の北政所だった。そして、それに対抗して側室の淀君は、そんなもの珍花ではないとばかりに石川の白山から、黒百合をどっさり取り寄せ、ツツジなど卑しい花に混ぜて飾った。秀吉の正室と側室の間がこじれ、成政は惨殺した愛妾の怨念のとおり、お家断絶となった。
さて、伝説を紹介した團さんの筆は、先のお嬢さんに戻ります。
「あら、不思議だわ、来て御覧なさい」
黒百合の群落の中に踞(すわりこ)んでいたお嬢さんが、僕を呼んだ。―中略―「あのね、この花はとても厭な匂いなの、でも、いゝ、丁度この位に顔を遠ざけると、ほら、良い匂いに変わるの、ね、やって御覧なさい」
言われる通りに、花の群落から一米二〇糎位顔を離して神経を嗅覚に集中した。
「うん、蜂蜜(はちみつ)の香りがする。良い香りがする」
「ね、蜂蜜の匂いでしょう、良い匂いでしょう、不思議ね」
何度も僕達はその実験を繰り返した。附近を調べたけれども、黒百合の花以外に花は全く無く、どう考えてもこの匂いの魔法は黒百合の花が演じているとしか考えようが無かった。
ここで私は、話を、佐々成政の「黒百合伝説」に戻って考えてみました。
「黒百合伝説」には、後世の脚色、歪曲があるにしても、大事な欠陥があるのではないか。そのヒントは、團さんの随筆です。つまり、成政は、黒百合を「蜂蜜の香りがする。良い香りがする」珍花と得意げに、北政所に献上した。そこまでは良かった。
一方対抗して淀君が、そんなもの珍しくないと黒百合をどっさり取り寄せて飾った。そこまでも、良かった。
ところが、御殿中が、「腐肉のような、濡れ腐った雑巾のような悪臭」が充満して、あちらこちらで、「げっ」「げっ」となってしまった。てんやわんやの大騒ぎになったのではなかろうか?
「雑巾のような悪臭」を充満させた淀君は大恥をかいた。いや、北政所も恥をかいた。「蜂蜜の香りがする」などと澄ましていられない、黒百合は珍しくもなんでもなかったどころか、自らも、「げっ」となってしまったのでなかろうか。それどころか、秀吉も、鼻をつまんで右往左往したのではなかろうか。
逆恨みした女性二人の共通の敵となって成政は、二人の挟み撃ちで進退に窮し、秀吉の怒りも頂点に達してお家断絶に追い込まれてしまった…。この香りと臭いの反転、これこそが、成政に切り殺された愛妾の“呪い”というべきでなかろうか。
ところが史実では、北政所と淀君二人の確執と成政の失脚は、年代的に整合性がないそうです。また、成政の越中での悪行とされる事績は、後に越中を支配下においた前田家が、先立つ領主成政が善政をしいていた評判を落とすために仕組んだものだそうです。
そして、私は、思うのだけれど………
成政を面白おかしく貶めた後世の人たちは、成政の失脚の原因にいろいろと理屈をこねたようだけれど、女性二人の諍いの最大の原因が、なぜ山岳にしか咲かない黒百合の“臭気の呪い”だったと脚色しなかったんだろうか? 下世話にすぎると判断したのだろうか?
いや、山岳にしか咲かない、めったに見る機会のない黒百合なので、成政を貶めようとした謀略家たちは、その臭気を知らない。だから、荒唐無稽の「黒百合伝説」をなんの疑いもなく創作できたのかもしれない。そして、謀略が破綻して尻尾が出ているのに、誰も気が付かないまま、世間に広く流布していった。
……と、まあ、ご一興。
(引用参考文献)
『パイプのけむり選集 話』團伊玖磨著 小学館文庫 20011年版
『復刻版 牧野日本植物図鑑』牧野富太郎著 北隆館 平成11年刊
『佐々成政』遠藤和子著 学陽書房 2010年4月刊
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