とやまの見え方・富山とスウェーデン、そして、吉田鉄郎
2020年4月10日投稿
書店でこの書籍を見たときには、思わず笑いそうになりました。だって、『富山は日本のスウェーデン』(井手英策著)というんですからね。しかし、読者のこうした反応を、著者は先刻織り込み済みで、自書を“トリッキー”とおっしゃっています。
さて、やたらと気になった挙句、数ヵ月後に、とうとう購入してしまいました。開いてみたら、冗談の本じゃなくて、極めて真面目で緻密な研究の書でした。気安く読める類のものではありません。何とか読破したいとあれこれ思案の末、攻略法を考えつきました。キーワードつまり、“富山”と“スウェーデン”という文字の分布表を作ってみたのです。
まず、全てのページ(3ページ~217ページ)の中で、“富山”という文字にマーカーでオレンジ色の印を付け、“スウェーデン”には青色の印をつけた。その結果、“富山”は431個もあり、“スウェーデン”は66個と少なかった。それを、ページごとにまとめて一覧表にしたのが、別添の2つの数表である。
表の見方(「富山」を例に)
①数えるキーワード「富山」は、本文中の文字ほかに、目次、見出し、及び固有名詞を構成している文字を含む。
②例えば、左端のタテの60と上端のヨコの4との交点は64ページ目を表す。そのマスの中の数字5は「富山」が5個掲載されていることを示す。
③太線の囲みは、例えば、49ページから76ージまでの部分は、「第1章」である。
④太線の囲みのない部分は、「はじめに」、「目次」、「おわりに」である。
数表上で“富山”は中央の第1章から第4章まで広く分布している。これで、このあたりが、専ら“富山”の分析、解説であることが確認できる。一方“スウェーデン”は、両側(序章、終章)に分布しているので、その周辺に“スウェーデン”についての説明があることがわかる。そして、この2つのキーワードが重なるページの周辺に、“富山”と“スウェーデン”の比較や類似についての言及がある。
こうやって、“富山”と“スウェーデン”の重なるページの周辺に狙いをつけて、そこに「富山は日本のスウェーデン」とする著者のユニークな発想の説明があるだろうと読み進めていきました。
まず、著述の狙いを井手さんは、謙遜しながら言います。
〈この本のコンセプトは、「保守が生んだ日本型北欧社会」として富山を捉えるという、ちょっぴりトリッキーなものだ。(3p)〉
ここに「保守」とは、富山の風土を指しています。そして、次に、
〈このように見てくると、富山が都道府県別の幸福ランキングで高い順位を記録したことにはそれなりに理由があることがわかる。さまざまな指標が富山のゆたかさ、厚み、頑健さをはっきりと物語っている。
僕が興味深いと感じるのは、少なくとも数字だけを見るかぎり、こうした社会経済的な成り立ち、循環が、社会民主主義や北欧諸国を高く評価する人たちの理想の姿と重なっているように思われることだ。(67p)〉
さらに、
〈日本のリベラルは、スウェーデンを約束の地として語り、理想の社会とみなしがちである。だがじつは、社会民主主義的な政策をつうじてめざされる状況、帰結が、日本の北陸に、富山にあったとしたらどうだろう。
もしそうであれば、僕たちはスウェーデンに学ぶだけでなく、日本の地域社会のなかにも未来への曙光を見出すべきではないだろうか。まさに、灯台下暗し、である。(69p)〉
そして、著者は、例えば富山とスウェーデンの共通点として、次のように語ります。
〈一九世紀末のスウェーデンはまずしい農業国だった。また、一八八〇年代から出生率の低下がはじまり、一九三〇年代にはヨーロッパで最低レベルの出生率におちいっていた。さらに、三一年には失業率が二五%を超えるというまさに社会の危機に直面していた。
スウェーデン型の社会民主主義へのあゆみはこの危機のなかからはじまった。まさに生存や生活の不安が社会の全体で共有されたことこそ、スウェーデン型の社会民主主義が産声をあげる前提だったのである。
この点は、富山も同じだ。第二章で見たように、富山の歴史は、まずしさとの闘いの連続だった。
繰り返し起きた河川の氾濫は、家族の命を、生存の糧を、穏やかな暮らしを一瞬でうばいさった。そして、自然や宗教的なものへの畏敬の念が育まれ、富山人の心には、己の、そして人間の無力さのようなものが刻みこまれた。
長くつづいたまずしさとの闘いは、自分たちが生き延びるために他者と助け合う文化を生み出した。家族や地域を大切にし、調和を重んじて自己主張をつつしむ県民性は、この闘いの歴史と表裏一体の現象だったのではないだろうか。(193-194p)〉
さらに、スウェーデンと富山の共通点について、著者は言います
〈スウェーデンの社会民主主義の父、P・A・ハンソンは「国民の家」という演説を行い、「家の基礎は、共同と連帯である」と人びとに訴えた。家や家族を重んじる点では富山社会と何ら変わりはない。(196p)〉
ここまでトレースしてきて、なるほど著者がこのトリッキーな書名を付けた理由も納得できました。政治的保守性、伝統的な家族主義といった共同体的特性(48p)をもつ“保守王国”富山に社会民主主義的つまりスウェーデン的な生活が根付いているということなのでしょう。富山に住む私にとって、この書籍は、わが郷土を再確認させる貴重な論考でした。
ただ残念ながら、この著書には、スウェーデンに対する、富山の側からの何か心情的に共感するものや通底するものがあるかについて、具体的な人的な言及はありません。
そこで、私の手持ちの図書の中に、その好例があるので、最後にご紹介しようと思います。
富山県福野町出身で、近代建築の巨人と称される吉田鉄郎(1894-1956)がいます。この吉田が、次のような文章を残しています。(なお、吉田鉄郎については、このサイトの中の「実業之富山Web版」の、2020年1月6日「情報ファイル」を併せてご覧ください。)
〈学校を出てから、はや四十年ちかい。その間、外国からいろんな刺激や影響を受けた。はじめのうちは主としてドイツの建築家から、強い影響をうけたが、いずれもあきたらず、次ぎから次ぎと心の旅をつづけた。しかし、スウェーデンの建築を知ってからは、それが自分にはぴったりとして、もう他の影響を求めなくなった。それは、心の糧として、また心のふるさととして、永い間自分を育ててくれた。〉
さきに引用した「日本のリベラルは、スウェーデンを約束の地として語り、理想の社会とみなし」という箇所と、この吉田の「心の糧として、また心のふるさととして」という箇所が、かさなりますね。
井手さんが、スウェーデンと富山の共通性に着目なさったのは、吉田のような感性の共振を、富山の土地で直感されたのかしらん。
(引用参考文献)
『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国の謎を解く』井手英策著 集英社新書 2018年8月刊
『ル・コルビュジエから遠く離れて 日本の20世紀建築遺産』松隈洋著 みすず書房 2016年11月刊